ゆるしの日

ハロウィンの平和な壮年ゲラアル。いたずらと甘やかしたい人たち

 どうせそのうち戻ってくるだろう、と高をくくったゲラートが主不在の部屋に無断で忍び込んでから小一時間。待ちくたびれた頃に帰ってきた部屋の主であるアルバスは、ソファでくつろぐゲラートの姿を見つけた途端にぱっと表情を明るくして、にこやかに、そして高らかに声をあげた。
「トリック・オア・トリート!」
 その掛け声に瞬時に答えられず、ゲラートはぱちぱちと瞬きを繰り返す。直前まで生徒や同僚と過ごしていたはずのアルバスがなんともとんちんかんな恰好をしていたからだ。いつも耳が見えているはずの顔の両サイドからはもふもふの毛におおわれた長い耳が生えて肩の下まで垂れており、ジャケットには普段持ち歩いているものより一回り大きい懐中時計が下げられている。それ以外は普段と変わった様子は見受けられないが、ゲラートの目線はアルバスの足元から頭の先までを何度も往復している。
「ゲラート、ほら、トリック・オア・トリート」
「……私が菓子を持ち歩いていると思うのか?」
「だろうね。なら……ふふ、いたずらを受けてもらおうか」
 アルバスはいかにも楽しげに両手を持ち上げ、くるりと手を回してみせる。そうして差し出された手のひらには、いつの間に取り出したのか、手のひらと同じくらいの高さがあるカラフルな瓶が左右それぞれの手に一つずつ乗っていた。アルバスはそれをずい、とゲラートの前に差し出す。
「好きな方を選んで飲んでくれ」
「効果はなんだ?」
「それを言ってしまったらいたずらにならないだろう? さあ、ほら」
 ゲラートの前には謎の液体が入った瓶が二つと、期待に目を輝かせている恋人がひとり。
 小さくため息をついて、ゲラートは向かって右側の瓶を手に取った。そして、ろくに確認もせず、ふたを開けて中身を一気に煽る。
「あ」
 最後の一口を飲み干す直前にアルバスが小さく声を漏らしたのが気にかかったが、すべては後の祭り。薬品独特の苦みがある液体を最後の一滴まで飲み干したゲラートは、全身が熱を帯びていく感覚を覚えて大きく息を吐いた。それから間もなくして皮膚がねじれ骨が軋み、内臓が焼けるような苦痛に襲われる。その違和感に耐えていた時間はほんの一分程度だろう。全身に感じていた熱が引いていき、すっかり違和感も消え去ったところでゲラートが目を開けると、不思議なことに、これまでとは違う世界が広がっていた。
 何もかもが大きく感じるのだ。座っていたソファも、部屋の壁に並ぶ本棚もランプも、目の前に立つアルバスさえも、頭部が遥か遠くにある。ゲラートは冷静に周囲を観察し、続けて自身の体へと目線を落として、予想が当たっていることに舌打ちした。
「……若返り薬だな」
 ゲラートは間違いなく縮んでいた。だが、単純にサイズが小さくなったのではなく、肉体年齢が下がって子供になっていたのだ。ホグワーツの一年生と同じくらいの年頃だろう。着ているスーツ一式は何もかもが大きくなってしまい、袖をたぐらなければ手を出すことさえできず、ズボンもベルトも何もかもがゆるい。ぽつりと呟いた声まで幼く、高くなっている。
 顔をしかめたゲラートが握りしめたままの――今や手のひらには収まらなくなった――瓶を改めて検分すると、瓶の首にタグが引っかかっていることに気が付いた。そのタグを小さな手でつまみ、裏面を見ようとひっくり返す。そして、そこに書いてある文字を読んでがっくりと肩を落とした。

