研修一年目の六郎とミコトと東海林が飲みに行く話。三澄班がわちゃわちゃ話してるだけのらくがき。
ラストマイルの短髪六郎がみんなにわしゃわしゃされててほしい。
「えー! めっちゃ髪短くなってるー!」
「一瞬、誰かと思っちゃった!」
三澄と東海林が大きな声でほとんど同時にそう言うと、衝立から顔を覗かせた久部が照れ臭そうに頭を撫でた。店内の賑わいと半個室型の席のおかげで、二人の叫び声に注目する人物はいない。
席まで案内してくれた店員にビールを注文した久部は、二人と対面する形でいそいそと席につき「すいません、遅くなって」と言って静かに息を吐いた。
「いい、いい。こっちも始めちゃってたし」
「ごはんも適当なの頼んじゃったから、六郎も食べたいやつ頼んで」
「明日は? 休み?」
「はい。明日、明後日が連休なんで、今日ならちょっと余裕あって」
「失礼します」
「あ、どうも」
久部は店員が運んできたビールを受け取り、新たに三品注文してメニューをテーブルの脇に戻した。
「それじゃあ、お疲れ~!」
「六郎、お疲れさまー!」
「お疲れさまです……!」
三人の声が重なり、みっつのジョッキがテーブルの中央に集まって、カツン、と音を立てる。ぐいっと勢いよくビールを煽った久部は、一息でジョッキ半分の量を飲みきり、長く息を吐いて唸るような声を出した。
自身のジョッキを置いた東海林が豪快に笑う。
「へばってんねえ、研修医!」
「いやもう、毎日いっぱいいっぱいですよ……」
「いま内科だっけ?」
三澄がジョッキ片手に尋ねると、久部は頷いた。
「はい。来月からは外科に」
「あー、さらにハードになるね」
「ですよねえ」
「でも救急よりはまし」
「ああ……」
遠い目でジョッキを見つめ始めた久部を見て、東海林と三澄が小さく笑った。東海林がテーブルに頬杖をつき、久部の頭上を指先で指し示して「それで短くしたの?」と尋ねる。
東海林の指先を追って頭上に視線を送った久部は、短い前髪の先端を確かめるみたいに指でつまんだ。
「ああ、はい。この方がまとめるの楽だし、当直後に手入れするのがしんどくて」
「わかるなあ。髪乾かしてる時間で寝たかった」
「まじでそれっすね」
「失礼します」
再び店員から声がかかり、久部が到着する前に注文していた料理がテーブルに並んだ。代わりに追加のドリンクを人数分注文してから、並んだ料理に向き合う。そして、三澄の「いただきます」の声を皮切りに、三者三様に狙った皿に手を伸ばし始めた。並んでいるのは、サラダに刺身に肉料理。各々が頼みたいものを頼んだ結果、テーブルの上は賑やかになっていた。
大皿に乗った野菜とドレッシングを混ぜ終えた東海林はトングを置き、久部が肉を咀嚼し終えるまでじっと待った。筋張った喉がごくりと動き、ビールが流し込まれるのを見届けてから、束ねた指を久部に向かってちょいちょいと動かし手招きする。
「六郎、頭出して」
「は?」
「頭。こっちにこう、出して。こう」
「はあ……?」
言いながら東海林が実際に動いてみせると、久部は戸惑いながらも同じようにわずかに俯き、頭頂部を東海林に向けた。
その途端、東海林の瞳が怪しく光り、両手が勢いよく久部に向かって伸ばされる。テーブルの上を渡って伸びた手のひらは、迷うことなく久部の頭を撫でていた。わしゃわしゃと犬にでもするように、ふたつの手のひらが毛先を撫で回す。
「ぅひぁあはっはっはっはっはっは! 何これ、めっちゃいい~!」
「ぅわ、東海林さん……⁉」
「あ! 東海林ずるい!」
「えっ、ず、ずる、ずるい?」
「私もずーっと気になってはいたんだよね。でも、さすがに悪いかなって――」
「あっははは! うわー、最高。ジョリっジョリ」
「――思ってたんだけど」
「え、あれ、まさかミコトさんもとか言わな……」
東海林に撫で回されながらもそろりと顔を上げた久部が見たのは、肩の位置まで両手を上げて、手のひらを久部の方へと向けている三澄の姿だった。その両の目はしっかりと久部を見据え、期待に輝いている。
「……どーぞ」
少々不本意ながらも、久部は再び顔を伏せた。
ここで嫌だと言えば三澄は無理強いはしないだろうとわかってはいた。照れ臭さだってある。だが、久部は「まあ、いいか」と思ってしまったのだ。頭を撫で回されるのが初めてというわけでもないし、二人が心底笑ってくれるなら、まあいいか、と。
満足げに息を吐いた東海林が手を引き、入れ替わりに伸びた三澄の手が、久部の髪の毛の先端に触れる。
「あはははは! 本当だ。よ、予想以上に……っジョリジョリ……!」
「でしょ⁉ なんかこれ癖にならない?」
「なるね。これはしばらく触っていられる」
三澄が声を震わせて笑い、なぜか東海林が得意げに説明する。久部の頭を撫でる手つきは決して乱暴ではないが、ある程度の荒さをもって頭頂部を細かく往復し続ける。そのときだった。
「失礼しま……」
追加のドリンクを運んできた店員の声が尻すぼみになり、消えていった。一瞬だけ食器を運ぶ手が止まり、ほんの数秒の沈黙が流れる。それまでうるさいくらいだった二人分の笑い声もぴたりとやんで、三澄はそろそろと手を引っ込めた。
