期間限定の恋

PNoseVDの企画で書かせていただきましたバレンタインと香水と恋が始まる瞬間の話です。
主さん逆行設定のボス主さん×若ニルくんなできてない主ニル。こどもみたいな恋かもしれない。モブが出てきますが何もありません。

「ちょっと待ってくれ」
 そう言って、次の仕事に関する話し合いを終えて執務室を出ようとしていたニールを男が呼び止めた。
 立ち止まったニールは不思議そうに男のことを見ている。ついさっき作戦を練り終え、いざ準備に取り掛かろうというところだったので、その反応は当然のことだろう。
 男は資料が置いてあるローテーブルから離れて、机の方へと歩いていく。ニールは首を傾げてはいたが、何か大事な話があるのだろうと男のあとを追って机の前に立った。
 ニールが見守る中、男は机の引き出しを開けて手のひらほどの大きさの瓶を取り出した。赤いパッケージのそれを、ニールの方へ向けて机の上に置く。
 ニールは数秒のあいだ瓶を見て、それが何であるか理解した。それと同時に小さく息を飲む。
 男は少しの反応も見逃さないように、じっとニールのことを見ていた。

  *

 そもそものきっかけは、二月の夜の出来事にある。
 恋人たちのイベントで街中が浮足立っていたその日、静かな音楽が流れている会員制のバーの一角で、男は一人の女と向き合っていた。
 男は普段よりもいくらか畏まったスーツを身に着けており、女はシックなグリーンのドレスを着て長い髪を流すように垂らしている。テーブルの上には中身の減ったグラスがふたつ。そして、女の手元には、小さな花束とラッピングされた箱が入っている紙袋がある。その箱は男から女への贈り物だったが、この場で開けられた形跡はない。中身が他人の目に晒されることは今後もないだろう。きれいにリボンが巻かれている箱だが、中身は重要な情報であり、彼らにとっての商売道具だ。愛を囁き合う恋人たちに紛れているが、二人はそんな甘ったるい関係ではなかった。
 初めて仕事で協力関係になったのはもう何年も前のことになる。常に味方だったわけではない。情勢によっては協力できないこともあったし、相手に不利益を与えるようなこともしてきたが、それでも、近しい信念を抱いていた二人は、戦友と呼べる関係を築き上げたのだ。
 今夜は監視していた勢力が大きく動いたことを鑑みて急遽会うことになり、人々に紛れるための方法としてこの場所や服装を選んだ。おかげで話は順調に進み、近々動くことになるだろうと結論付けたところだ。
 今後のことまで話し終えた二人は店を出た。男は、迎えに来ている車のところまで女を送り届けて立ち止まる。女もすぐには車のドアを開けず、男と向き合った。
「じゃあ、また何かあったら連絡してちょうだい。気を付けて」
「ああ、君も。よろしく頼む」
 別れの挨拶とともに、お互いを軽く抱きしめる。すると、女が小さな声で「あら」と呟いた。体を離したあとも男の顔をしばらく見つめて、ゆっくりと視線を下ろしていく。女の瞳は男の顎や首を辿り、やがて胸元へと辿り着いた。前を開けたままのコートの隙間から見えている胸ポケット。そこから視線を動かさずに女が問いかける。
「これ、あなたが用意したんじゃないわね」
 そう指摘された男は、きょとんと目をまるくした。いくらかの間を置いて、戸惑いは見せずに男は答える。
「なぜそう思うんだ?」
「あなたが選ぶ香りじゃないでしょう、これは」
 そう言って、女はにやりと口角を上げた。
 女が〝これ〟と言っているのは、男の胸ポケットを飾っているポケットチーフのことだ。女が指摘したとおり、これは男が自分で用意したものではない。バーに向かう直前に、男の部下が「今日はこれくらいあった方がいい」と言って挿してくれたものだ。シンプルだが上品な白いポケットチーフは、男が受け取ったときにはすでにほのかな香りを漂わせていた。
