ガラスの靴は返らない *

2023/2/23~25さわマル3の無配でした。 あの夏はプラトニックだった壮年ゲラアルの初夜話。ほぼR18シーン。 1945年以降として書いてるのでそんなにハッピーではない。だめな大人たちがイチャイチャします

 洗面台のふちに手を付いて鏡をじっと覗き込む。
 鏡の中にいる中年の男は濡れた髪もろくに乾かさないまま、困り果てた顔でこちらを――自分自身を――見つめいる。正面に据えられた青い瞳は不安定に揺らいで落ち着きがない。静かに息を吐いたつもりが、はあ、と、ため息となってバスルームにこだました。
 ドアの外に漏れ聞こえないように慎重に吐き出した息は一瞬で霧散していき、二度と飲み込まれることはない。それでも、この緊張がドアの向こうに伝わってしまわないようにと願って息をひそめ続ける。
 ――ひげを剃るべきだろうか。いや、このタイミングで剃るなんてあからさますぎるだろう。大体、そう年齢も変わらないというのに若作りしてなんになる。いやしかし、交渉と打ち合わせ以外でこんなに近付くのは……というよりまともに接触するのは久しぶりどころか十八以来で……待て、何年前だ? 十八の夏ということは……いや、落ち着けそうじゃない、今問題なのはそういうことじゃない。年齢は問題じゃないと思い出したばかりだろう。しっかりするんだ、アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。今さら足掻いても仕方がない。取り繕っても意味はないんだ。怪しまれる前にさっさと覚悟を決めて……

 コツ、コツ、コツ

 と、やけに響いたドアをノックする音に思考が遮られ、思わず大きく肩が跳ねた。
 ばくばくと脈打つ鼓動が収まらない。なんとか動揺を押し殺して応えようとしたが、私が言葉を発するよりも早くドアの向こうからくぐもった声が聞こえてきた。
「平気か?」
「ああ、大丈夫だ。すぐに出るよ」
 そうか、だか、ああ、だったか、はっきりとは聞き取れなかった返事を最後に気配はドアから離れて行く。そのことにそっと胸を撫で下ろして、目を閉じ静かに息を吐き出した。続けて、深く息を吸い込む。
 初めての決闘のときよりも、ウィゼンガモット最高裁の英国青年代表に選ばれたときよりも、この小さなバスルームから出るためのたった数歩の方がよほど緊張しているなんて、なんと滑稽なことだろう。だが、変えられない事実だ、仕方がない。そう心の中で念じ、意を決して目を開ける。
 鏡の中の自分はいくらか平静を取り戻したように見えた。実際はそうでもないのだが、これなら表向きを取り繕うくらいはできるはずだ。
 小さく頷いてそろりと洗面台から手を離し、バスローブの合わせ目と紐を整え、鏡に背を向けて足を進める。
 ゆっくりとドアを開けると、蝶番がきしむ音がやけに周囲に響いた。バスルームに入ったときには気付かなかったその音が妙に気にかかり、思わず顔をしかめてしまったのだが、そんなことを気にしていられたのはほんのわずかな時間だけだった。
 バスルームから直に続いているベッドルームの灯かりは落とされていた。ベッドサイドや壁際の小さなやわらかい光が残されてはいるが、全体的に薄暗く、慣れない室内を歩くには少々心許なく感じる。だというのに、ベッドに腰掛けているゲラートの存在だけははっきりと感じ取れた。私より前に身を清め終えていたゲラートが、揃いのバスローブを着て、じっと座って待っている。
 ドアの前で突っ立っている私に向かってゲラートは手を伸ばした。彼だってこの部屋に入るのは初めてだろうに、まるで自分の部屋にいるかのような余裕っぷりだ。……いや、もしかしたら初めてではないのかもしれないが。そうだ、もしかしたら、前にもここに来たことがあるのかもしれない。誰にも知られぬよう、チェックインのときだけ姿を変えて……今日、私がそうしたように。
 グツ、と腹の奥底で黒いものが煮えたぎりそうになったが、それを遮るように「アル」と静かに名前を呼ばれた。
 その声がまるく、溶けるほどに甘やかだったせいで、腹の中の黒いものがすっとどこかへ引いていった。差し出された手に引き寄せられるようにしてふらりと近付いていき、目の前に立つと、そっと手を握られる。
「気になることでもあるのか? アルバス」
「いや、たいしたことじゃない」
「本当に?」
「ああ、少し……落ち着かないだけだ」
