春待つひと

BOOSTのお礼SSとしてお渡ししたもの。
本編「ニールくんと遊園地」と「ニールくんとニール」の間のお話なので、本編読了後の閲覧をおすすめします。

 窓から見える風景を眺めて人を待つ。そんな静かな時間は随分と久しぶりな気がした。
 待ち合わせ場所に選んだカフェには、ほどよい音量でピアノの曲が流れている。耳に馴染む音楽が心地いい。このカフェを訪れるのは今日が初めてだが、いい店を見つけたな、と心の中でひとり頷いた。
 今日はここ数日の間でも特にあたたかく、今座っている窓際の席は日光が当たって少し眩しいくらいだ。そのせいか、それなりに賑わっている店内の中でもこの席の周囲は人の姿が少なく、気兼ねなく話すのにはちょうどいい。
 さっき運ばれてきたばかりの熱いコーヒーを飲んで、何をするでもなく景色を眺める。すると、通りの向こうに待ち人らしき姿が見えた。横断歩道を渡ってカフェに近付いてくるニールは、ニット帽を被り、眼鏡をかけている。そして、ガラス越しに俺のことを見つけて手をあげた。
 見慣れない格好に驚きながらも同じように手をあげて応えると、ニールの歩くスピードが上がる。
 カフェの中に入ってきたニールは、迷うことなく俺の姿を見つけて向かいの椅子に座った。そして、メニューを見るより先に話し始める。
「まだ時間前なのに早いな。僕も早く着いたと思ったのに」
「今日は余裕があったからな。待ちきれなかったんだ」
「じゃあ僕と同じだ。あの子は?」
「友達の家に遊びに行ってる」
「ああ、なるほど。だからこの時間に会えるってわけだ。君もすっかりパパだな」
「そんな立派なものじゃない」
 そんなふうに軽口を叩きながら鞄を下ろし、コートを脱いだニールは、通りかかった店員にコーヒーを注文してから俺の方を見た。じっと見つめて、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
 俺は若干の居心地の悪さを感じて苦笑を返す。
「なんだ?」
「君が呼び出してくれて嬉しいなって考えてる」
「その言い方はなんていうか、人聞きが悪いな」
「だって、実際そうだろ? 二人きりで会うのは久しぶりだし」
「だから、その格好なのか?」
 デートだから雰囲気を変えてきたということなのかと思って訊ねると、ニールはかけている眼鏡を指差して苦笑した。
「ああ、これ? これはなんていうか……念のため、かな」
 濁すような物言いに違和感を覚えて首を傾げる。
 このカフェは、子供のニールと暮らしているアパートから電車で約二十分のところにある。何か問題が起こってもすぐに戻れる距離だし、近所の知り合いに遭遇する確率は低いはずだ。だから、ニールが何を気にしているのかわからなかった。
 俺が疑問を顔に浮かべても、ニールはそれ以上は何も言わない。彼にとってみれば、この近辺は地元のようなものだろう。俺が知らない事情があるのかもしれない。そう自分を納得させて、それ以上問い詰めるのはやめることにした。
 一旦会話に区切りがついたところでコーヒーを一口飲んで、カップをテーブルの上に戻す。そのタイミングを見計らって、ニールは「それで……」と話を切り出した。
「電話で言ってた渡したいものってなんなんだ?」 
「言っておくが、高価なものじゃないぞ」
「値段は関係ないよ。君がわざわざ僕を呼び出してまで渡したいものだぞ。僕が喜ばないと思う?」
 自信満々にそう言われて、ニールのがっかりしている顔をまったく想像していなかったことに気が付いた。随分と勝手なことに、俺は、自分が渡したものに対して、ニールが嫌な顔をすることはないと知っていたのだ。その事実に自分自身で驚く。
 自分の中の驕りを知って、苦笑することしかできなくなる。そんな俺の姿を見ても、ニールは気にしていないようだ。期待が存分に乗っている笑顔を見て、俺はおとなしく鞄に手を伸ばした。
 隣の椅子に置いてある鞄の中から小さな箱を取り出す。片手で持てる大きさの箱に赤いリボンが巻いてあるが、自分の手でラッピングしたため、包装紙はなく、箱もリボンもシンプルなものだ。箱をテーブルの上に置いて、「これだ」と伝える。
