End Time

セイターの若い頃の話。セイターと少しの間ともにいた人。
※暴力描写あり

 アンドレイ・セイターは孤独な男だった。親兄弟は早くに亡くし、恋人と呼べる相手もいない。愛する人間を持たない代わりに、強い野心を抱いている――そういう男だった。
 それを知ったのは出会って三日目の、仕事の休憩中のことだ。ほとんど二人きりで作業をこなし続けて三日ともなれば気が緩んだんだろう。それまでは互いに必要以上に関わろうとしてこなかったのだが、沈黙の合間にぽつりぽつりと言葉を交わすようになっていた。
 瓦礫の山の一角に腰掛け、絶景とはほど遠い荒れ果てた大地を眺めながらセイターが俺に問う。
「なんでこの仕事に?」
「金がいいから」
「モノが見つかれば、だろ?」
「じゃあ、あんたは? なんでここにいる?」
「そりゃあ、金がいいから」
 くくっ、と喉の奥で笑って、セイターはこともなげに答えた。当然だ、それ以外の答えがあるはずもない。誰が好き好んでこんな仕事を選ぶものか。現に、作業の危険性をよく理解している雇い主はこの場所に近付こうともしないじゃないか。
 わかりきった応酬が馬鹿馬鹿しくなった俺はそれきり黙り込んだ。すると、少しの間をおいて、砂埃が混ざった乾いた風を受け止めながら、セイターは先ほどよりもぶっきらぼうに「さっさとこんな仕事は終えたい」と言った。横目で盗み見たそのまなざしは、どこか遠くへと向けられている。
「終えてどうするんだ。次のあてはあるのか?」
「ねぇよ。ないからどうせ、またここに来ることになるんだ。お前だってそうだろ?」
 俺はそれには答えなかった。セイターはしばらく俺の様子を見てから、ふん、と鼻で笑って、やはり投げやりな物言いで「こんな場所、とっとと出て行ってやる」と呟いた。
 それが俺に向けた言葉じゃないことはわかっていた。〝こんな場所〟とは、この瓦礫だけがごろごろと転がっている廃墟だらけの作業場のことを言っているのではなく、俺たちが暮らす街そのものを指しているのだということも。セイターの口から吐き出された音の響きからすぐにそれを連想できたのは、俺もずっと同じことを思って生きてきたからだ。
 ここ、スタルスク12は捨てられた土地だ。底辺で生まれた人間はここから這い上がることはできず、生き残るためには他人から奪うか、自分の命を危険に晒すしかない。住人の大半は裕福な人間に搾取され、命なんてものは使い捨て。俺たち最底辺で生きる人間は都合のいい道具でしかない。
 絵に描いたかのようなクソみたいな環境だが、自力で生き残るだけの力がある俺やセイターみたいな奴はまだましな部類だろう。家族や守る相手がいる人間はもっと悲惨だ。金銭的負担も身体的リスクも圧倒的に増える。そのうえ、生まれた子どももまた最底辺の使い捨ての命として生きるのだ。
 生まれて此の方、家族なんてものとはとんと縁がない人生だが、そんな足枷を欲しいと思ったことは一度だってなかった。その点はセイターと俺はよく似ていると思う。俺たちは独りであることを嘆いてはいなかった。ここを抜け出すには金が要る。他人を養っている余裕などない――それが、共通する考えだった。
 たいして疲れも取れないうちにサイレンが辺りに鳴り響く。『休んでないで働け』の合図だ。俺はひとつ舌打ちしてゆるめていた防護服を着直し、のそりと立ち上がる。
「おい、行くぞ、セイター」
「くそっ、今度こそプルトニウムの山を見つけてやる」
 不満を口にしながらも、セイターも立ち上がって足を踏み出す。じゃり、と石が擦れる音が足元から聞こえる。俺たち以外に人影はない。砂利、瓦礫、倒壊した家屋に、目を焼く太陽。そして薄汚れた重機。それだけが、今の俺の世界。
 こうしてあてがわれた場所に戻り、日が暮れるまで、出るかもわからないプルトニウムを求めて一心不乱に瓦礫と格闘するのだ。金欲しさに、命をすり減らして。

「こんなの見つかるわけないだろ……!」
 セイターが掘り出したばかりの石を足蹴にしたが、ごろりと転がった巨大な石が音を立てることはなかった。セイターの忌々しげな声だけが周囲に響いたように感じて、俺は顔をしかめ、ろくに見えないだろうことを理解しながらも堪えきれずに睨み付ける。
