離れられないでいるどうしようもない既婚ヘムトムの話。
時系列は特に設定してないけど暗い。致してるだけ。一ページ目がクリス視点、二ページ目がトム視点です。
その男と出会ってから俺は、間違えてばかりいる。
スプリングが軋む音がうるさい。
目の前にある背中が綺麗に反る。その肩甲骨の線に目を奪われていると、ほんの少しだけ顔を動かして、俯せになっている男はちらりとこちらに視線を向けた。
その男――トムは仕事仲間として俺の前に現れて、その人懐っこい笑顔とユーモアでいとも簡単に懐まで入り込んでしまった。
最初は仕事仲間として、その次に友人という項目が増えて、今は遊び相手――にしては執着しすぎているか、と苦笑が浮かぶ。
『こんなことは間違ってる』
トムと向き合う度にその言葉は頭の中を過ぎ去っていった。
『こんなはずじゃなかった』
この言葉も。
特殊な職業ではあったし容姿にもチャンスにも恵まれた自覚はあったが、あくまで普通の男として生きてきた。そして、この先もその予定だった俺の中の何かを、トムは狂わせてしまった。
こんなことを本人に言ったら「それを言いたいのは自分の方だ」と言うだろう。それはそうだ。俺が狂ってしまったのと同じように、トムも何かがおかしくなってしまったんだと思う。
そうじゃなければ、その手を掴もうだなんて思わなかったはずだ。
俺のこの腕が抱き締めるのは、生涯で女だけだと思っていた。結婚してからは妻ただ一人だと。
だがついさっきまで腕の中に収まっていたのは、俺より一回り小さいだけの男の身体だ。
その身体はいつだって美しい線を描く。背中から腰のラインをなぞっていくと、しなやかな筋肉と腰のくびれがよく手に馴染んだ。
服の上から撫でただけで震えるのは、俺が数え切れないほど触れてきたからだ。知り尽くしてしまったその肌に一度触れてしまうと、もう止めることはできなかった。
汗が伝う背中を唇で吸うと、びくびくと身体が跳ねる。トムは体勢は変えずに顔だけこちらに向けると、俺の唇を求めて舌を伸ばした。髭とピンクの唇の隙間から、赤い舌が顔を覗かせている。
身体を倒してそれに応えて、ちゅう、と舌を吸い上げると、唇の隙間から甘い声が漏れた。熱い吐息と、ちくりとした感触。
キスをしながら髭の感触を味わう瞬間が来るなんて、十年前には想像もしていなかった。
だが、始まりもこんな瞬間だったはずだ。唇を舐める癖があるトムが不意に舌を覗かせた瞬間、それを食べたいと思ってしまった。その口の中まで追いかけたい、と。
もちろんその時はそんなことはしなかった。現場には数え切れないほどの人がいたし、何より俺自身がそんなことを考えてしまったことに驚いていた。
気の迷いだと思おうとして、次も、その次も同じように舌の動きを追ってしまっていると気付いたとき、初めて『どこで間違えたんだ』と考えた。トムはそんな俺の葛藤など知りもしないで、赤い舌も唇も無防備に晒していた。
唇を離した今と同じように。
唾液が伝い落ちるのを眺めながらトムを見下ろすと、見上げるトムの瞳が色を変えた。ベッドヘッドのライトに照らされて、青みがかった瞳の色がより濃いものになる。
光の当たり方によって色を変えるトムの瞳は美しく、そして素直だった。悲しいことも嬉しいことも、その瞳に反映されてしまう。当然、好意も。
それに気が付いたのは、俺がトムを意識して見るようになった後だった。じゃれあいながらふと見下ろすと、その瞳はキラキラと輝きなから俺を見ていた。そして、俺は気付いてしまった。瞳の奥に光が宿っているのは照明のせいだけではないことに。
その瞬間、身体の内側から初めて感じる衝動が溢れ出して全身を満たし、火に吸い寄せられる虫のようにその輝きに惹き付けられて、身体は勝手に動いてしまっていた。
重ねた唇はほんの少し冷たかった。確かな弾力を感じながら唇をゆっくりと離すと、トムは動揺に瞳を揺らしながらじっと俺のことを見つめていた。
その表情で更に腹の奥がカッと熱くなり、二度目は自分の意思で口付けた。トムは今度も抵抗しなかった。恐る恐るといった様子で俺の服の端を掴み、静かに与えられる熱を受け入れる。
そこから先へと進むのにそう時間はかからなかった。