 ほう? と相槌らしきものを打ってゲラートはゆるりと口角を上げた。上目でこちらを見上げながら、指先がほんの少しだけ掠る距離で手のひらを撫でてくる。
 くすぐったさと、その先に垣間見えるむず痒い予感からつい手を引きそうになってしまったが、ゲラートに強く手首を掴まれて踏み止まった。そのままゲラートの口元に手が引き寄せられ、指の背にやわらかい唇が触れて、じわりと体温が上がる。
 しかし、そんな繊細な動作とは裏腹に、次の瞬間に感じたのは強烈な痛みだった。思わず息をのみ顔をしかめた私のことを覗き込むようにして、ゲラートの鋭い瞳が貫く。
 先ほどまで唇で撫でられていた指にゲラートが噛み付いているのだ。薬指の根元にきつく歯を立てられ、食いちぎられるのではと思う頃にようやく解放された。続けて舌でなぞられたそこにはくっきりと歯形が残っていて、あからさまな所有の証に苦笑してしまう。
「君が考えてるようなことはないよ」
「どうだろうな? 君は嘘がうまい」
「この状況で嘘なんかつくわけないだろう。……なんというか、ほら……君とは初めてだろう……? だから、こう、落ち着かないんだ」
 慎重に言葉を選んでそう告げると、ゲラートはその冷たさを瞳の奥にしまい込んで、もう一度薬指の付け根に口づけた。自分で痛めつけたくせに、いたわるように丁寧にキスを与えてくる。そのうえ、まなじりがゆったりと弧を描いたりしたものだから、思わずぎゅうっと心臓が痛んだ。
 その次の瞬間だ。強く手首を引かれてよろめき、片脚だけベッドに乗り上げてしまった。ゲラートの腿の間に片膝をついてなんとかバランスを保っている私の腰に手を回して、ゲラートはやけに楽しそうにこちらを見ている。
 あまりにも余裕しゃくしゃくといったその笑顔に悔しくなり、危ないじゃないか、と文句を言ってやろうと口を開いた。
 しかし、臀部に手のひらの感触を感じてすぐさま黙り込むことになってしまった。少しの間、やわやわと尻の上を這っていた手が徐々に下がっていき、バスローブの下に潜り込んで、脚の付け根、尻と腿の境目の部分をなぞる。
「……っ、こら、」
「なんだ、履いているのか」
「別にいいだろう、下着くらい……」
「素肌かと期待したんだが」
「……脱がせるものが何もないのもつまらないだろう?」
「それも否定はしないが、今は時間が惜しい」
「下着一枚が?」
「下着一枚が、だ」
 間近で見上げてくるゲラートの、スカイブルーと白銀が混じったような不思議な色合いの瞳だけが、ルームライトに照らされてわずかに揺れている。その口元はもう弧を描いてはいなかった。真剣な表情の男が、ただまっすぐに私のことを見つめている。
 肩に添えていた手をうなじに回し、まだ湿り気が残る襟足に指を絡ませる。そうしてそろそろと顔を寄せて、ようやく今日初めてのキスをした。唇の表面が触れ合うだけで心臓がどくどくと繰り返し脈打ち始める。見つめ合うだけで胸が締め付けられて苦しい。
 ああ、そうだ。本当は一分一秒だって惜しい。私だって同じだ。それでも簡単に踏み出せる一歩ではなかったことを許してほしい。人並みに歳を重ねて経験を積んで、大抵のことは知っていると自負しているが、これは、これだけは初めてなんだ。心の底から求める相手と触れ合うという、世間のほとんどの人間が経験していることが、私にはこんなにも難しい。
 見つめ合ったまま小さく息をつくと、それに応えるかのようにゲラートの吐息が唇にかかった。
 整った顔をじっと見下ろし、耳たぶをくすぐる。そうしているうちにゲラートの目元がいつもより赤らんでいることに気が付いた。瞳もわずかに潤んで見える。
 その事実にこころが震えた。からだが熱い。どうしようもなく、息が苦しい。今からこんな調子で最後までもつのだろうかと心配になったが、ゲラートの体もまた驚くほどに熱いのだと知った瞬間にすべてがどうでもよくなった。緩みそうになる涙腺を誤魔化すためにきつく目を閉じてゲラートの体をかき抱き、いささか強引に唇を合わせる。
 隙間なく塞いで柔らかい部分を食む。それを何度も繰り返していると、やがてぬるりとしたものが口内に潜り込んできた。熱く弾力のある舌が私の舌を探し出して絡め取る。引きずり出された舌をしつこく舐められ、歯で扱かれ、そうして全身の力を奪われて、抱きしめていたはずの体に縋り付くしかなくなってしまう。
 ゲラートの手は私の背を布越しに支えてくれていたが、もう片方の手は太ももや臀部を往復して震える体を弄び、私が崩れ落ちるのを今か今かと待っていた。