「おい、聞かれたらどうする」
「聞こえねぇよ、第一あいつらはこんなとこまで来やしない」
 セイターが腕を振り下ろすと、ざく、と土が削れる音がする。俺は怒りを腹の中に溜め込み、作業の手を止めて周囲の様子を窺った。
 今日は朝からひどい天気で、今も大粒の雨が降り続けているせいでめっぽう視界が悪い。暗雲に覆われた空から光が射し込むことはなく、いったん距離を取ってしまうと、人影を見つけることすら困難だ。
 見渡した範囲内に管理者らしき姿がないことにわずかに安堵すると同時に、低く「ふざけるなよ」と吐き捨てる。セイターに聞かれる心配はなかった。視界が悪いだけではなく、防護服に当たっては弾ける水音が邪魔で音も聞き取りにくく、普段よりも声を張り上げなければ会話もままならないからだ。
 足元に転がるコンクリートの断片を睨みつけて小さく悪態をつく。防護服の中がこもって汗が気持ち悪い。いっそのこと脱ぎ捨ててしまいたいが、そんなのは自殺行為だ。
 苛つきながらも、少しでも成果をあげるためにスコップを握りしめた、そのときだ。背後からがらん、という金属音が響いた。
 顔を上げて音がした方を向くと、スコップを地面に放り捨てて歩き出しているセイターの姿が見えた。
「だめだ、次の山を探そう」
 俺の返事を待つことなく重機に乗り込んだセイターは、操縦席に座ってアームを動かし始めた。仕方なく、手にしているスコップを引きずって歩き、場所をあけてやる。
 セイターが動かすアームが、掬い上げた砂利や瓦礫の破片を地面に落としていく。俺はどこかにあるはずのプルトニウムを見逃すまいと、目を凝らしてそれらのゴミクズが地面に落ちていく様を見つめる。
 その中に、何かがあった。円柱のような形のそれは、重力に従ってアームから転がり落ち、砂利の上を回転しながら落ちてくる。
 見たことのない金属の塊を目の前にして、俺は少しばかり動揺していた。
 ――これがプルトニウムなのか。ようやく目的のものを見つけたのか。これを差し出すだけで、これまで得たことのないような報酬が手に入るのか。
 困惑とわずかな高揚感を胸に、俺はスコップを放り出してその金属に近付いた。地面に膝をつき、つなぎ目らしき箇所に手を伸ばして、なかを、あける――……なんだ……? と、頭の中では間違いなく声になっていたのに、実際に言葉が口から出ることはなかった。声が出なかった。円柱の中に保管されていた鈍く光る銀のケース。そのケースの中にあったのはプルトニウムではなかった。そんな、俺にとって価値のないものじゃなかった。曇天の中でも曇ることのない美しい黄金と一枚の紙きれがケースの中にきっちりと納まっている。俺はわずかに震える手で紙切れを手に取り、そして、内容を読むより先に署名を目にしてしまった。
《アンドレイ・セイター》
 ドッ、ドッ、と鼓動のひとつひとつが全身に鳴り響き、頭の中を支配する。何がどうなっているのかわからないが、これが、こんな宝の山が、セイターのものだというのか。こんな惨めな仕事の成果なんか目でもない、一生を変えるほどの財宝を、あいつが……。
「もしかしてあったのか?」
 ――ドッ、ドッ、ドッ、ドッ
 鼓動の音に混ざって足音と声が近付いてくる。そろりと顔を上げて声の主を見上げたが、雨粒と防護服が影を作っていて顔はよく見えない。
「……なんだそれ? プルトニウム……じゃないよな?」
 セイターはまだ黄金に気付いていない。署名も見えていない。自分がこれの所有者だと気付いていない。
 ――ドッ、ドッ、ドッ、ドッ
「おい、なんとか言えよ」
 声がまた一歩近付いてくる。
 ――ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ
 そのとき、耳元で鳴り響く鼓動の音に混ざって、セイターの声が頭の中で聞こえた。
『こんな場所、とっとと出て行ってやる』
 ……ああ、そうだな。そのためにこうして己の命をすり減らしている。俺も同じだ。……だったら、奪うのだって、ありだろう?