 ニールが俺と入れ替わりに箱を持ったところで、さっき注文したもうひとつのコーヒーが運ばれてきた。配膳してくれた店員が去るのを見送ってから、ニールは再び箱に視線を戻す。そして、絡まないようにゆっくりとリボンを解いていった。
 艶のあるリボンがテーブルの上にまとめて置かれる。慎重に箱を開けて、ニールは中を覗き込んだ。壊れ物ではないことを確認してから中身を取り出すと、ニールの手のひらに小さなスノードームが乗った。
「スノードーム?」
 そう呟いて、ニールは手の中のスノードームを揺らした。そうすると、ガラスの中にゆらゆらと雪が降り始める。
 俺もガラスの中の風景を眺めながら、ことの経緯を説明する。
「この前、遊園地に行ってきたから、みやげだ」
「そうか、今ぐらいだったっけ」
「覚えてるのか?」
「全部じゃないけどね、印象的なことは覚えてるよ。それに……迷子になっただろ?」
 そう訊ねてきたニールは視線こそ外しはしなかったが、どことなく恥ずかしそうだ。眼鏡越しに見えるまなざしは、意識して動揺を隠そうとしているように見える。
 幼い頃の言動を恥ずかしがる姿は何度見ても微笑ましくて、俺はつい笑ってしまった。
「そうだな、探すのは苦労した」
「それは申し訳ない」
「お前が謝ることじゃないだろう」
「君だって、昔の知り合いに子供の頃の話を持ち出されたことくらいあるだろ? そんな感じだよ」
 そう言って、ニールはわずかに唇を尖らせた。自分でも覚えてないような赤ん坊の頃の話を、親戚に説明されたときのことを思い出す。確かに、どう答えたらいいのかわからない、微妙な気まずさがあった。
 昔のことを思い出してあいまいに応えると、ニールは「ほらな」と言って、もう一度スノードームをさかさまにした。そして、小さな家に雪が積もっていく様を見ながら「あ」と小さく呟いた。スノードームを覗き込んだまま言葉を続ける。
「これ、君と初めて暮らした家に似てる」
「だろう?」
 同意する俺の顔に自然と笑みが浮かぶ。ニールが自分と同じものを見い出したことが嬉しかったのだ。
 ニールは、雪が積もりきる前に繰り返しスノードームを揺らしている。それから、ガラスの中の家から目を離すことなく、穏やかに微笑んだ。
「懐かしいな」
 ニールはスノードームをテーブルに置き、頬杖をついて小さな家を眺め続けている。俺もニールに倣い、少し身を乗り出してガラスの球体を眺めてみた。そうしていると、当時の記憶が甦ってくる。
 あの頃、俺とニールは恋人と呼べるような関係ではなく……というよりも、それどころではなかったというのが正直なところだ。スタルスク12での任務を終えた直後で、とにかく体制を立て直すのに必死だった。一緒に暮らしてはいたが、同居というよりも、共にセーフハウスで待機していたといった方が正しいかもしれない。
 晴れてお互いの気持ちを確かめ合ったあとも、基本的にはそれぞれの家で暮らしている。任務で同じホテルやセーフハウスに滞在することはあるが、まあ、元々ひとところに留まるような生活ではないから、関係ないといえばそれまでだろう。
 そんなことを考えていた俺を現実に引き戻したのは、次のニールの言葉だった。
 ニールはスノードームを眺めながら目を細めて、ガラスの上部を指先で撫でる。
「……いつか、二人とも全部の役目を終えたら、こういうところに住むのもいいな」
「一軒家?」
「そう。場所はどこでもいいけど、誰にも干渉されない静かなところがいい。ああ、やっぱり嘘。ほどよく静かなところ、かな。静かすぎたら僕はきっと飽きる」
「いつか?」
「そう、いつか」
 同じ言葉を反復しながら、ニールは目線を上げた。それによって視線が交わる。強い陽の光に照らされて、見慣れているはずのブルーグレイが鮮やかなブルーに見えた。
 眼鏡をかけているせいもあって、いつもとは印象が違う。ニールなのにニールじゃないような奇妙な感覚に襲われ、その感覚は、普段よりも俺を大胆にさせた。
「個人的には、いつかじゃなくても問題ないんだが」