 レザーを思わせるスパイシーな香りは、確かに普段の男なら選ばないタイプのものだ。それを見抜いた女は丁寧に手入れされた指先でポケットチーフを整え、笑みは崩さずに囁いた。
「これの持ち主には『お互い様』だって言っておいて」
「なんの話だ?」
「そのひとなら気付くでしょう」
 男は言葉の意味がわからずに眉根を寄せたが、そんなことは承知の上らしい女は気に止めることはなく、「これから本物のデートなの」と付け加えると、さっさと車の後部座席に乗り込んだ。そして、先程とは違う穏やかな笑みを浮かべて、改めて別れの言葉を告げる。
 同じように言葉を返し、女が乗っている車が出発するところを見送ってから、男はゆっくりと歩き出した。
 たった今女を見送った場所が見える位置に、一台の車が停まっている。その車を目指して男は足を進めた。車はエンジンがかかっており、運転席には男の部下であるブロンドの男が座っている。
 時間をかけずに車の近くまで辿り着いた男は、部下と窓越しにアイコンタクトを交わしてから助手席に乗り込んだ。
「待たせたな、ニール」
「言うほど待ってもないよ」
「だといいんだが」
「首尾は?」
「悪くない。なんとかなるだろう」
「それはよかった」
 そんなふうに仕事の結果を簡単に確認して車は動き出した。
 車内は暖房がきいていて暖かく、外気との温度差で窓はうっすらと曇っている。
 男は少しばかり冷えていた体の力を抜いて、いくつかの情報をニールと共有した。それを終えてしまうと、途端に車内は静かになった。どちらも特に意図があって黙っているわけではなかったが、エンジンの音が微かに聞こえるばかりで、息苦しいとは言わないまでも、心地よいとは言えない空気が漂っている。その上、セーフハウスまでの道中は混雑していて思うように進めず、曇ったガラスで視界は悪く、車内は常よりも閉塞的な空間になっていた。
 停滞しているぬるい空気を吐き出すように、男は正面を向いたままニールに話しかける。
「そういえば、『お互い様』だそうだ」
「え、何が?」
「俺にもわからないが、君にそう言えばわかると言ってた」
「彼女が?」
「ああ」
 男が頷くと、ニールは黙ってしまった。車道の先を見つめたまま沈黙している横顔を見て、男が再び口を開く。
「わかったのか?」
「んー……たぶん」
「どういう意味なんだ?」
 男がそう訊ねたが、ニールは答えない。薄い唇がわずかに動くが音にはならず、迷っているらしいことが男にも伝わった。ニールが普段の軽快さをすっかり失って黙りこくってしまったことに申し訳なさを覚えた男は「気が向いたら教えてくれ」と言って視線を正面に戻した。
 ニールはどこか安堵した様子で、そっと息を吐く。
 まずいことを聞いてしまったらしいと察した男は、話の流れを変えるべく、もうひとつ申し訳なく思っていることを口にすることにした。
「今日は急にすまなかったな。君も予定があったんじゃないか? あとは俺が進めておくから、セーフハウスに着いたらすぐに解散して構わない」
 男の言葉を聞いたニールは、今度はわかりやすく驚いた表情を見せた。そんなに驚くことを言っただろうか、と男はわずかに焦る。
 先刻、男がいたバーがそうだったように、今日はどこの店もカップルが客層のほとんどを占めている。急遽会うことにした男と女も、愛を伝えるイベントに倣っていい仲を装ったくらいだ。
 ニールはどこか風変わりな部分はあるが、まだ若く、見目好い男だ。事実、彼がにっこりと微笑めば話が通りやすくなるなんてことも珍しくない。男にとっては、ニールにそういう相手がいても何も驚くことはないのだが、ニールにとってはそんな質問が飛び出すことは予想外だったらしい。
 また余計なことを言っただろうか、と男が続ける言葉を選んでいると、ニールは少しばかり恥ずかしそうに口を開いた。
「……予定は、もともと何もなかったんだ。だから、やることができてむしろ嬉しかったくらいだよ。こんな日に暇してるのも、なんていうか、ちょっとね」
