ぼくと、世界のきみのこと *

シネパラドックスリターンズで公開した無配小説です。ニールに噛み癖がついちゃった主ニルのお話。R-18はふわっと描写がある程度。

「あっ、ぁ、いく……っ」
 ほとんど反射のように何かを口走ったが、何を言っているのかは自分でも理解していなかった。強烈な快感で頭の中がいっぱいになって、意識が真っ白になる。全身に力が入り、そのあと、快感の波が去っていくのに合わせて弛緩する。
 脱力する肉体に任せて、僕は腕の中の男を解放してベッドに沈んだ。寝室には二人分の荒い呼吸音だけが満ちている。
 繰り返し息を吐き出している半端に開いた口に違和感を覚えたが、その正体を確認する前に、男は僕の中からゆっくりとペニスを引き抜いた。ともすれば再び快感を拾いそうになるのを堪えて、シーツを握り締める。それに気付いて微かな笑みを浮かべた男は、たっぷりと精液を溜め込んだスキンを処理して、次に僕の腹に飛び散った精液を拭ってくれた。
 丁寧に後処理を進めていく男をぼんやりと見上げる。しばらくそうしていると、動いている肩についた痕跡を見つけた。それが何か理解して、ため息をつく。
「ごめん、またやったみたいだ……」
 そう呟くと、男は手を止めた。僕の顔を見下ろして苦笑を浮かべる。そして「気にするな」と言った。だが、こちらとしてはそうはいかない。
 男の肩にはくっきりと歯形が刻まれていた。それは、間違いなく僕がつけてしまったものだ。
 男があらかた処理を終えたところで起き上がり、クローゼットから救急セットを取り出した。そう大きくない箱を抱えてベッドに戻り、向かい合って座って、男の肩を確認する。僕の歯の形がしっかりと残ってしまった肌が痛々しい。犬歯が当たっていた箇所はわずかに肌の表面を突き破り、少量ではあったが出血したようだった。救急セットから消毒液を取り出して、傷痕に治療を施そうとすると、男は困ったように呟いた。
「別にそこまでしなくていい」
「だめだよ、小さくても傷は傷だ。口の中なんて菌だらけなんだぞ」
 そう返すと、男は諦めと共に息を吐いた。
 このやり取りも、もう何度目になるかわからない。お互いに全裸で治療なんて奇妙な状況だと思うが、それについては、僕が原因なんだから仕方がないと諦めている。
 いつからか、僕に噛み癖がついた。それもセックスのときだけ。何も傷つけたくて噛んでるんじゃない。むしろその逆で、無意識に強く噛み付いては後悔してばかりだ。
 セックスのとき――というより、絶頂を迎えるとき、意識が飛びそうになるその瞬間、僕は彼のことを噛んでしまう、らしい。おかげで最近の彼は、セックスの度に生傷が絶えない。噛んでいる最中のことはほとんど記憶にないが、何かを噛み締めたという感覚は残っている。
 初めはこうじゃなかった。彼とのセックスは比較的穏やかなものがほとんどで、痛みを与えることも、与えられることもなかった。こうなった理由はわからないが、きっかけには心当たりがある。ある仕事のあとからだ。

 簡単な潜入調査のはずだった。実際そのとおりだったし、潜入先で疑われることもなく、なんの問題もなく仕事を終えると思っていた。だが、潜入先を案内してくれていた男が席を外して電話を取ったかと思うと、突然銃を向けられた。とっさに応戦したが、戦闘を想定していなかったせいで僕の装備は軽装、おまけに相手はすでに応援を呼んだあとで、まずいと思ったときにはもう遅かった。あっという間に相手方の部隊に囲まれ、抵抗むなしく拘束された。
 そのままどこかに連行され、椅子に縛り付けられたところまでは覚えている。というのも、幻覚剤のようなものを投与されたせいで、そこから先の記憶はあいまいになっているからだ。あいまい、というのは正しくないかもしれない。現実とそれ以外のものが入り混じっていて、自分でも判別がつかないのだ。