 《DRINK ME》

「……アリスか」
「ご名答! 意外だな。君がマグルの文学を知ってるとは」
「私だってそれくらいはわかる」
 不満げに呟くゲラートが見上げた先には、やはり耳を生やしているアルバスの姿がある。
「それでうさぎということか」
「ああ、今年の催しでね。マグルが我々の仮装をするんだし、我々がマグルの文化を真似てみるのも面白いだろう?」
 なるほど、とゲラートは忌々しげに頷く。これ見よがしにぶら下げている大きな懐中時計も仮装の一部だったというわけだ。噂に聞く物語のうさぎとアルバスについているうさぎの耳の種類は違う気がするが、それはまあいい。不思議の国のアリスのうさぎに縮むドリンク、とくれば、アルバスの手に残ったもう一つの瓶の中身も予想が付いた。
「ということは、そっちが大きくなる薬か」
「これまた正解だ。グリンデルバルドくんに十点! ああ、正確には老け薬だがね」
「まったく……そっちの方がまだましだったな。これでは身動きが取れない」
 脱げかけて足元でしわくちゃになっているズボンの裾を手繰り寄せながらゲラートが愚痴る。小さな手が不器用に布をまくる姿を見たアルバスは小さく苦笑して膝をつき、老け薬の瓶を床に置いて、ゲラートの手が掴んでいる布を引き受けて手足が出るように折りたたみ始めた。
「まさか全部飲んでしまうとは思わなかったんだよ。生徒たちには一滴ずつあげてたし……」
「瓶ごと渡されたら飲むだろう」
「う……面目ない。少し浮かれてたんだ」
「……まあいいさ。解毒薬もあるんだろう?」
 手足をアルバスに預けながらゲラートが尋ねると、アルバスは裾をまくる手を止めてゲラートの顔を見た。その眉尻が情けなく下がる。
「もう戻ってしまうのか?」
「当然だ。こんな体じゃ不便極まりない。なんだ? まさか、少年愛の気もあったのか? アルバス」
「やめてくれ、そんなわけないだろう。ただ……」
 途中で言葉を止めたアルバスの手がゲラートの顔に向かって伸びる。丸みを帯び、赤みがふんだんに滲む白くて柔らかい頬をその手のひらで包み込んでそっと撫でる。
「……もったいないじゃないか」
 その小さな囁きにゲラートが首を傾げたのとほぼ同時に再び華やかな笑みへと表情を変えたアルバスは、むに、とまろい頬をつまんで楽しそうに声を弾ませた。
「そうだ。せっかく来てくれたんだ、菓子はどうだ? 子どもたちに配ろうと思って用意したのはいいんだが、ついつい買いすぎてしまってね。ひとりじゃ食べきれそうにない」
「いや、結構だ。甘いものは食べないと知っているだろう」
「それは〝今〟の話だろう? この姿なら違うかもしれないぞ? ほら」
 そう言ってアルバスがポケットから取り出した一口大のチョコレートの包み紙を、ゲラートは渋々といった様子で受け取り口に含んだ。眉間にくっきりと刻まれたしわがわずかに緩む。
「たまにはこういうのもいいだろう?」
「少しはましだというだけだ。別に美味くはない」
 ゲラートはふん、と息を吐いて不本意だと示してみせたが、子どもの姿ではそれも拗ねているようにしか見えずどうにも可愛らしい。その様子からまんざらではなかったのだと理解したアルバスもまた笑みを深めて隣に腰掛けた。
「ほかにもいろいろあるぞ。どれがいい?」
 アルバスが先程と同じようにポケットをまさぐると、いろいろな種類のクッキーやキャンディが次々と飛び出してきた。アルバスの両手いっぱいに積まれた菓子の数々は、薄っぺらいポケットから出てきたとは思えない量だ。こんもりと山になっている差し出された菓子を見下ろすゲラートの顔が引きつる。
「こんなことのために空間を拡張してるのか」
「こんなこととは心外だな。ハロウィンは大事な行事じゃないか」
 アルバスは自信満々に答えたがゲラートの表情は変わらない。アルバスは苦笑して、キャンディひとつを残して菓子をポケットに戻した。その反応を意外そうに見つめるゲラートに「こういうのは無理強いしても仕方ないからね」と告げてキャンディを自分の口に放り込み、空いた手でゲラートのやわらかなブロンドを撫でる。
「紅茶でも淹れようか。それなら君も好きだろう?」
 言いながら立ち上がろうとしたアルバスの袖をゲラートの小さな手が引いた。わずかな重みによって再び腰を下ろしたアルバスが首を傾げて隣の少年を見下ろす。少年は、まるい色違いの双眸でアルバスをじっと見ていた。
「この姿の何がそんなにいいんだ?」
 アルバスは一瞬、言葉に詰まってしまった。
 ゲラートは純粋に疑問を抱いている。魔法も大人のように使えず、動き回るにも不便な幼い体をアルバスが惜しむ理由が本当にわからないのだ。
 その、ある種まっすぐともいえる、利便性でしかものを考えられない少年を見つめるブルーの瞳がゆっくりと細められていき、目尻にしわが集まる。
 アルバスの表情が変化した理由も理解できずにゲラートは言葉を重ねる。
「惜しむほどの何かがあるのか?」
「能力がどうとか損得とか、そういうことじゃないんだ、ゲラート。この頃の君には会ったことがないからね、愛しい人の新たな面を知れて嬉しいだけなんだよ」
「……それなら私だって、君の子どもの頃は見たことがない」
「ああ。だが、それはまたの機会に。君が薬をすべて飲んでしまったからね」