「ほとんど自分の家なんて使わないのに?」
「ああ、ちゃんと帰る場所があることの意味は大きい」
 そう答えると、ニールはじっと俺の顔を見た。表情の奥を探るように見つめて、動きを止める。そして、しばらくそうしたあとで、俺から視線を外さずに、雪がやんだスノードームから手をどけた。その手は時間をかけて、テーブルのふちをなぞるようにこちらに近付いてくる。そのことに気付いて、俺も静かに手を伸ばした。
 テーブルの真ん中で指先が触れて、絡まり、手のひらが重なる。そうしている間もお互いに目は離さない。手元を見なくても、相手の指の感触はわかっている。
 俺の指の間を撫でて、ニールは軽やかな声で話を続けた。
「……帰ったら君がいる?」
「ああ。逆のこともあるな」
「じゃあ、君が疲れてたらマッサージしてあげよう」
「なら、俺は食事でも作ろうか」
「それは楽しみだ。……いいね、悪くない。君が、僕がいる場所に絶対帰ってくるっていうのは」
 そう言って、指先で手のひらをくすぐる。俺が同じように手のひらを撫でて、手首の内側をくすぐると、ニールの指先がぴくりと動いた。
 このやりとりをただ楽しんでいるわけじゃないことはすぐにわかった。その瞳の奥には、ブルーグレイ以外の濃い色が隠れている。視線は相手に向けたまま、意識が手のひらに集中する。
 触れ合った当初は違ったはずの二人の体温が馴染み始めて、同じぬくもりを持つひとつの塊のように思えてくる。だが、相手の指は確実に自分の意志とは関係ないところで動く。相手の存在を感じるたびに、俺たちは確かに別のいきものなのだと実感する。
 ニールの指は、触れるか触れないかの繊細さを保って俺の肌の上を滑る。手首や指の間の皮膚が薄いところをなぞられると、むず痒いような、それでいて心地いいような、なんとも言えない感覚を覚えた。
 俺もニールの指の関節や爪を撫でると、小さな反応が返ってくる。それが積み重なっていくと、今度はもっと触れたいという欲求が膨れ上がってきた。だが、ここでどうこうすることはできない。抱きしめることができない代わりに、強く指を絡める。すると、同じだけの強さでニールの指が応えた。
 自分と同じようで違うぬくもりを持つ手を握り締めるように撫でながら、俺はゆっくりと口を開いた。
「……時間は有限だ。いつか、なんて後悔しそうだ」
「早すぎても後悔するかも」
「間違えたと思ったらやめてもいい、やり直すこともできる。だが、時間だけは戻せない」
「それは間違いない。時間は一方通行だ」
 ニールの指の力がわずかに緩む。そして、強く握り締める代わりに、俺の手の甲をゆるゆると撫でた。手の力と同じようなゆるさでニールが囁く。
「じゃあ、どうする?」
「まずは場所だな。それから譲れない条件も。こればっかりは話してみるしかない」
「なるほど。それなら、君があの子との同居を終えるまでに考えておかないと」
「もうすぐなのか?」
「さあ、どうだろうね」
 おそらく答えを知っているニールは、いたずらめいた笑みを見せた。知っていることを教えるつもりはないらしい。
 だが、俺だってそれについては腹をくくっている。今更それくらいで動揺したりはしないし、無理に聞き出すつもりもない。ニールもそれはわかっているのだろう。お互いにそれ以上その話題は口にせず、話題を変える。
 最近見たものや、見つけた店のこと、まだ見ぬ家の話なんかをして逢瀬を楽しんだ。

 数時間、飽きることなく会話を続けていたが、あっという間に子供と約束している時間が迫ってきてしまった。陽が落ちるにはまだ早いが、マイルズの家に迎えに行くことになっているから、間に合うように出なければならない。
 ニールはスノードームを大事そうに鞄にしまい、上着を羽織る。それを見届けてから鞄を背負い、会計を済ませて、二人揃って店を出た。
 駅までの道のりを並んで歩く。冷たい風が時折二人の間を通り過ぎていくが、日光のおかげでそこまで寒くはない。またしばらくはこうやって会えないかもしれないな、なんてことをぽつぽつと話しながら、駅まで残り半分というところまで辿り着いたときだ。不意に、手のひらにぬくもりを感じた。カフェの中で触れたときよりも少しだけ冷えた指が手のひらに触れて、指に絡まる。