 拘束されながら話しかけられている間も、放置されているときも、高揚感と不安感を行ったり来たりしていて、余計なことを口走ってしまわないようにするのに必死だった。唇を噛んで傷が付けば、その痛みがかろうじて現実にとどめてくれる。それを頼りに、僕は最後の理性を繋ぎ止めようとしていた。
 捕まってどれくらい時間が経っただろうか。時間の流れがすっかりわからなくなった頃、急に周囲が騒がしくなった。そのときの僕はちょうどトリップしている最中で、まともに周りのことを認識できていなかった。それでも脳というのは反応するものらしい。大勢の足音や銃声、悲鳴、そういったものを感じ取った僕の世界にも変化が訪れた。
 なにかわからない、おぞましいものが足元から這い上がってきて、僕は悲鳴をあげた。喉の奥から絞り出したみたいな、人間のものとは思えない音が自分の声帯から発せられ、それによって余計にパニックに陥る。足元を埋め尽くしている〝何か〟は、ドロドロと臭気を発しながら上半身を目指して脚を這い上ってくる。それを振り払おうと、みっともなく暴れ回った。だが、それは消える気配はなく、確実に足元を覆い尽くしていく。
 パニックになっているせいで酸素がうまく回らなくなり、ぐらぐらと脳が揺れそうになりながら暴れていると、周囲を満たしている臭気の中に、一筋の懐かしいにおいを感じた。そのにおいが濃くなると、全身を這い回っていた何かの動きが止まる。それに気付いた僕は、そのにおいの元に必死になってしがみついた。ぎゅうっと掴まっていると、その間だけドロドロは動きを止める。それに安堵して、僕は気を失った。
 次に目が覚めると、ベッドの上だった。そこが組織の一室であることはすぐにわかったが、なぜ自分がベッドに拘束されているのかわからなかった。ひどく頭が痛み、吐き気を催しそうになって呻くと、待機していた医師がベッドの脇までやってきた。状態を確認し、拘束が外される。そして診察を進める中で、僕が認識していたことと、現実に起こっていたことが違うということがわかった。
 どうやら、幻覚剤のせいで、僕の認識が間違っていたらしい。
 僕が捕まったことに気付いた組織は、すぐに救出作戦を立ててくれたそうだ。僕自身は認識できていなかったが、ボスである男を中心にした部隊が、僕が拘束されていた倉庫に乗り込んで制圧していた。僕がバッドトリップしている間に、周囲では激しい銃撃戦が行われていたらしい。
 そして、僕は何かから逃れようと暴れ回ったと思っていたが、それは僕の思い違いで、拘束されていたために動けず、叫び声をあげていただけだったようだ。更に驚いたのは、僕は何かにしがみついたと思っていたのだが、それも幻覚で、実際には僕を助けようとしている男に噛み付いていた、ということだった。噛み付いたことを、僕はしがみついたと思っていたらしい。どちらにしろ、懐かしいにおいの元を離さないように必死だったことには違いない。
 時間をかけて診察と検査を受けて、薬は特に依存性があるものではないとの結論に至り、少しの休暇を取ってから仕事に復帰した。

 これで終わったと思っていた。念のため、カウンセリングや簡単な診察は続いたが、予後は良好。仕事への影響もなかった。なんの問題もなく日常に戻ったはずだったのに、久しぶりに恋人に会って抱き合って、そこで違和感に気が付いた。
 初めはただ夢中になってしまっただけだと思っていた。筋肉の収縮に合わせて、力が入ってしまっただけだと。だが、回数を重ねていくうちに、セックスのときに噛むのが癖になってしまっていることを知った。
 男にこのことで何かを言われたことはない。そもそも、たいした問題だと思っていないのかもしれない。でも、僕にとっては大問題だ。
 彼が構わないと言ったとしても、僕が彼を傷つけていることには変わりない。しかも、最近どんどん悪化してきている気がする。いつも噛む力は強いけれど、出血までしたのは今回が初めてのことで、動揺が収まらない。
 歯型が残るほどに噛むなんて、こんなのは暴力だ。彼が僕を大切にしてくれているように、僕だって彼を大事にしたいのに。