 ゆっくりと滑りだした言葉は途中から勢いを失い、最後の方は弱々しく消えていった。
 ニールがこうして語っている姿を見て、今度は男が驚いた。ニールがこういった世間のイベント事を気にしていると思っていなかったからだ。引く手あまただろうに、そんなに奥手だったのかと意外に思ってニールの色恋に関する記憶を引き出そうとしたが、男の頭の中にはそんなものは存在していなかった。
 挟撃作戦で出会ったニールも、再会した年若いニールも、誰に対してもスマートに接して見せるが、男の前で特別な存在を匂わせるようなことはしなかった。そういう意味では、男はニールのことを何も知らないに等しい。
 ニールは男からの返答がないことに緊張しているのか、ただ暖房が暑いのか、先程よりもほんのりと汗ばんでいる。
 男は、羞恥心が拭えない様子のニールの横顔を盗み見て、ニールは気を遣っているのではないかと考えながら顎髭を撫でた。そして、考えたところでわからないのだから、言われたことを信じるしかないだろうという結論に至った。
 仕事に付き合わせてしまった詫びも兼ねて、先程より明るいトーンで話しかける。
「それなら、食事にでも行かないか? いい店は空いてないだろうし、相手が中年の上司で申し訳ないが、それでもよければ、暇な一日のまま終わりはしないだろう」
「本当に? あなたが誘ってくれてるんだから、申し訳ないなんてことはこれっぽっちもないよ。最高のバレンタインデーになる」
「それはちょっと大げさだろう」
「あなたこそ、お近付きになりたい人間はいっぱいいるってことを理解した方がいい」
 ニールがあまりにも力強くそういうものだから、男は苦笑するしかなかった。
 しかし、男の表情とは反対に、言葉を交わすニールの口調は軽くなり、先程までの気まずそうな気配も消え去っている。そのことに安堵してシートに深く座り直した男は、ニールに「行きたい店はあるか?」と声をかけた。
 笑顔を見せたニールと男は、いくつかのバーやレストランを候補に出し合い、残り時間の少なくなったバレンタインデーを楽しむべく店に向かった。

 男がその日のことを思い返すことになったのは、それから数ヶ月後のことだ。
 仕事のために参加したパーティーで参加者と話していたときに、ふと記憶がよみがえった。戦友である女の意味深な笑顔や、カクテルを飲んで楽しそうに笑っているニールのことまで、それはもうくっきりと思い出した。
 なぜ今なんだ? と男は思ったが、答えはすぐに見つかった。匂いだ。参加者である男性が少々きな臭い話を持ちかけようとして男に顔を近づけた際に、あの日のポケットチーフとよく似た香水が香った。
 男性が身にまとっているため、正確には微妙に違う香りではあるのだが、特徴的なレザーの香りは男の記憶を呼び起こすには十分だった。
 男は無意識のうちにあの日の香りを覚えていて、瞬時に記憶へと繋げてしまったというわけだ。思わず、頭の中の過去の映像に気を取られる。
 すると、話し相手である男性もただの金持ちというわけではなかったらしく、男の異変にすぐに気が付いた。そして男は、怪しむそぶりを見せた男性に弁明するために、嗅いだことのある香りだったから、と説明するはめになったのだ。
 その話に納得した男性は、親切にも自身が使っている香水のことを教えてくれた。どのブランドのもので、どういった香料が調合されているのか。そして、これはペアフレグランスなのだとも男性は言った。自分が使っているのは男性向けのもので、単独でも問題なく使用できる品だが、合わせて使えるように調香された女性向けの品があるんだ、と。
 その話を聞いて、今まで忘れかけていた疑問が男の中で繋がった。女の意味ありげな笑みも、ニールの沈黙も、今となっては確かな意図を持っていたように思える。男にはわからなかったが、あの二人は互いの意図を理解していたのだ。