 年齢や、あの頃から重ねた年月、立場、関係……身につけたいくつもの矜持をまとったまま対峙できるのではと期待したが、そんなものは無駄な足掻きだったらしい。どうしたって、この男の前で自分を隠し通すことなどできやしないのだ。望む望まないに関わらず、伝わってしまう、さらけ出してしまう。そして、その事実に喜び震える自分がいる。
 わずかに唇が離れた瞬間を狙って力を振り絞り、腕の中にある体を押し倒した。ゲラートが重力に身を任せて背中から倒れ込んだせいでマットレスが揺れる。
 上体をベッドに預けたゲラートは、両腕をゆるく広げた無防備な体勢で私を見上げながら、唾液で濡れた薄い唇をわざとらしく舐めてみせた。
 私の口元もきっと同じように唾液だらけだろう。だが、それを拭いもしないで身を屈めてゲラートを追いかける。ベッドに手を付き、マットレスに体重を預けて、蜜に引き寄せられる虫のようにまっすぐ唇を目指して顔を近付けていく。
 ゲラートはやはり余裕の笑みを浮かべて私を待っていた。そして、口づけを受け止めて短く息を吐きながら、囁き声で私の名を呼ぶ。
「アルバス……マイ・バンブルビー」
 ――と。
 その言葉を聞いた途端に遠い記憶がよみがえり、ゆらりと視界が揺れた。
 遠い夏の日も、ゲラートはそうやって私を呼んでいた。
 二人きりのときだけだ。からかい交じりに、ときには甘やかに、私の顔を見つめながら『僕だけの小さなマルハナバチ』と、私が自分よりも小柄だったこととファミリーネームを絡めて、ゲラートはそう呼んだ。何度も何度も、その声が脳に焼き付いて離れなくなるほどに。
 もう二度と耳にすることはないだろうと思っていた言葉が、今この瞬間、確かに届いた。昔より低く掠れた声で、しかし同じ口調で告げられた言葉は、やはり私の胸を掴んで離さない。
 それが無性に悔しくなって、顔をわずかに逸らして額をシーツに埋める。
 されるがままだったゲラートは、わずかな沈黙のあとで私の髪にキスをした。そして、それまで投げ出していた手で私の肩や腕を撫でていく。
 その手はひたすらに穏やかで、性感を引き出すというよりも宥めるような手つきだだった。自分がまるで親に甘える子どもになったかのように思えて気恥ずかしくなってしまい、のそりと顔を上げて上体を起こす。
 ゲラートは少しも動じることなく私を見た。そのまなざしがひどく優しく見えたのは、私がそう望んでいるからだろうか。
 些細な疑問ひとつにさえ答えを出せずにいる間にゲラートは私の体の下から抜け出し、ベッドの中心まで移動して改めて腰掛け、私の腕をそっと掴んだ。そして、静かに自分の方へと導く。
 私もベッドの上に乗り上げて、引き寄せられるままに近付き、ゲラートの前に腰掛けた。
 二人の間に短い静寂が訪れる。
 どうでもいい相手ならこのままもう一度押し倒しても、自分の身を投げ出しても構わないところだが、情けないことに、ゲラートを前にした私はどうしたいいのかわからずに困っていた。嫌われたくない、煩わしいと思われたくない……そんな感情が行動を妨げる。
 わずかなためらいを汲み取ったのか、ゲラートはゆるく掴んでいた私の腕を持ち上げて指先にそっとキスをした。小さな音を立てながら爪の先から関節、手の甲、手首の内側と、順番に唇を滑らせていく。
 ゲラートの唇が触れた場所から微かな電流が走っていく気がしてそっと息を吐き出す。ぴくり、と指先がわずかに跳ねた瞬間にゲラートの口元が弧を描いたのが見えてしまい、とっさに唇を噛み締めた。そうやって息がこぼれてしまわないようになんとか堪えているというのに、ゲラートはお構いなしにキスを与え続ける。
 やがて唇は腕を離れて、耳や首筋で遊び始めた。掴んだ腕は離さずに、逃がさないと宣言する代わりに強く肌を吸われる。これはきっと痕になるだろう。わかっていたが止める気にはなれず、気付かなかったふりをして熱のこもった息を逃がした。
 そのときだ。ゲラートはキスを与えている最中にさりげなく腕を解放したかと思うと、その手をバスローブの中に忍び込ませた。
 胸元の布の隙間を割って入ってきた手のひらが胸や腹部を直に撫でていき、ついでとばかりに乳首を引っかく。変な声が出そうになってとっさに息を詰めると、ふっ、という小さな笑い声とともに吐息が首にかかった。
 自分で触っておいてその反応はあんまりだろう、とバスローブの背の部分を掴んで引っ張り、引き離すと、顔を上げたゲラートと目が合った。なんだか随分と久しぶりに顔を見た気がしたのは、その頬や首筋がいつもより赤らんで見えたからだろうか。わからない。間接照明しかついていない部屋では、表情の細部までは読み取れない。