 簡単な治療を終えて、意識と無意識が噛み合っていないことに困惑しながら、男の胸元に頭を預ける。すると、男の腕が僕の背中に回り、優しく抱き寄せられた。あたたかい。この優しさを無下にしたくなくて、ぬくもりに包まれながら、厄介な癖をなくそうと決意した。
 そうと決まれば原因を排除、といきたいところだが、その原因を探るところから始めなければならなかった。最初からこうではなかったということは、例の任務が原因のはずだ。だが、覚えていないのでは意味がない。カウンセラーにもそれとなく訊ねてみたが、それらしい情報は得られなかった。
 仕方なく自分で仮説を立ててみる。心理学が専門ではない僕に調べられることはそう多くはない。
 ストレス――生きていれば大なり小なりストレスは感じるだろうが、特別大きな負荷を抱えてはいない。ストレスチェックも問題なし。
 愛情不足――これはないだろう。二人きりのとき、彼がどれだけ甘やかしてくれるかを他の人間は知らない。
 欲求不満――これは否定しきれない。なにしろ、彼は僕の負担にならないよう、とても丁寧に抱いてくれる。もっと欲に任せて、多少乱暴でも構わないのに、と思ったりもするのだが、これを解決するのは最後だ。きっと彼は嫌がるから。
 愛情表現――それなら、これだろうか。相手を傷つける行為が愛情表現だなんて思いたくないが、表現し足りない、ということならまだ納得できる。僕は彼と出会ってから、ずっと彼のことを想ってきたのだ。生半可な気持ちだと思われては困る。
 めぼしい答えはこのあたりだろうか。断定できないが、できることから試していくしかないだろう。そう考えて、思いつく限りの愛情表現をすることで、感情を発散してみることにした。
 とは言っても、できることはそう多くない。世界規模の仕事では、個人的な時間をつくるのも一苦労だ。だが、まず一緒にいる時間がなければ効果はないだろうと、彼の任務に同行できるように仕事の割り振りを工夫した。半ば強引だったが、まあ、なんとかなったので良しとしよう。普段より苦労していた同僚達には感謝しなければならない。
 男に同行して世界中を飛び回りながら、いつも以上にあれこれと世話を焼いた。元々、彼に何が似合うだろうかとか、彼は何が好きで、何を選びたいのかとか、そういったことを考えるのも知っていくのも好きだから、苦ではない。最近は別々の任務に就くことも増えていたせいで、久しぶりの共同作業に嬉しくなって、それは加速した。
 おいしいものは分け与えたいし、美しいものは見てほしい。仕事が楽に進むように徹夜だって厭わない。これは自分のためでもあるが。
 愛するひとに喜んでほしい、と思うのは当たり前の欲求だと思うのだが、同行し始めた頃は気にしていなかった様子の男も、僕が何かを与えようとすると段々と妙な顔をするようになり始めた。両手にごっそりと抱えた資料を見せると、眉間にしわが寄る。
「どうかした?」
「この前も寝ないで作業してただろう。ちゃんと休んでるのか?」
「もちろん。仕事に支障はないよ」
「そういうことじゃないんだが……」
「それより、これなんだけど」
 紙の束の中ほどから資料を引っ張り出して、あれこれと説明していく。気にかけてくれることは嬉しいが、彼の役に立つことは僕の喜びでもあるのだと、どうも理解してくれていない節がある気がする。それに、早く仕事が片付けば、それだけ彼とのプライベートの時間が増えるのだ。張り切るのも無理ないことだと思う。
 頑張って徹夜した甲斐もあって、その任務は予定よりだいぶ早く終えることができた。次の移動までのわずかな待機時間がうまれて、久しぶりの二人きりの時間に胸を躍らせる。デートと呼べる時間を過ごすのは随分と久しぶりだ。
 舞い上がった僕は、宿泊しているホテルの周辺を調べ尽くした。観光スポットや、有名な飲食店など、何から何まで。
 しっかりと休息をとることも目的のひとつだったから、朝はゆっくりと起きる。ワークアウトを終えた男と一緒に準備をして、料理の評価が高いカフェで食事をする。噂に違わず、美味しいパイにありついた。腹ごなしも兼ねて散歩して、現地の人に紛れて街並みを楽しむ。誰もが世界の危機なんかとは関係なく、貴重な日常を送っていた。