 男がただ普段と違う香水をつけているだけなら、女も気分の問題だと判断して気にしなかったのかもしれない。しかし、ペアフレグランスの片割れをわざわざ恋人たちの日に持たされたとなると、それは違う意味を持つことになる。その香水のことを知っている人間なら、『決まった相手がいるぞ』というメッセージだと捉えるだろう。そして、実際に女はそう受け取った。男性が教えてくれたブランドは有名で、香りを嗜む人間なら知っていてもおかしくはない。
 あの日、香水のことに気付いた女はこう言っていた。
『お互い様』
『これから本物のデートなの』
 きっと、女は自分と同じように、男がデートの予定を潰して仕事に来たと思ったのだろう。そして、ニールは自分の仕掛けを悟られたことを正しく理解し、男に説明するのをためらった。
 その答えに辿り着いた男は、あの日、立ち寄ったバーでのニールの様子を思い出した。混雑していてうるさい店の中、めかしこんだ男の隣に並ぶにはアンバランスだと身なりを気にしながら、それでも楽しそうにころころと笑っていた。
 無邪気に笑うニールの姿が、男の胸の内を熱くする。じわりとにじみ出てきたその感覚に戸惑った男は、一度、その戸惑いごと感覚をしまい込むことにした。
 しばらく会場内を回って仕事を終えた男は、最後に先程の男性に香水の件で礼を言い、パーティーをあとにした。

  *

 ニールは机の上に置かれた瓶を見たまま動こうとしない。ニールの視線の先にあるのは、バレンタインの日に男が身につけていた香水の片割れ――ペアフレグランスの女性向けのものだ。
 赤い瓶を見つめていたニールは、困惑と焦りがない交ぜになった表情で男を見て、その鋭い視線に怖気付いたように再び視線を落とした。ゆっくりと息を吐き出すニールのまつ毛が震える。そんな些細な変化も見逃すまいとしている男は、パーティーの日と同じように胸の奥に小さな痛みが広がっていくのを感じていた。そして確信する。この熱い痛みは、ニールと連動しているのだと。
 ポケットチーフの香りの意味を理解してから、男はずっと考えていた。ニールの意図も、自分の中に生まれた痛みが何を意味しているのかも、すぐには確信が持てなかったからだ。
 今も、過去の作戦のときも、ニールに相手がいるのかなんて気にしたことがなかった。ニールがそういったことを気にしていると考えたこともなかった。それなのに、今は暇さえあればニールを意識してしまっている。
 その事実に気付いたとき、男は自分の中に生まれたものを無視できなくなった。
 初めからその感情の兆しがあったのか、あのとき初めて生まれたのか、男にもわからない。ニールが芽吹かせたということだけが、変えようのない事実だ。
 バレンタインデーの夜、ぬるい空気で満ちた薄暗い車の中でニールが見せた恥ずかしそうな顔が、急遽入ったバーでやけに楽しそうに笑う顔が、自分が思っていたものとは違う意味を持っているのかもしれないと考えるだけで、男は自分の心臓をコントロールできなくなる。
 そして、さんざん悩んだ挙句に、こうして確かめてみることにしたのだ。男の勘違いならそれでよかった。自分の気持ちを知っただけでも、男にとっては大きな収穫だった。だが、ニールは瓶に反応した。そして、ポケットチーフの仕掛けを男が理解したのだと知って、何を言うべきか迷っている。
 ニールは視線を落としたまま考え込んでいたが、やがて観念して顔を上げた。
「その……ごめん。たちの悪いいたずらだったよ。彼女は大事な仕事相手なのに、もっとちゃんと考えるべきだった」
 ニールは意気消沈してそう告げた。一見、上司に怒られて反省しているようにしか見えないが、言葉の合間にその視線が不自然に揺らいだのを男は見逃さなかった。
 一瞬、男は迷った。ニールが隠したいと思っているのなら、尊重してやるべきなのではないかとも考えた。しかし、その選択肢は男の中ですぐに削除された。