 それはゲラートも同じはずだが、彼はためらうことなく私の乳首をつまんでやんわりと押し潰した。無遠慮な手つきに思わず静止の声をあげそうになったのだが、その瞬間を待っていたかのようにキスで口を塞がれ、唸りにも似た声はゲラートの口腔に吸い込まれて消えてしまった。
 敏感な粘膜を蹂躙されて抵抗できない。動き回る舌に追いつこうとしているだけで体がぶるりと震えてしまう。
 そうやって口内への刺激に応えている間にバスローブの紐は解かれ、私はむき出しの肌を晒していた。
「……っ」
「ああ……すまない、気をつけよう」
 不意に触れた金属の冷たさに身を凍らせ息をつめると、ゲラートは謝罪を告げてからわずかに腕の角度を変えた。昔より少し痩せたその手首を囚えている銀の腕輪が肌から離れたことで、自然と体の力が抜けていく。そこまで見届けてから、ゲラートは口づけを再開した。
 先ほどよりも熱心に舌が絡み合い、それによって飲み込みきれなかった声がこぼれたが、ゲラートは気にすることなく胸を触り続けていた。手のひらで全体を揉むように包んでみたり、そうしたかと思うと、突然乳首をつまみ、やわく捏ねたり押し潰したりする。
 ただでさえ酸素をうまく取り込めずにいるのに、刺激を与えられ続けたことで体に熱が溜まり、思考がまとまらなくなってきていた。ずっと触られているそこが、いまやなんの苦労もなくつまめるほどに硬くなっていることが自分でもわかる。ぴりぴりと感じる刺激が体の奥深くを伝って全身に熱を広めている。触ってもいない下半身が布を押し上げていて窮屈で仕方ない。
 もうこのまま流されてしまおうか――そんな言葉が頭の中を支配しかけたが、不意に浮かび上がってきた恐怖心がそれを押し留めた。この男のすべてを受け入れ、多くをゆだねるのはあまりにも恐ろしい。
 かつて杖を向け合い、殺し合った相手だからではない。多少不意をつかれたところで、力を制限されている相手に負けるほど私は落ちぶれてはいない。
 恐怖を捨てきれないのは、自身をゆだねてしまうことの心地よさを知っているからだ。そして、その心地よさを手放したくなくて大きな間違いを犯したことも知っている。
 受け入れるべきではなかった。さらけ出すべきではなかったのだと、そう訴えてくる罪悪感が私を許さない。こんな状況でさえ……いや、こんな状況だからこそ、私は私を手放せないのだ。
 そう受け入れてしまうと、いっそ、ひとつ踏ん切りがついた。
 恐怖も羞恥心もきれいに覆い隠して、ゲラートの肩を掴んで再び押し倒し、深い口づけを繰り返しながらバスローブの紐を解く。そして、先ほどゲラートにされたように腹部や胸元に手を這わせた。
 あたたかい肌が手のひらによく馴染む。ゆっくりと動かしている手が胸に近付くほどに、鼓動を力強く感じて泣きたくなった。
 君はどうして、こんなところばかり変わらないのだろう――。
 古くしなびた愛おしさと、いまだ胸を刺す痛みが同時に襲ってきて唇がわずかに震えてしまった。失敗したと思った瞬間に合わせた唇を強く吸って誤魔化したが、きっと気付かれてしまっただろう。だが、気付かれたことに気付かなかったふりをしてキスを続けて、覆い被さり、ゆるく腰を押し付けた。硬くなった互いの性器が布越しに擦れてひくりと体が跳ねる。
 今の私たちはあの頃と違って嘘にまみれてしまったが、それでいい。その方がいい。快楽を楽しむためなら自由になれる。そのはずだ。
 ゆるゆると同じ動きを繰り返している私の腰にゲラートの手が添えられる。バスローブの下で素肌を撫で回している手が臀部を支えたところで、ぐ、と腰を押し付けられて、とっさに唇を離して上体を起こした。しかしそれ以上は逃げられず、与えられる刺激に小さな声が漏れてしまう。短い呼吸を繰り返し、震える腕で体を支える。
 ゲラートは自身も息を乱しながら腰を揺らし続けている。そうしている間も指先は私の腰の周囲を撫で回していて、そこからもぞくぞくと断続的な快感が背中を駆けていく。
 そこでようやく観念して頭を垂れて快楽を受け入れたのだが、与えられる刺激に酔って、擦り合わせている性器につい目をやってしまってから後悔した。自分の下着の一部分の色が変わっていることに気付いてしまったのだ。ペニスの先端が触れている場所だけがわずかに色濃くなっている。
