なんかなんとかなって一緒にいる平和なゲラアル。らくがきとしてTwitterで公開したもの
彼がキスが好きなのだと知ったのはごく最近のことだ。いや、おそらく若い頃からその傾向はあったが、知る機会を手放してしまっていたのだ。様々な事象を経て数十年越しに時間を共有することになって、ようやくそのことに気が付いた。それだけの話だ。
唇はもちろん、頬にも額にも手にも、ゲラートは惜しみないキスを贈る。私が黙って受け入れるときも、くすぐったさに笑ってしまうときも、その反応を引き出すこと自体を楽しんでいるようだった。頬へキスをするときは「ひげが邪魔だ」と苦情を言われることもあったが、どんなに顔をしかめていようとも、ひげを剃るように説得されたことはない。互いの肌を通じて感じる違和感や不快感も、彼にとっては触れ合いを楽しむ要素のひとつでしかないらしい。そもそも、それを感じることすらできない日々の方がずっと長かったのだ。ただ触れ合えるという事実がどれだけ大きな意味を持つのかは想像に難くないだろう。
そして、それは私にとっても同じことだった。彼から与えられるものはどんなものでも心躍る。ゲラートの唇が優しく唇に触れる瞬間も、遊びを仕掛けるために首筋をくすぐる瞬間も、鼓動の高鳴りと共に愛おしさが全身に満ちていくのを感じる。本当に、すべてが愛おしく胸の内を締め付けるのだ。紳士然とした指先へのキスも、大事なものを守るかのように額に与えられるキスも、行為へと導くための明確な意図をもった胸元へのキスも、それこそ他人には晒さない場所へのキスも――彼の唇が肌に触れる瞬間を、いつだって待ちわびている。だが、私が特別に好んでいるのは、そういったキスとは少し違うものだ。
それは大抵はベッドの上、ときどきは、今のように椅子の上で行われる。私はゲラートの家にある二人掛けのソファに座り、だらしなく上半身を倒していた。腹部に読みかけの本を抱え、目を閉じて、中途半端に横になっている。少し目を休めるつもりでまぶたを閉じたのだが、そのままうとうとしてしまったらしい。意識は夢うつつをさまよい、現実と空想の境があいまいになっていることだけがわかる。そうしていると、ふと、全身を何かが覆い隠した。触れた箇所から感じたのは、さらりと肌をすべる布の感触。続けて、体臭と混じったコロンがふわりと香る。そうして最後に、まぶたにそっと、やわらかなぬくもりが触れて、数秒後にまた離れていった。
私はコロンの持ち主に気付かれないようにそっと微笑む。わざと笑ったのではない。ただ、頬をゆるめずにはいられないだけだ。唇同士を触れ合わせるキスも、情熱を込めたキスももちろん好きだが、私はこのキスをこよなく愛しているのだ。
反応もない、見つめ合っているわけでもない、気付いてもいないかもしれない相手に贈るキス。それをする場所が唇でも額でもなくまぶただなんて、優しい愛情がなければできないだろう。他者を傷付けることを厭わない男にとって、ひとを慈しむ――というのは、こういうことを言うのではないだろうか。彼自身はそんなことを考えてはいないだろうが、そう思わずにはいられない。
さらにゆるんでしまいそうな口元を隠すために、私は全身を覆うブランケットを引き上げて顔の下半分を隠す。もう少しだけこの優しさを享受したら、素知らぬ顔で起き上がってブランケットをかけてくれた礼を言おう。そして、今度は私からもキスを贈る。この気持ちが伝わるように、目いっぱいの愛をもって。