 ソファの端に無造作に置かれた空き瓶にアルバスが視線だけを向けると、その視線を追っていたゲラートの唇がつんと尖る。そのしぐさの幼さにさらに目を細めたアルバスが再び頭を撫でると、ゲラートは眉間のしわを深くしてその手を払った。ぱし、と肌がぶつかる乾いた音が鳴るのと同時に、床に置いたままになっていた老け薬入りの瓶がぐらりと浮き上がり、いささか不安定な挙動でゲラートの手の中に飛び込んできた。それを両手で受け取ったゲラートはためらうことなくふたを開けて口をつける。
「あ、こら」
 アルバスの制止などものともせず、細いのどがこくり、とわずかに上下する。一口分だけ薬を飲み「まずいな」と呟いたゲラートが口元を拭って瓶のふたを閉めると、小さかったゲラートの肉体がまた変化の兆しを見せた。
 全身からふっくらとした丸みがなくなっていき、手足が伸びて、肩も顎も骨の形がはっきりと表れ始める。
「こんなものか」
 不格好にまくられた袖から飛び出す自分の手足を眺めながら、ゲラートは誰にともなくそう言った。年の頃は十六、七といったところだろうか。アルバスにとってはあまりにも覚えのある外見だ。
 動揺を見抜くかのように、おかしそうに細められたゲラートのオッドアイがアルバスを捉える。
「どうだ? 懐かしいだろう?」
 先程の意趣返しとばかりにゲラートの手がアルバスの頬を包む。豊かなひげと肌の境目を指の腹でそっと撫でられたアルバスの肩がぴくりと揺れた。それを見逃さなかったゲラートのまなじりがいっそう細くなる。ゲラートはわざとらしく若い頃のように口調を変えて顔を寄せた。
「あの体じゃ何もできなかったけど……ほら、今ならいろんなコトができる」
「やめてくれ、ゲラート。子どもとどうこうなる趣味はない」
「ひどいな。僕に教えたのは君なのに」
「……っ、あの頃は私も子どもだった……!」
「なにを焦ってるんだ、アルバス? 僕は別に責めてなんかないさ。むしろ感謝してるくらいだ」
 じりじりと距離をつめていくゲラートから顔をそむけるアルバスの頬は常より赤い。間近で見つめているゲラートがその変化に気付かないはずがなく、いたずらな笑みは深まっていくばかりだ。
 そんなゲラートの表情をちらりと盗み見たアルバスは観念したかのように大きく息を吐き、両腕を大きく広げてゲラートの体を抱き込んだ。そして、勢いに任せて背中からソファに倒れ込み、ゲラートを抱えたまま仰向けに寝転がる。
「今はここまでだ。これ以上はしない」
「……こんなに脈は速いのに?」
「仕方ないだろう。……覚えてるんだから」
 かすかに触れた首筋から感じる鼓動を揶揄してゲラートが吐息で笑う。アルバスの腕の中でもぞりと身じろぎ、さらに顔を近付けて、だらりと垂れたうさぎの耳元でそっと囁く。
「なあ、アル、少しならいいだろ? 今の僕なら、この姿のまま、あの頃よりも君を愛せる」
 アルバスは小さく、ぐう、と唸ったが頷きはしなかった。だが、肌はじわりと熱を帯びる。その変化を感じながら、もう一押しかと思案したゲラートは追い打ちをかけるべく息を吸い込んだ。
 しかし、声を発する前にアルバスの両手が背中を離れた。かと思うとゲラートの頬を包み込み、次の瞬間にはアルバスの唇が優しく髪に触れていた。親が我が子にするように、ささやかなぬくもりが触れて離れる。
 ゲラートは思わず顔を上げていた。きょとん、と目を大きくして、覆い被さったままの体勢でアルバスと向き合う。
「……私は君の息子にも生徒にもなったつもりはないんだが」
「私もそんなふうに思ったことはないよ。君は最高の理解者で、唯一の恋人だ」
「なら子ども扱いはやめてもらおうか」
「そんなつもりじゃないんだがなぁ……私だって、恋人を甘やかしたいと思っても構わないだろう?」
 アルバスの声は吐息交じりの囁きになり、頬を包んでいた手がやわらかなブロンドをするすると梳く。
「特に……この頃は、君に甘えてばかりだったからね。君はまだ子どもだったのに、私はちっとも年長者らしくはいられなかった」
「それの何が悪いんだ。私がそうしたかったんだ。君を甘やかしたかった」
「ああ、そうだな、感謝してる。でもたまにはその権利を私に譲ってくれてもいいだろう? 今日はいたずらが許される日なんだ。付き合ってくれないか」
 苦笑とまではいえないがどこか苦さが混じるアルバスの微笑みを見たゲラートは、少しの沈黙のあとでそっとため息をついた。体の力を抜いてアルバスの肩に顔をうずめてから再度顔を上げて、二度目のため息と一緒に諦めの声も吐き出す。
「仕方ない、今日だけだ。日付が変わる前には解毒剤を出してくれよ」
「ああ、もちろんだとも」
 頷き、ブロンドを撫で続けるアルバスの声は穏やかだ。
 今の外見では親子ほどの年齢差があるが、ゲラートを見上げる瞳は初めて出会った頃と何も変わらず、同じ種類の熱をはらんで輝いている。かつて、出会って間もない頃、何度も吸い込まれそうだと思い、実際に数えきれないほど惹き込まれてきた。胸の内に湧きおこる変わらぬ衝動にほんの少しの懐かしさを感じながら、ゲラートはゆっくりと顔を寄せる。
 だが、唇が触れる直前にアルバスの手が二人の間に挟み込まれ、ゲラートはむぐ、と情けない声をあげるはめになってしまった。
 アルバスは苦笑しつつもはっきりと宣言する。
「キスはなしだ」
 手のひらでふさがれた口の中で、ゲラートは小さく舌打ちした。

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