 恥ずかしいと認識するより先に頬が紅潮していき、口内に唾液があふれ出した。しまいには腹の中が疼いたような気までしてしまい、頭の中が茹っていく感覚に襲われて目を閉じる。そうしたことで、触れ合っているゲラートの肉体をより強く感じることになった。そそり立つペニスも動き回る指先も、明確な意思を持って快感を引き出そうとしている。
 体が熱くてどうしようもなくなり、唾液がこぼれるのも構わず大きく口を開けて息を吸い込んだ。
「ぁ……ッ」
 その瞬間、それまで腰を撫でていた指が下着の中に潜り込んできたことで声が抑えられなくなってしまった。不埒な指先は臀部の肉を掴んで割り開き、隠れていたアナルを見つけ出して窪みを撫でる。何度も何度も、執拗なほどにしわをなぞり指の腹を押し込むのに、決してナカには触れようとしない。
「っ、ぅ――……」
 欲しいものが得られないというのはどうにももどかしく、指を追って腰が揺れてしまう。
 そんな私を見たゲラートが吐息だけで小さく笑った。そして、下着から手を抜いたかと思うと、起き上がって噛み付くようなキスをしてから私をベッドに転がし、体勢を入れ替えた。
 すぐさま下着を剥ぎ取られ、足を開かされて、なんの予告もなく指が体内に埋め込まれる。
「……っ、はぁ、」
「ああ、よく準備してあるな」
 アナルが異物を受け入れていく様子をじっと見て、ゆっくりと出し入れしながらゲラートが呟いた。深く挿入して中を探るみたいに肉壁を押してみたり、入り口を広げるみたいに挿入する角度を変えたりしているゲラートはひどく楽しそうだ。
 私はというと、バスルームで潤滑剤代わりに仕込んだクリームがきちんと機能を果たしてくれることを願いながら、声を殺して身もだえるしかなかった。
 後ろを使うのは随分と久しぶりで、そもそも行為自体がうまくいくのか心配だったが、どうやら問題なさそうだ。体はそこで快楽を拾う方法を覚えていたらしい。腹の中の性感帯は言うまでもなく、皮膚が引きつれる感覚までもが快楽を導いてくれている。
 少しばかり安堵してそっと息を吐くと、思わず上擦った声がこぼれ落ちた。ゲラートはそれを聞き逃さず、より大きく、ゆったりと指を動かし始める。
 ナカをこねられるのも気持ちいいが、それ以上に指が抜けていく瞬間がたまらない。ぞわりとした、快感というにはいささか弱い解放感が腰から背筋を通って駆け抜けていく。加えて、そのまま再び指が押し入ってくるともうだめだった。脚が小さく跳ねて、全身にうっすらと汗が滲み始める。
 しわになってベッドに広がっているバスローブのすそを掴んで、自分ひとりで達してしまわないよう堪え続ける。
 そんなこちらの努力などまるっきり無視して、ゲラートはおもむろにペニスを口に含んだ。反射的に息をのんだ瞬間に「ひっ……」と引きつった声が漏れ出たが、それも意に介さず舌を使って刺激を与えてくる。
「げら、ゲラート、ッ、ゲラート……っ」
「ん?」
「やめろ、いい、そんな、っことは……ぁ、しなくて、いい……!」
 じゅる、と音を立てながら顔を上げたゲラートは、唇を一舐めして鋭いまなざしで私の顔を一瞥したかと思うと、無言で身を屈めて再びペニスを口に含んだ。深く、口の奥に届くほどに咥え込んで、そして、挿入しっぱなしだった指の先を折って腹側のしこりをぐうっと押した。
 瞬間、びくびくと腰が跳ねて止まらなくなる。これまでのゆったりとした快感とはまったく別の、苦しいほどに強烈な快楽が全身をつんざき、思わず涙が滲む。ゲラート、と名前を呼んで制止しようとしたが、前と後ろ両方から与えられる快楽に翻弄されるばかりでろくに言葉も紡げず、そうしているうちに堪えきれなくなり達してしまった。
 は、はぁ、と浅い呼吸を繰り返し、ぐったりとシーツに身を投げ出す。私が呼吸を整えている間にゲラートはアナルから指を引き抜き、力を失ったペニスを口から解放した。
 そのとき、顔を上げたゲラートの口から白いものが垂れていることに気付いてぞくりと肌が粟立った。
 乱れた前髪の、シルバーの部分だけが灯りを受けて色付いて見える。頬骨や鼻筋が色濃い影によっていっそうくっきりとした線を描き、そのまなざしを際立たせている。
 うつくしい――と、そう思わずにはいられなかった。若い頃は言わずもがなだが、老いてなお衰えることがない。昔は氷のような冷たさの中に眩いほどの太陽が秘められていたが、今は静かな月を湛えているように思える。