 セイターを見上げたまま後ろ手に地面を探り、さっき捨てたスコップの持ち手を握る。微かに地面と金属が擦れる音がしたが、雨音のおかげでセイターには聞こえていない。気付いていない。気付かれていない。運は俺に向いている。
 ぐ、とスコップを握る手に力を籠める。瞬間、

 ――すべての 音が 消えた

 腕を振り上げてしまうとあとはあっという間だった。ゴッ、という鈍い音と、肩まで響く振動を感じたかと思うと、セイターはその場に崩れ落ちた。まだ動くならもう一度スコップを叩きつけてやろうとしばらくの間身構えていたが、その必要はなかった。打ち所が悪かったのか、一撃で地面に沈んだセイターはぴくりとも動かない。やはり、運は俺に向いている。
 黙ってセイターだったものを見下ろしてから、スコップを放り出してケースの中身をもう一度確認する。契約書には『未来』や『タイムカプセル』といった単語がちりばめられていて意味がわからなかったが、要約すると、この契約を遂行すればさらに金が手に入る……ということらしい。ならばやめる理由はなかった。すでに一歩目は踏み出したんだから、今後この手がどれだけ汚れようと構うものか。
 問題はケースの中の金塊だ。すべてを一度に持ち出すのは無理だろう。しかし見つかればすべて奪われる。おそらくは命まで。それに、死体の処理のこともあった。貴重な人手を故意に減らしたと知られたら何をされるかわかったもんじゃない。
 俺は意を決して防護服を脱いだ。どうせ今すぐ死ぬか、少し先に死ぬか程度の違いでしかない。下半身は着たまま上半分をはだけさせ、契約書と、並んでいる金塊のひとつを服の下にしまう。中に着ているシャツはすぐに雨を吸い込んで変色してしまったが、これくらいの荷物なら隠しきれるだろう。すぐにまた防護服を着こみ、今度は残った金塊をケースごと念入りに隠す。あれだけ憎たらしく思っていた瓦礫の山に感謝しながら絶対に見つかることのないようにケースを埋めて、ようやく一つ息をついて立ち上がった。そして、ゆっくりと息を吸い、静かに振り返る。
 死体は変わらずそこにあった。うつ伏せで転がったまま、全身に雨を浴びている。足音を立てないように近付き、その死体の脇で立ち止まって、蹴って仰向けに転がそうと思って……やめた。哀れみなんてものを抱いたからではない。防護服に足跡でもついて俺が殺したと思われると厄介だからだ。だから、仕方なく身を屈めて死体を掴み、勢いをつけて転がした。
 だらりと重力に任せて仰向けになった死体の顔は赤く濡れていた。強く叩き付けたわりに防護服は傷付かなかったおかげで血痕の処理を考える必要はなかったが、その代わり、顔面を覆っている透明なカバーにまで血が滲んでいた。そのせいでやはり目元はよく見えなかった。口元だけはしっかりと見えていたが、うっすらと開いた唇が夢を語ることはもうない。俺も女々しく話しかけたりはしない。俺たちの別れの時間は、それは簡素なものだった。
 黙って立ち上がり、死体に背を向けて勢いをつけて走り出す。大丈夫、と自分に何度も言い聞かせた。どうせみんな使い捨ての駒。作業を管理している奴にとって俺たちは『おい』で『お前』で『そこの』でしかないはずだ。ろくに名前なんか覚えちゃいない。
 詰め所代わりのボロ屋に駆け込み、必死の形相をつくって「もう一人の奴が倒れていて動かない」と訴えると、管理者はひどく面倒そうに舌打ちして立ち上がった。身支度を整え、連れ立って現場に向かう最中も焦っている気配はなかった。そして、それは実際の死体を目の前にしても変わらなかった。
