a mischievous smile

東京コミコンの間接やりとりにわーってなって書いたヘムトム。短いしほぼ会話みたいなもの

『Hi,brother』

それだけの文章が突然手元の端末を揺らし、思わず目を丸くした。続きがあるのかと待ってみたが、小さな機械はそれきり沈黙してしまった。
画面に映し出された名前を確認して小さく笑う。苦情を言われるか、訂正されるか、ねぎらわれるか、なんらかのアクションはあるかもしれないと思っていたが、この反応は予想外だった。
椅子にゆったりと腰を据えて、ニューヨークの時間を確認して電話をかける。二度の呼び出し音の後で控えめな声が耳元で聞こえた。
『やあ、兄上』
「義理のな」
普段こんな挨拶はしないのに、さらりと言葉が出てきたことに笑い合う。顔を見ていなくても隣に並んでいるような呼吸を感じていた。
声を押し殺して笑ってから、気を取り直して声をかける。
「おはよう、トム」
『そっちは「こんばんは」かな』
挨拶を済ませたトムは自分からメッセージを送ったくせに『それで、どうしたの?』なんて言うものだから、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。
「あんなメッセージを送ってきたのはそっちだろ」
『先にロキを使ったのは君の方だよ』
少しだけ棘を含んだ声に、一瞬言葉に詰まる。わざとそういう声を使っているのはわかっていた。きっと、端末の向こうでは穏やかな笑みを浮かべているんだろう。
思い付きでやった行動だったが、しっかりと意図が伝わっていたんだとわかるとつい頬が緩んでしまう。小さなイタズラだって気付いてもらってこそ意味があるものだ。
勝手に上がる口角を手のひらで押さえて、なんでもない顔で返事をしようとしたとき、続けてトムの声が聞こえた。
『ああ、そうだ。君に会ったっていう子に会ったよ』
「日本で?」
『うん。君のことを話したって広まってるかもね』
「おいおい、また騒ぎになったらどうするんだよ」
『たまにはいいんじゃない?並ぶことも滅多にないんだし』
からからと笑うトムに苦言を呈そうかと思ったが、最初に仕掛けたのは自分だからと踏み止まった。時々こういう思いもよらないことをやってのけるトムを見ていると、あの配役は間違っていなかったのだとしみじみと感じる。
俺の方がやんちゃだとか子供だとか、それは間違いないけれど、この男も似たり寄ったりなのだと何度世間に向かって叫んでやろうと思ったことか。
それでも楽しそうに笑う声を聞いてしまうと、まあいいかとすぐに忘れてしまうから俺も大概だ。
それからニューヨークはどうだとか、日本の食事はどうだったとか、くだらない話でひとしきり盛り上がったところで、電話の向こうで犬の声が聞こえた。
『ごめん、そろそろ行かないと。ボビーが待ってる』
「ああ、そんな時間か。じゃあ、またな」
『また。クリス、おやすみ』
最後の言葉を交わして端末を耳から離しかけたとき、微かにリップ音が聞こえた。それが何かすぐには理解できず、聞き間違いかと思って手の中にある端末を見直したときにはもう通話は終わってしまっていた。
じわじわと顔に熱が集まる。それが何を意味しているのか俺にはわからなかった。トムは普段ならこんなことはしないはずだ。
イタズラ合戦の延長かもしれない。でも、違うかもしれない。そもそも真意を考えること自体に意味などないのかもしれない。
最後に聞いた音が頭から離れず、手で顔を覆って、端末を柔らかな布の上に放り投げた。そして朝を迎えたばかりの男のことを考える。今頃いったいどんな顔をして愛犬と向き合っているのだろうか。
ちらりと椅子に転がる真っ黒い画面を眺める。小さな画面を見下ろしながら、いつかやってくるだろう”また”の日を待つしかないのだと、小さくため息をこぼした。

error: 右クリックは使用できません