 ほとんど無意識に手を伸ばすと、ゲラートがそうっとその手をとった。ほんのりと湿って熱を帯びた指を優しく絡めて手のひらを合わせる。たったそれだけのことに心臓がどくどくと鳴り始めて、子どものように息が震えた。「ああ、だめだ」と、そんなシンプルな言葉が頭の中を通り過ぎていく。
 どれだけ恨んでも、嫌っても、愛しているという事実を曲げられない。いっそ憎しみにまみれてしまえたら、どんなに楽だったろう。
「……抱いてくれ」
「……っ」
 たった一言、それだけ呟くと、小さく舌打ちしたゲラートに勢いよくキスをぶつけられた。
 ゲラートは指を絡めたままの手をベッドに縫い留め、自身の唇で隙間なく口を塞ぎ、水音を立てて舌を絡め取る。
 ただでさえ息が上がっているところだったというのに、余計に酸素が足りなくなってくらくらした。それでも必死になって応えていると、臀部に熱いものが擦り付けられた。びく、と体が跳ねる。もう布の感触はない。熱を持った硬いものが、ぐりぐりと先端を押し付けるようにして臀部を擦っている。
 その先にあるものを想像してしまい、腹の奥が甘く痺れた。埋めてくれるものを求めて勝手にアナルが収縮し、もどかしさから足先がシーツを掻く。
「ゲラート、っ、たのむ」
 激しいキスの合間になんとかそう告げると、ゲラートは荒いしぐさで顔を上げた。
 吐き出されたくそっ、という小さな声は吐息に混ざって消えていく。離れてしまった手のぬくもりに一抹の寂しさを覚えたが、あっという間にバスローブと下着を脱ぎ捨てたゲラートが私の脚を抱え直したことで、そんな感慨は吹き飛んでしまった。赤黒く上向いたペニスが尻のあわいに押し付けられる。求めてやまないものが目の前にあるのだと思うと無意識に喉が鳴った。
 次の瞬間、待ち望んだものを与えられて声にならない声で叫んでいた。力強く体を開かれる感触。圧倒的な質量が腹の中に押し入ってくる。慎重に、だが確実に、ゲラートは腰を進めていき、やがてぴたりと下半身がくっついたところで動きを止めた。
 二人の呼吸音だけがやけに響いてうるさい。
 腹の奥に感じる独特の重苦しさは、自分の中にゲラートが収まった証だ。そう思うだけで、きゅう、とペニスを締め付けてしまう。
 わずかに息を詰めたゲラートが静かに息を吐き、こちらを窺い見たことで視線が交わる。オッドアイがほんの少し見開かれ、私は小さく首をかしげた。
 不意に手を伸ばしたゲラートが私の頬を撫で始めた。ひげごと手のひらで包み込んで、頬骨の上を親指の腹でなぞる。そして――どうしたことだろう、突然表情を崩したのだ。どこか幼さを感じさせる笑みが口元を彩る。いつもよりもまるく見える目尻にしわが集まり、弧を描く唇からは「ははっ」と吐息交じりの笑い声がこぼれ落ちた。
「……きみは、こんな顔をするんだな」
 いったい、私はどんな顔をしているのだろうか。わからない。だって、こんなことは初めてで……こんな……こんな、胸の底から湧き上がってくる幸福なんて、知るはずではなかったのだから。
 男が快感を得るのは比較的簡単だ。物理的に性感帯を刺激して導いてやれば射精はできる。
 だが、これはどうだろうか。互いに動いてすらいない、ただ繋がっていると感じているだけだ。それだけのことがなぜ、こんなにも全身を満たしていくのだろう。
 私はその答えを知っているはずだが、うまく受け入れられずにゲラートの手に自分の手を重ねた。そして腕を辿り、肩に触れて体ごと引き寄せて、両腕を首に回して抱き着いた。
 距離が近付いたことで相手の体温をより鮮明に感じる。熱い。どこもかしこも。
 ゲラートが腰を押し付けるだけで体は悦び、下腹部が細かく痙攣する。繰り返される律動によって押し出されるみたいに甘い痺れが腹の中に溜まっていき、まともに物事を考えられなくなってくる。
 腕を緩めて背を解放し、両手でゲラートの頬やうなじを撫でていると、自然と視線がぶつかった。その瞬間、恐ろしいほどの熱を秘めた瞳に目を奪われて動けなくなる。
 呼吸を乱し、汗をかきながら私を見下ろしているゲラートの表情は真剣そのもので、これまでに見たことがないものだった。
 初めて手を繋いだとき、初めてキスをしたとき、一緒に旅に出ようと決めたとき、生涯にわたる誓いを立てたとき――今見つめている表情は、鮮明に覚えているどの記憶とも合致しない。
 先ほどのゲラートの言葉の意味をようやく理解して「そうだな」と心の中だけで相槌を打つ。