 夜には少し豪勢なディナー。ほろ酔い程度にアルコールも飲んで、ゆっくりと店の雰囲気と共に味わう。ソルベが美味しいと評判の店を選んだおかげで、彼の嬉しそうな顔が見られて僕は満足だった。結局、明日もオフだからと、当初の予定より遅い時間まで食事を楽しんだ。
 そして、ホテルに戻り、じっくりと濃厚な時間を過ごす。時間をかけて触れ合って、互いの性感を高めていく。だが、気を付けなければならないことがある。例の癖のことだ。
 夢中になりすぎないように注意しながら、全身で男に奉仕する。彼の顔が快楽に歪むのを見ると、どうしようもなく腹の奥が疼く。彼のもので中をいっぱいにして、感じるままに身を任せてしまいたい衝動に駆られたが、なんとか抑えて四つん這いになった。向き合っていなければ噛むこともないだろうと思ったのだが、挿入してしばらくすると、男は僕の体を支えてあっさりと向きを変えてしまった。仰向けになり、向き合う形になる。ならば、と下半身を密着させることに集中してみたが、彼が僕を抱きしめてきて失敗。それならせめて、と枕で顔を隠してみたが、「顔が見たい」と言われてしまっては拒絶できなかった。それに、僕だって彼の顔が見たい。
 結局、いつもと変わらない体勢になり、僕にできるのはここしばらくの努力の成果が出ているのを願うことだけになる。そして、それも失敗した。
 噛んだ。思いっきり。彼の首筋にくっきりと歯形が残っている。しかも、それはシャツの襟でぎりぎり隠れるかどうかという位置で、快楽の向こうから戻ってきた瞬間に血の気が引いた。
「うわ、ごめん……」
「今日のはちょっと痛かったな」
 そう言いながらも男の口元は笑みを浮かべていて、決して僕を咎めたりしない。それが余計に心苦しくて、僕は彼を抱きしめた。何も言わずにそうしていると、男の両腕が背中に回って抱き返される。僕が彼を抱きしめているはずなのに、まるで僕が宥められているみたいだ。
 噛み癖をなくそうと決意して約一ヵ月。すぐになんとかなるなんて思っていなかったが、ちっとも改善されていないとなると問題だ。もう少し続けてみながら対策を考えようと、更に先のスケジュールのことまで頭に巡らせた。

 解決策が見つからないまま、半ば躍起になって任務をこなす。男は相変わらずで、僕が必死に癖を直そうとしていることを、どこまで理解しているのかはわからない。それでも、やろうとすることを止められることもなく、これといって不都合はなかった。
 そんなふうに僕が噛んでも、多少無謀な提案をしても、注意することはあってもきつく咎めたりはしてこなかった男が、今、目の前で険しい顔をして立っている。
 僕はというと、自分のベッドの上に座ったまま顔を上げられずにいた。僕の額にまかれた包帯をじっと見ているのがわかる。任務の最中にうっかり頭を打っただけで、そんな大袈裟なものじゃないのだが、きっと問題はそこじゃない。彼を庇おうとしてできた傷だから、彼はこんな顔をしている。
 だって、とっさのことで、頭で考えている余裕なんかなかった。
 当初から戦闘の可能性がある任務だとわかっていたから、銃は携帯していたのだが、いざ戦闘となったとき、彼に銃口が向けられると認識した瞬間に、体が勝手に動いていた。タックルするみたいに男を抱き込んで死角に逃げ込んだのはいいものの、うまく受け身を取れず、壁に頭を打った。僕が軽い脳震盪を起こしている少しの間に男が応戦し、事なきを得たが、二人とも倒れていたらどうなっていたかわからない。いい手ではなかったと反省している。
 状況を正しく判断して、もっと考えて動け、と、そう言われると思った。だが、渋い顔のまま僕の隣に腰かけた男が発したのは、全く違う言葉だった。
「もっと自分を大事にしてくれ」
 たった一言、告げられた言葉はひりひりと擦り切れそうな音だった。男がそんな声を出していることに驚きつつ、彼の痛みを刺激しないようにそっと答える。