店員はわずかな動揺は流してすぐさまにっこりと笑顔を浮かべ、ドリンクの種類を告げながら、運んできたグラスを差し出した。
「あはは、どうも〜……」
店員から直接グラスを受け取った三澄は、店員が去るまで待ってから両手で自身の顔を覆い隠した。
事の発端である東海林はというと、店員がいる間は顔を伏せて必死に笑いを堪えていたのだが、ついに堪えきれなくなり、風船が弾けたみたいに笑い出してしまった。
「ミコト、タイミングよすぎ!」
「うわ、やだ、やばい。ねえ、顔熱いんだけど」
「ほんとだ、赤いわ」
「やっぱり? あー、ミスった!」
「あー、私のときじゃなくて本当によかった」
「俺はどっちにしろ同じなんすけどね……」
「間違いない!」
久部の言葉によって東海林の笑い声がさらに大きくなった。三澄も、巻き込んだことは謝罪しながらも笑い始める。
二人は「バカだねー」「疲れてんのかな」などと言って、背もたれに体を預けたり、グラスに手を伸ばしたりしている。久部はそんな三澄と東海林の姿を眺めながらわずかに苦笑し、少しだけ唇を噛んだ。
「何にやけてんのよ?」
「いや、なんか、変わらないなあって思って」
大きく息を吐いて呼吸を整えた東海林が尋ねると、久部はわずかに目尻を下げた。その言葉を聞いた東海林の左右の眉の高さが器用にずれる。
どこか照れくさそうな久部をよそに、グラスを口元まで運び、カクテルを飲んだ東海林が、呆れを含んだ声で呟く。
「おまぬけ六郎」
「え?」
「変わるのはアンタの方だっつーの」
張ってはいないがよく通る声は、どこか物寂しい響きで久部の耳に届いた。久部の口角が下がり、瞳が小さく東海林と三澄の間をさまよう。三澄は東海林とは反対に、静かな笑みを浮かべて言葉を繋いだ。
「私たちはよっぽどのことがない限り、そんなに変わらないからね」
「そうそう。いつものメンバー、いつもの職場に馴染みの業者。変わるものといえばご遺体くらい。でも六郎は違うでしょ。もうさ、来たときだって目を爛々とさせちゃって」
「そ、そんなでした?」
久部が慌てて目の下を触ると、東海林が力強く頷く。
「瞳孔バッキバキ」
「うわ、最後ばたばただったからな……」
「東海林、適当言わないの」
「嘘なんすか⁉ ちょっと、やめてくださいよ、東海林さん」
いひひ、と珍妙な声で笑った東海林は、拗ねた久部の顔を見てぱっと表情を綻ばせた。
「んー、これでこそへっぽこ六郎」
「ちょっと。うちの六郎は優秀ですー。まあ、推理はへっぽこだけど」
「ミ、ミコトさん……それ、あんまフォローじゃない……」
弱々しく首を振った久部は、わかりやすく肩を落とした。
そんな久部の取り皿に、しっかりとドレッシングが絡んだサラダが東海林によって山盛りに盛られ、さらに刺し身の皿も押し出される。
「ほら、そんな顔してないでしゃきっとしなよ。久部センセー」
「え、東海林さん、それやめ……」
「え? 久部先生じゃないの? じゃあ患者さんにはなんて?」
「……久部先生、です」
「なんだ、合ってるじゃん。ね、クベセンセー」
「ふたりとも、わざとやってますよね……⁉」
二人から交互にやり込められた久部がいささか声を張り上げてそう問うと、否定も肯定もせずに三澄と東海林は笑い転げた。そして「これだもんなあ」とぶつぶつ言いながら勢いよくビールを口内に流し込む久部を見てさらに笑う。
「いやいや、冗談じゃなくね。そのうち、外部の人にとっては私も中堂さんも六郎もみんな『先生』になるんだから、照れてなんかいられないよ?」
「毛利さんとか、意外と律儀に『先生』呼びしそうだもんね」
「しそう」
「向島さんも」
「しそう〜」
久部は食事の手を止めて、会話を続ける二人の姿を眺めていた。そして、いくつか瞬きを繰り返して「……そのうち」と小さな声で呟く。
すると、口に運んだ肉料理で頬を膨らませた三澄が迷うことなく頷いた。
「うん、そのうち」
「そのうち……」
同じ言葉を繰り返したかと思うと、久部の頬がふっと緩んだ。
東海林はそれには言及せずにこっそりと笑みを浮かべて、背筋を伸ばし、立てかけてあったメニューを手に取り久部に向かって差し出す。
「次なに飲む? ミコトは?」
「もうちょっとがっつり食べたいかも」
「炭水化物いっちゃう?」
「うーん……いっちゃおう」
「六郎は?」
「決まりました」
「よし。あ、すいませーん」
通りかかった店員に東海林が声をかけると、空いた皿やグラスを三澄と久部が整理し始める。お互いの邪魔をすることなく動く四本の腕は、あっという間に料理が乗っている皿と空いた皿を区分けし終えて、注文を終えた東海林が振り向いたときにはテーブルの上はきちんと片付けられていた。
その手際の良さに、東海林が思わずといった様子で噴き出してしまう。
「え?」
「何? なんで?」
「いや、なんかツボった」
半笑いの久部と三澄の疑問には答えず、店員によって食器が下げられていく間、東海林はひとりで笑い続けた。