 もう少し先の未来で、男はニールを見送ることになる。この関係に終わりが来ることを知っている。だが、そんなのは世間一般の人々だって同じだ。生きている限り死は平等に訪れるし、永遠を誓っても別れの日はやってくる。それでも、ひとは恋をして、必死に手を伸ばそうとするのだ。
 少しの沈黙ののち、男は先程までと変わらない調子で話しながら瓶に触れた。
「そのことは俺も彼女も気にしてない。それよりも、君さえよければこれを貰ってもらいたい」
「……え?」
「君があの男性用の香水をまだ持ってるなら、俺がこれを使ってもいい。もし、あのいたずらを悔いてるなら……これはなかったことにしよう」
 男の言葉を聞いたニールはうっすらと口を開けて目を見開き、男の顔をまじまじと見た。
 揃いの品を示し合わせて持つということが何を意味するかわからないほどニールは鈍くない。すぐに返事ができなかったのは、この状況があまりにも予想外だったからだ。困惑し、鵜呑みにしていいのか迷ったが、男はひとの心をもてあそぶような冗談は言わないことをニールは知っている。何より、ニールを見ている男の瞳は、見たことのない熱を帯びていた。
 ニールの頬にじわじわと赤みが差していく様を、男は泣きたいような心持ちで見守っていた。独りよがりな勘違いではなかったのだと、今まさに目の前で、ニールによって実証されていく。ニールの肌の変化や、細かな震えを見ているだけで、男の心臓の奥の方は痛み続ける。
 その痛みの名前を知った今、男が望むのはニールと胸の痛みを共有することだ。
 ニールは不器用に息を吸い込んで、微かに震える声で沈黙を破った。
「これが、欲しい。それで、あなたには僕が持ってる香水をもらってほしいんだ。あれは、あなたによく似合うから」
 そう言いながら、ニールはゆっくりと机を回り込んで男の目の前に立った。じっと男の瞳を覗き込んで、ためらいがちに男の肩に額をうずめる。
 男の首筋に触れたニールの頬は熱かった。堪らなくなって男がニールの肩を抱き寄せると、ニールもおずおずと男の背に腕を回す。そうしていると自然と力が入り、互いにぎゅうっと抱きしめ合った。
 そのとき、男は今まで知らなかった匂いに気が付いた。香水で加工されたものではない、シャンプーとわずかな汗が混じったニールの肌のにおい。それは男にとって、どんな高級な香水よりも好ましい香りだった。
「あとで冗談だったって言っても受け付けないからな」
 いい気分に浸っていたのに、肩口でニールがそんなことを言い出したから、男は「ありえないな」と答えて笑ってしまった。ニールも自分の発言がおかしくなったのか、小さく体を震わせ始める。
 ひとしきり笑ってニールの体を解放した男は、目の前に現れた赤い頬を撫でた。
「俺にとってはきっと、さいごの恋だ」
「……それは言いすぎじゃないか?」
「この歳になったらそうとも言い切れないぞ」
「わからないよ。あなたは魅力的だから」
 それは君の方だ、と言おうとして、これではきりがないなと男は言葉を飲み込んだ。
 それ以上答えずに笑みを浮かべてニールの瞳を見つめていると、ブルーグレイがわずかに潤んでゆっくりと近付いてきた。最初に吐息が触れて、次に唇が重なる。男はニールのうなじを撫でて、触れるだけの口づけを返した。
 いつか、この愛しい青年を見送ることになることを男は知っている。そして、そのあと、やるべきことがあることも。たったひとりで背負った、一世一代の任務だ。その仕事を終えたあとのことは、男にもわからない。誰が生き延び、誰が死ぬのか。その結果はまだ、この世界のどこにも存在していないのかもしれない。その事実は、男には大きな希望だ。
 そっと唇を解放すると、ニールはやわらかく微笑んだ。その表情が眩しく思えて、男はゆったりと目を細める。何も誓ってなどいないが、この瞬間、確かに時間は止まっていた。
 この恋がいつ終わるのかは、まだ誰も知らない。

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