「僕は、僕をないがしろにしてるつもりはないよ」
「与えすぎだ、と言ってる」
「きみに?」
「そうだ。最近は特に」
「でも、僕はそうしたい。そうするのが好きなんだ」
「やりすぎだっていう話だ。自分を犠牲にする必要はない」
「犠牲だなんて思ってない。僕の愛情表現だよ。君に返してるだけだ」
 できるだけ丁寧に答えると、男はしっかりと僕を見た。続く声にひりつくような音はなく、ただ静かに耳に届く。
「本当に?」
「君の愛を信じてないとでも?」
「なら、なんで噛む」
「それはわからない、けど……君が僕のことを考えてくれてることは、わかってるつもりだ」
 戸惑いながら答える僕の頬を、男の手がそっと包んだ。
「ニール、お前は何に飢えてる?」
「……愛したりない、とか」
「俺は十分すぎるほどにもらってる。これ以上はお前が擦り切れるぞ。無意識にでも飢えてるなら、もっと欲しがってくれ」
「欲しがるって言ってもなぁ……」
「なんだっていい。与えるどころじゃないくらい搾り取ってみろ。あいにくと、それでへばるほど俺はヤワじゃないが」
 そう言って、男は笑ってみせる。いささか強引とも取れる言葉とは裏腹に、男が僕を心配してくれていることが伝わってきた。
 君だって、僕に与えすぎだ。そんなことを考えてしまい、僕も笑う。そして、これが正しいのかもわからないまま手を伸ばした。両腕を男の首に回して抱きつく。確かなぬくもりと共に、嗅ぎ慣れたにおいを感じた。
 おぼろげな記憶の中にある、歪んだ世界で感じ取ったのと同じ、安らぐにおいだ。そう感じたのと同時に思い出す。あのとき、自意識などあるかどうかも怪しい状態の中で、この男の存在に安心しただけではなかった。周囲のどんな異物にも、喧騒にも構わず、このにおいを捉まえていられることが嬉しかったのだ。
 自分の思わぬ欲求に気付かされて、胸の奥がむず痒くなる。僕は、自分で思っていた以上に〝ぼくだけの彼〟を欲していたらしい。
 気恥ずかしくなって自嘲し、シャツの隙間から覗く褐色の首筋にやんわりと噛み付き、その上からキスをした。
「ふたりきりのとき以外の君は世界のもので、だから、僕はぜんぶ君のものでありたいと思ってた」
「後半は嬉しいが、前半はとんだ勘違いだな」
「だって、僕の恋人は世界も組織も背負ってるからね」
「否定はしないが、それは俺だけじゃない。それに、腕の中はひとりだけだ」
 その言葉を聞いて、僕は顔を上げた。すぐ近くにある男の瞳と視線が交わる。男の表情はいたって真剣で、僕のまんなかの柔らかいところをくすぐられた気がして、僕は声をあげて笑った。
「確かに、この腕の中に他の人がいたら大問題だ」
 そう言って男の唇にキスをする。
「もう少し、世界から君をもらってもいいのかな」
「問題ないだろう。たぶんな」
 男は満足したように微笑む。それから、任務中の無茶な行動について、しっかり叱られた。

 それからの僕らは少しだけ変わった。他の人の前で揉めたりはしないが、二人きりじゃないときでも、妬いたり、苦しいと思うことは伝えるようにしている。周囲の反応は案外とあっさりしたもので、親しい連中には「隠してるつもりだったのか?」なんて言われる始末だ。僕は自分で思っているより、嫉妬深い人間だったらしい。
 だが、それ以上に驚いたのは、僕がそうやって様々なことを伝えると、彼が嬉しそうに笑うことだった。面倒だと思われても仕方ないと思うのに、愛情表現の一部として捉えているようだ。こういう愛情表現も成り立つのか、と、少しずつ慣れてきた今でも驚く。
 何が健全だとか、正しいだとか、そんなことはわからない。けれど、僕らの間では成り立っている。噛み合わなくなったら、また話せばいい。
 噛み癖は完全になくなった――わけではないけれど、今のところは、甘噛み程度に落ち着いている。

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