一つ一つ確かめ合いながら、俺たちは確実に間違いを重ねていく。どこが引き返せる最後のラインだったのか、もうわからない。いや、何度同じ時間を繰り返したとしても、引き返せる時点なんてないのかもしれない。
ほら、だから今、俺の性器はトムの体内に収まっている。
熱く滑る粘膜が陰茎を包み込む。昔は興味すらなかったはずなのに、今となってはすっかりアナルの感触にも慣れてしまった。確認しなくても腰を動かすだけで前立腺を刺激することだってできる。
トムだって今は――いや、トムがどうなのかはわからない。
元々その気があったのか、俺と同じように男と寝ることなど考えたこともなかったのか。ふとそう考えて、馬鹿馬鹿しくなって小さく笑った。そんなことを考えても意味がないし、今までだって考えたことだ。答えなんて関係ない。
ただはっきりしているのは、初めはトムのそこは、全く慣れていなかったということだ。
定期的にキスを交わすようになって、セックスまで辿り着くのにそう時間はかからなかった。触れれば触れるほど衝動は増すばかりだったし、トムは一切抵抗しなかったからだ。
ただ、その先に何があるのか興味があった。
その衝動を若気の至りと言ってしまえばそれまでだろう。そこまで辿り着いた時に何が起こるのかなんて考えもしなかったんだから。
初めて抱いたとき、トムはひどく痛がった。
それに胸を痛めた反面、その瞳に浮かんだ涙や真っ白な肌が赤く染まっていく様子に興奮したのも事実だった。トムが“かわいそう”な顔をしているのを見ると、どうしようもなく腹の中を何かが駆け巡り、体温をあげる。
女相手にそんなことを思ったことはなかった。愛するひとには笑っていてほしいと、そう思うのが当たり前だと思っていた。
自分の中にある嗜虐心に気が付いた瞬間、背筋をぞわりと冷たいものが這っていく。そして、俺はまた思ってしまう。
『こんなはずじゃなかった』
そう思うのに、俺は自分を止められない。
喘ぎながら涙を流すトムを離してやることができない。その瞳が俺を受け入れないことに堪えられない。
ゆるゆると腰を動かしていると、小さく声をあげながらトムはぼんやりと空中を見つめていた。
自分も考え事をしておきながら、何を――と言われるだろうが、それでも俺の腕に収まっておきながら、どこかに行ってしまいそうなトムを許せなかった。
俺は、こんな男だっただろうか?
「よそ見なんて余裕だ、なっ」
「あっ……!クリス、そんな、急に……っ」
「トムが集中してないからだろ?」
「あっ、ぁ、ん、ッ……ひぁっ……!」
トムの腰を持ち上げて奥を抉るように腰を押し付けると、トムは髪を振り乱しながら声をあげる。
その声の甘さに後押しされて何度も肌がぶつかるほど腰を振った。トムの後孔は擦る度にうねって、元々性器だったかのように陰茎にまとわりつく。少し捲れて真っ赤な粘膜が見えると、それだけで下半身が熱くなった。
硬くなった陰茎の先端からぽたぽたと透明の液体を流しながら、トムは必死にシーツにすがり付いて快感をやり過ごそうとしている。
逃げ場を無くしてやりたくて、トムの脚を掴んでひっくり返した。体勢を変えた時にごり、としこりが抉れてトムが悲鳴に近い声で喘ぐ。
大きく開かれた瞳から涙が溢れ出してこめかみを伝っていく。
その瞬間、トムの陰茎からは白濁した液が流れ出ていた。勢いよく吐き出された精液がベッドもトムの身体も汚す。赤く染まり、汗で艶が増したトムの肌に精液の白がよく映えた。
は、は、と短い呼吸を繰り返してトムは視線を天井から俺へと移す。ゆるりと開いた口元が微かに弧を描いた。
「ひどいな……いきなり体勢を変えるなんて……」
「でも、ようやくこっちを見た」
「ふふ、後ろからじゃ見れないよ」
「それでも」
そう言って唇を食むと、トムはそれ以上何も言わずに笑みを浮かべる。
トムの長い脚が俺の腰から太ももまでをゆったりとなぞり、その感触で陰茎が脈打つのが自分でもわかった。それに呼応するように性器を包み込む粘膜が吸い付いてくる。
腰まで甘い痺れが走り、我慢できずに再び体内を穿った。今度は前立腺よりも奥深くを狙って腰を打ち付ける。
達したばかりのトムはすぐに甘い声をあげ始めた。
それに誘われて、更に奥まで挿入できるように、ぴったりと腰がつくまで性器を擦り付ける。