 仰向けに横たわる死体を軽く蹴って反応がないことを確認した管理者の男は、やはりひどく面倒そうな様子で大きくため息をついてから振り向いて俺を見た。
「お前、こいつとは親しいのか?」
「……はい」
 少し迷ってから頷く。
「なら早く引き取りに来いって家族に伝えてやれ。こんなもんがあっちゃたまらん」
「……いません。家族も、引き取りに来るような相手も」
 そう答えた俺を見て少しの間黙ったかと思うと、男は再び視線を死体に戻して、さっきよりも大きなため息をついた。
「なら適当な穴にでも埋めとけ。もう調べ終わった場所とか、なんかその辺にあるだろ。今日の作業は後回しでいいから」
 男はそう言い切ると、俺が頷くより早く踵を返して歩き始めた。ぶつぶつと防護服がひとつ無駄になったとぼやく声が横を通り過ぎていく。声が近付き、徐々に遠のく。そうしてそのままいなくなると思ったそのとき、背後から声がかかった。
「ああ、おい、お前――」
 どく、と心臓が跳ねる。何か怪しまれただろうか。不用意な言動をしただろうか。高まる緊張感を飲み込んで振り向くと、男が半身で振り返って俺を見ていた。そして、同じ言葉を繰り返す。
「お前、あー……」
 男が言葉に詰まったことで、何を探しているのか理解した。ゆっくりと唾液を飲み込み、声が震えないよう、こう答えるのが自然なのだと自分に言い聞かせて声を絞り出す。
「――セイター。アンドレイ・セイター」
「ああ、セイターな。いいか、人員は補充されないだろうが報酬は変わらないからな。まあ、励めよ」
 俺が頷くのを見届けて、男は再び前を向いて歩き出した。その背中が小さくなり始めるまで見送ってから、改めて死体の元へ足を進める。真横に立って無惨な残骸を見下ろしても、もう鼓動の音は聞こえなかった。あれだけうるさかったはずの音がすっかり消えてしまったことを奇妙に思いはしたが、特段違和感はない。続けて、先程の管理者と同じようにため息をつき、上体を屈めて死体の脚を脇に抱える。
 死体はやけに重かった。瓦礫を動かすより遥かに重労働だ。全身に力を込めて引きずっても少しずつしか進めない。一歩足を動かすたびに、ずっ、ずっ、と防護服が擦れる音が聞こえてくる気がしたが、自分の呼吸音と変わらず降り続いている雨音のせいで、本当にそんな音がしていたのかもわからない。
 その行程をやけに長く感じたが、実際には穴がそれほど離れていない場所にあったから事なきを得た。
 掘り起こしたままになっている、ふちが歪で深い穴の前に立ち、勢いをつけて死体を落とした。重いものが転がる鈍い音と、枝が折れるときとよく似た音が同時に穴の底から聞こえてくる。
 見下ろした穴の底に転がる死体は地面と向き合うことしかできず、もうどこも見ていない。まるで地獄の底を覗き込んでいるかのような後ろ姿を眺めているだけで、なぜか笑いが込み上げてきた。どうしても堪えきれなくなり、小さく喉の奥で嗤う。
 孤独な名もなき男は名前のない街で眠りにつき、アンドレイ・セイターは故郷を出て人生を手に入れる。初めから、これがあるべき姿だった。俺たちが出会ったときから。
 なあ、そうだろう? ――友よ。

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