 今さら君について初めて知ることがあるとは思わなかった。だが同時に、知らなければよかったとも思ってしまった。こんなにも満たされる感覚を知らなければ、もう得られないという事実を知ることもなかったというのに。こうしていられるのは最初で最後かもしれない。それなのに与えるだけ与えて去っていく男が憎たらしくなり、拳を握って、どん、と胸を叩いた。
 ゲラートは少しばかり驚いた様子で動きを止めて、黙って私を見下ろしている。そのあとで、困ったような顔で左右非対称に笑った。
 私がどうしてそんなことをしたのか百も承知だろうに、こんな状況ですら謝ろうとしないこの男も、それでも結局憎めもしない自分自身も腹立たしい。

   *

 ――私たちがこんな状況に置かれているのは、これがゲラートの望みだったからだ。
 ことの始まりは四年前、ヌルメンガード城に収容されたゲラートが看守に声をかけたことから始まった。具体的になんと言ったのかまでは知るよしもないが「未来を知っている、だから言うことを聞け」というようなことを持ちかけたらしい。
 当然ながら囚人との接触は禁じられていたため、看守はそれを無視した。しかしゲラートは諦めることなく語り続け、時折施される配給のたびに少し先の未来を語ってみせた。看守はやはり無視を決め込み、老いた罪人の戯言だと一笑に付してみせた。……しかし、いつしかそんな余裕は消え失せてしまった。
 当たるのだ。ゲラートが予告した事柄が余すことなく事実となり、ときに新聞の紙面を賑わせる。それに気付いた看守が不安になるのも仕方のないことだったろう。
 そこで、ゲラートは追い打ちをかけたのだ。
『お前が話を聞いていれば防げたものを』――と。
 看守は心を病んだ。抱えなくてもいい罪悪感に苛まれ、身も心もすっかりやせ衰えた頃になってようやく、心配した上司にすべてを打ち明けたのだそうだ。
 その上司は優秀な魔法使いだった。相手は最強と肩を並べる実力を持つ最悪の人間だ。ゆえに自らの手には余ると判断してさらに上層部へと進言した。そして、その進言を受けた者たちは、愚かなことに、ゲラートを利用できないかと考え始めた。
 初めは通常の聞き取りの手順を踏んだらしいが、すぐにゲラートの甘言に惑わされる者が現れ始め、これでは過去の二の舞になるだけだと判断して取りやめた。これは賢明な判断だろう。しかし、困ったことにこのままでは情報が得られない。どうにかして口を塞いで対処しようにも、ゲラートは口頭でしか伝えるつもりはないという。
 そこで、なんとしても情報を得たい者たちは考えた。
 ゲラートの言葉に惑わされることのない、ゲラートに匹敵する能力の持ち主なら、制限を少なくしての面会も可能だろう……そこで白羽の矢が立ったのが私だった。
 何度も協力を求められ、何度も断った。もうあの男に関わるのはこりごりだと、そう思っていたのだ。私たちは傷つけ合うことはできても、互いを救うことはできない。私はただ遠くから、少しでも多くの罪を償ってくれるよう願うだけだ。そう心に決めていた。
 しかし、あるときを堺にそうも言っていられなくなった。ゲラートからのことづてとして伝えられた話が、私が懸念している事態に関する情報だったからだ。そのとき伝えられた未来はまごうことなき事実となり、予見に従って動いてみると事態が改善した。
 私はしばらくの間、頭を悩ませることになった。本物の予知は貴重だ。罪人の力を借りる以上、十分注意が必要だとはいえ、その力があればどれだけの人間を助けられるだろう……。
 そうして自分の心情と、ゲラートという存在の危険性と、その他の脅威を天秤にかけて、より多くを救える方法を選ぶことにした。以降、私は聞き取り役となり、ゲラートは安楽椅子探偵よろしく、ヌルメンガード城から一歩も出ることなく事件を未然に防ぐ手助けをするようになったのだ。
 ……ここまで聞いて、ゲラートは改心してより善き人間になったのだ、と判断する者もいるだろう。実際、そうした者は魔法省の役人の中にもいたはずだ。だが、私はそうは考えなかった。何か裏があるはずだと思えて仕方がなかった。彼の念願であるはずの革命はいまだ成されていないのだから。
 そんな折だった。ゲラートが「恩赦がほしい」と言い出したのは。
 ついにきたか、と誰もが身構えたはずだ。私も何を言い出すのかと警戒した人間の一人だ。だが、ここまでいいように利用しておいて無下にもできなかったらしく、魔法省はひとまず要求を言ってみるよう促した。