 こうして外で手を繋ぐことは珍しく、意外に思って隣を見ると、ニールは困ったときのように少しだけ視線を逸らした。
「君はジョンで、僕はトーマス。だから、今だけいいだろ?」
「もちろんだ」
 そっと手を握り返すと、ニールは静かに顔を綻ばせる。ちらりとこちらを見たニールの白い肌は赤みを帯びていて、目元まで赤らんでいるように見えた。そのことに気付いてしまうと、心臓を強く掴まれたような気がして、自分の目がゆっくりと開いていくのがわかった。それと同時に、俺を見ているニールの瞳に宿る色が変わる。
 ニールは、突然道を逸れた。繋いだままの俺の手を引っ張って、ビルの合間にある細い路地に入っていく。高いビルのせいで陽の光が当たらない路地を進み、通りからは影しか見えないところまで辿り着くと、ニールは俺を壁に押し付けて唇を重ねた。自身の背中で俺の姿を隠すようにして、やわく唇を吸う。
 唇が離れていくと、ニールの目蓋がゆっくりと持ち上がっていく。眼鏡越しに見える長いまつげが微かに震えていた。戸惑いを表すような震える声で、ニールは呟く。
「本当は、ずっとこうしたかった」
「俺もだ」
「カフェにいたときから?」
「ああ、お前が俺の手に触ったときから」
 そう答えると、ニールはくしゃりと表情を崩した。情けないくらいに安堵した顔で「じゃあ、同じだ」と呟く。
 俺があの子と暮らすようになってから、ニールはどれだけ我慢していたのか。自分の幼い頃の記憶と共存しながら、一人の時間をどう過ごしているのかと考えると堪らなくなった。
 繋いでいた手を離し、両手でうなじを捉えていささか強引に口付ける。ニールは抵抗することなく身を寄せてきた。相変わらず通りから見えないように背を向けているが、呼吸が乱れていくのは止められないらしく、唇に熱い息がかかる。
 押し付けるようにキスをして、唇を甘噛みすると、角度が変わったことによって眼鏡が、かちゃ、と小さく音を立てた。そのことにわずかに興奮して、舌を差し出して噛んだ場所を舐める。すると、ニールは自ら舌を出して絡めてきた。
「んっ……」
 雑踏の音に紛れてニールの微かな声が聞こえる。ちゅ、ちゅ、と何度も音を立ててキスを繰り返してから、やっと解放してやることができた。俺もニールも口元が唾液で濡れているし、息が上がっている。見る人が見れば、何があったかはすぐに勘付かれてしまうだろう。
 ニールは潤んだ瞳で俺を見ながら、もう一度指を絡めて手を繋いだ。ゆっくりと顔が近付いてくるが、今度はキスはしなかった。代わりに、額同士が触れ合う。
「……本気にしていい?」
「何をだ?」
「家の話」
「お前は本気じゃなかったのか?」
「半分は……。でも、やっぱり君が帰ってくるのは僕のところだって実感したい」
 そう語る声も表情も真剣で、ニールなりに考えていたのだろうと推測できた。過去の自分と同じ時間を生きたことがない俺には、想像することしかできない。だから、せめて安心できるようにと、しっかり手を握り返した。
「一軒家。庭とトレーニングができる部屋はほしい。お前は?」
「ベッドは大きいのがいい。ソファも。あと、収納は多い方がいいな」
「そうか。なら、そういう家を探そう。いつ帰ってもいい家を」
「それ、いいな。『いつ帰ってもいい』ってやつ」
 スタルスク12から帰還したあとも、ニールのすべてを聞いたわけじゃない。親がたくさんいるという話を聞いて、何もかも問いただすのも違うのではないかと思ったからだ。だが、幼いニールと暮らしている今、この青年の『いつでも帰れる場所』はどれだけあったのだろうかと考える。そして、こう結論付けた。
 〝ないのなら作ればいい〟
 家族も居場所も、増やすことはできる。相手に対する想いさえあれば。
 そう一人で誓って、触れるだけのキスをする。ニールは、花が咲くみたいに笑った。

 

  END

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