IW会見映像で滾りすぎた結果の産物。短い。ヘムのやきもちの話。
「何話してたの?」
突然背後から声をかけられて驚いた。
賑わっていたステージも会見が終わってしまえば静かなもので、もう誰も残っていないと思っていたから物陰に人がいるということ自体が衝撃だった。
恐る恐る振り向くとそこにはブルーのスーツ姿の男が立っている。
見知った顔に安心して息を吐いた。
「クリス……もう皆と行ったと思ってたよ」
「トムを待ってたんだよ。なぁ、ジェフと何話してたの」
隣に並んだクリスは僕の全てを暴いてしまうように、瞳の奥を覗き込んでくる。
久しぶりに見たその瞳につい鼓動が高まってしまって、それを無理矢理隠して笑顔を張り付けた。
「何って、挨拶してきただけだよ。普通の、日常会話」
「ふーん。挨拶ね」
「何?」
「随分長いこと話してたからさ」
いつまでも同じ場所に留まることも出来なかったので、ゆっくりと二人並んで歩き出す。
何気ない顔で話しているのに、クリスの物言いはどこか刺々しくて彼らしくない。何かしただろうかと考えてみるが、そもそも二人になる時間がなかったから心当たりがあるはずなかった。
考えるほどにわからなくなってしまって、一度思考は中断して会話に戻る。
「久しぶりに会ったから、つい止まらなくなっちゃって」
「……ジェフは優しいしな」
「うん、そうだね」
「年上で芝居も上手くてハンサムで紳士で、おまけに背も高い」
「うん……?」
「トムはよくなついてたし」
なつくって、そんな子供じゃないんだからと思わず笑いそうになってしまったけれど、隣を歩くクリスはそんなテンションではなかったから、かろうじて口角が歪む程度で押し止めた。
改めてまじまじと横顔を見ると、普通の表情を装いながら微かに眉間に皺が寄っている。
もしかして。一つの可能性に行き当たり、思わず思い切り笑いそうになってしまった。
「もしかしてクリス、妬いてる?」
「ああ、そうだよ。トムは無防備過ぎる」
素直に白状した声音に不機嫌さが滲み出ていて、中々見られないものを見たような気がして、少しだけ嬉しくなった。
それでも30代後半の男に対してその発言はどうかと思い、嬉しさの中に苦笑が混じる。大の男に無防備も何もないだろう。
「クリス、僕は男だよ」
「知ってる」
「背も高いし」
「知ってる」
「体だって鍛えてる」
「それも知ってる」
「37歳のひげもじゃのおじさんだ」
「ひげもじゃのおじさんにしてはセクシー過ぎるな」
「……それは君には言われたくない」
どっちがセクシーだと思ってるんだ。
そんな、首筋がすべて見えるような服を着て、僕が何度そこに目を奪われたか知らないくせに。
つい首から鎖骨にかけてのラインを見てしまっていると、それに気付いたクリスと目が合った。
それまで冷静に話せていたのに、むしろ彼を説得しているくらいだったのに、急激に顔が熱くなっていくのを誤魔化すように一気に捲し立てる。
「とにかく、彼とそういうことはないよ。ありえない!」
「ありえないなんて言い切れないだろ」
「ありえないよ。彼は既婚者だよ?ノーマルだ。男に手は出さないよ」
「俺だってトムに会うまでは男に興味なんかなかったよ」
「それは、いや、うん。確かに僕もそうなんだけど……」
そう言われてしまうともう何も言えない。
僕もクリスもずっと恋人は女の子ばかりだったし、これから先もそうだと信じていた。なのに、なんの因果なのか、お互いに初めて好きになった男が相手だった。
そんなのはなかなかのレアケースだと思うのだけど、それを例に出されると絶対にないと言い切ることは出来なくなってしまう。
続けるべき言葉が無くなってしまった僕は、説得を諦めて彼の表情を窺うことに専念することにした。
「ねぇ、今回はどうしてそんなに、その、」
「妬いてるかって?」
「あー……うん、そう」
「知りたい?」
「……うん」
彼の足がぴたりと止まる。
急な動きについていけず、僕が少しだけ前に進んだ位置で止まった。
振り向いて彼の答えを待つ。
クリスはそれまで表情から一変して、深い笑みを湛えている。
「これでも心配してたんだよ」
そう言いながら今度はゆっくりと足を進め始めた。じりじりと距離が縮まっていく。
「俺は急に合流出来なくなっちゃったし」
目の前に来たところで歩みを止められ、向かい合ったまま立ち尽くす。
「あいつもいたしね」
「あいつ……?もしかして、ベネディクト?」
「随分楽しそうにしてたから」
「でもそれは、仕事だし……」
距離が近いせいで段々と小声になってしまって、もうひそひそ話と言ってもいいくらいだ。
囁き声のせいで違うシーンのことを思い出してしまって、じわりと瞳が潤んでしまう。彼に慣らされてしまった故の生理現象だ。
「わかってるけど、俺は早く会いたかったし、トムの隣にいられないのが悔しかった。トムは?」
「そんなの、聞かなくたってわかるくせに」
君に会えないとわかった瞬間、どれだけ落胆したか。期待していた分ショックもとても大きかったし、僕だってとても心配した。
僕の答に満足したのか、彼の顔を覆う笑みが幾分柔らかいものへと変化する。
「うん。でもトムの口から聞きたい」
「……僕だって、君に会いたくて仕方なかった」
そう言うと、目の前の顔が、本当に幸せそうに笑った。
久しぶりに間近で見るその表情に、幸福感が溢れ出す。そしてそれは同時に飢餓感にも繋がっていた。喉の奥の方が渇いて、もっともっとと何かを求めて訴えている。
クリスも同じなのか、彼のしっかりと張り出した喉仏が上下した。
「トム」
そう囁かれた瞬間、クリスの声と被さって、後ろから大きな声で名前を呼ばれる。やましいことはしていないはずなのに、思わず体が跳ねた。
「時間だ。呼ばれてる」
ついさっきまで同じ空気を纏っていたはずの男はすぐに切り替えて、いつものクリスに戻っていた。
ほら。と、肩を軽く叩かれる。
頷いて踵を返し、急いで向かおうとしたところをぐっと肩を掴まれた。
「忘れてた」
「え?」
何を?と聞こうとして、出来なかった。
その前に彼の唇が耳元に寄せられていたからだ。
「またあとで」
潜められた声と一緒に吐息が耳にかかって、背筋を何かが走った。
振り向くとクリスはもうよそ行きの顔をして、にこやかに手を振っている。
『連絡する』
と口パクで告げて、それが正しく伝わったのかもわからないまま自分を呼ぶ声の主に向かって走った。
彼の息がかかった耳が、触れた肩が、熱い。
そして触れられてもいない身体の奥深いところまで、熱を持って反応してしまっている。
遅くなった言い訳をしながらも、頭の中は夜すべてが終わった後のことでいっぱいだ。
ああ、夜を迎えるまでも、迎えた後も、果たして僕は無事でいられるだろうか?