お互いしか見えないように顔を寄せ合いながら抱き合い、トムの中で射精した。
*
二人とも満足するまで抱き合った後は、しばらくベッドの上で過ごすことが多かった。
裸のまま抱き締め合ってキスを交わすこともあれば、ピロートークもそこそこにシャワーを浴びにいくこともある。その時によって様々だ。
今日も二人とも射精して、トムの体内から流れ出ていた精液の処理をして横になっている。散々揺さぶられていたトムの髪は乱れて、額に影を作っていた。
手を伸ばして髪を整えてやろうとしても、柔らかな巻き毛は指の隙間を通り抜けてするりと滑り落ちてしまう。
それがなんだか面白くて繰り返していると、トムは真似をして俺の髪に手を伸ばした。短くなった髪はもう顔にかかることはない。それを少しだけ残念そうに眺めた後でトムは手を引っ込めた。
それだけの仕草なのに、少し遠くに感じて俺はトムの額にキスをする。
それにトムが笑ったのを確認してから、邪魔だからとはずしていた眼鏡をトムに返すためにベッドサイドに手を伸ばした。
眼鏡を取ろうとしたところで、その隣に置いていた自分のスマートフォンのランプが光っていることに気が付いた。一定の間隔で光るそれは、メッセージの受信を意味している。
眼鏡を手に取ってトムに渡し、次いでスマートフォンを手に取る。画面の明かりを点けると、確かに不在着信の履歴と受信マークがついていた。
それは家族からのメッセージだった。何か緊急事態だったらまずいな、とメッセージだけ確認しようとアプリを開く。そこにはムービーが添付されていて、何かまたふざけてるんだろうと察し、簡単な返事をしようとして、そのつもりはなかったのにムービーを触ってしまっていた。
『Dad!――』
子供の甲高い声が室内に響いて、俺は慌てて映像を止めた。血の気が一気に引いていく。
そのまま返事をせずに画面を閉じて置いてあった場所に戻した。
「……悪い」
「大丈夫だよ。子供たち、元気そうだね」
目を合わせることもできずにそう言った俺にトムは微笑んだ。
これが撮影現場なら、他の誰かがいたなら、何の問題もなくその話題に乗れただろう。だが今いるのはベッドの上で、目の前にいるのは裸で俺の精液を後孔から垂れ流しているトムだ。
どう答えたらいいのかわからず、俺は苦笑を浮かべながら「ああ」と短く返事をした。
二人の間に沈黙が降りてくる。
再び寝そべる気にもなれず、かといってベッドを離れる気にもなれず、ただただ空気が重くなっていく。
唾液を飲み込む音すら聞こえてしまうんじゃないかという静けさの中で、トムは半分吐息のような小さな声で呟いた。
「僕が女だったらよかったのに」
ぽそりと吐き出された言葉は、沈黙の中に染み渡るようだった。
たったそれだけの言葉がちくりと胸に突き刺さる。それと同時に、トムがそんなことを言うなんて珍しいな、と思った。映画や小説に出てきそうなチープな言葉。
彼らしくないそのセリフの続きを待ちながら、後に続く言葉を想像してしまう。
『子供を産めたのに』か?それとも『彼女から奪うこともできたのに』?
そんなところだろうか。ひどく感傷的でトムらしくないとは思うが、それを言い出したとしても咎めることはできない。
どう答えるべきかと考え始めたそのとき、トムは少しだけ寝返りを打って俺の方を向いた。再びゆっくりと唇が開く。
「そうしたら……」
本当に一瞬だけ、トムは迷ったようだった。わずかに目蓋が伏せられて、それから持ち上がる。俺を見ているトムはどこか穏やかさすら含んだ瞳で、困ったように笑っている。
「そうしたら、こうやって会うこともできなかったのに」
その言葉は俺が想像していたよりもずっと深く、胃の奥の方に刺さった。
トムの瞳がただただ真っ直ぐに俺を見ていて、心臓がどくりと跳ねる。すぐに言葉は出てこなかった。
言うべき言葉が見つからず、思考だけが頭の中を駆け巡る。
新たな沈黙が長引けば長引くほどトムがこの手をすり抜けて行ってしまう気がして、急にそれが恐ろしくなって、身体は勝手に手を伸ばしていた。
赤くなった頬を撫でると、指をあたたかい雫が濡らす。
そして、そこでようやく気が付くんだ。
ああ、俺はまた、間違えたのか。