 張り詰めた空気の中、ゲラートが口にしたのは「一日だけ外出させてくれ」という望みだった。いささか拍子抜けしたが、生涯幽閉が決まっている大罪人にとっては、一日は十分な時間だろう。それだけの時間があれば、どれだけの計画を実行できるか知れたものではない。
 当然、その場で結論が出ることはなく、時間をかけて幾度も議論と交渉が重ねられた。
 そんな長引く交渉の合間に、こっそりと、人の目を避けて尋ねてみたことがある。「なぜだ?」と。どうせ腹の内を明かしはしないだろうと思いながら「なぜこんな回りくどい方法を?」と問いただした。その口から直接答えを聞いてみたかったのだ。しかし……というか、やはりというべきか、ゲラートの返答は要領を得ないものだった。
「この手で葬り去りたい相手がいる。それだけだ」
 そう言ったきりゲラートは口をつぐんだ。
 多くを語るつもりはないらしいが、私はその返答に少しばかり安堵していた。改心したのだ、人民のためだと言われるよりも、利己的な欲求の方がよほど信じられる。だからこの言葉だけは、少し、ほんの少しだけ信じてみてもいいのかもしれないと、そう思ったのだ。もちろん、警戒を怠ったりするつもりはないが。

 そういったやり取りを経て下されたのは、
 〝魔力制御あり、監視付き、魔法を使えば時刻を待たず即再収監という条件付きで、半日の外出なら許可する〟
 という判断だった。
 ゲラートはそれで構わないと頷き、またしても白羽の矢は私に向けられた。当然ながら拒否したが、そんな権利はあってないようなものだった。ゲラートを制御できる魔法使いなど限られていて、現状、万が一に確実に対処できるのは私だけなのだから。
 そうして職場や友人・知人をなかば人質に取られるような形で、外出の同行者兼監視役を仰せつかったのだ。

   *

 その結果がこれだ。
 猶予の半日の間にしたことといえば、私が好むカフェに入ったり、ただ歩いてみたり、物珍しい骨董屋に入ってみたりした程度で、ゲラートが逃げ出すことも、街なかで何かを仕込んでいる様子もなく、私たちの道程はデートと呼ばれるものとほとんど変わらなかった。
 久しぶりにまともに見たせいかもしれないが、陽の光の下を歩くゲラートは溌剌として見えた。真横から向けられる笑顔も、さりげなくエスコートするしぐさも、すべてが眩しく、目を焼かれているかのような心地になる。まるで、あの夏の頃にいるようだった。ただ隣にいられることが嬉しくて、不安などひとつもなかった頃。その先にあったはずの失われてしまった時間に放り込まれたかのような錯覚に陥りそうになり、心の中で彼が未来を断ち切ってしまった者たちに強く謝罪する。

 ――すまない、すまない、許さなくていいから、今だけ、今日だけ見逃してくれないか。罪も贖罪も忘れはしないから、ほんの少しだけ、この男を見つめることだけ……。

 そうやって少しだけ、少しだけ……と許し続けた結果、言い逃れできないところまできてしまった。こうして並んでいられるのはどうせ今日だけだという意識もそれを加速させたのだろう。この時間は永遠に続きはしないのだから、と誰にともなく言い訳し続け、レストランの上階に併設してある宿泊部屋へと続くエレベーターを示されたときも、繋がれた手を振りほどいたりはしなかった。
 だから今、こうして報いを受けているのだ。至上の幸福と地獄の苦しみを同時に味わっている。
 黙ってしまった私を宥めるために、ゲラートが髪や額を優しく撫でる。私のこぶしを開かせて指を絡め、きつく握られる。次いで首や肩にいくつもの口づけが降ってきて、触れた箇所から広がっていく確かな快感に身震いした。
 そして、私はまたひとつ諦める。
 真っ当な自分を黙らせて奥底に押し込めて、最低だとわかっていながらゲラートの手を握り返した。
 それを許可だと受け取ったのだろう。ゲラートはゆっくりと律動を再開した。ゆるゆるとした刺激は段々と激しくなっていき、塗り込んだクリームの粘着質な音と自分の声が重なり始める。
 繰り返し前立腺を刺激されて声が抑えられない。擦れる入り口のあたりも、奥深くを押される感覚も、何もかもが快感に繋がっている。
「っは、ゲラート、げらーと……ッ」
「アルバス、っ、口を開いて……ああ、そう、いい子だ」
「ん、ン、……っ」 
 素直に開けた口の中を舌で犯される。侵入してきた舌は熱く、別の意思を持ったいきもののように自由に動き回って、また頭の中を白く染めていく。体の中に渦巻く熱が膨らみ続け、高みに向かうことしか考えられなくなる。
 口内をまさぐられ、だらしなく唾液をこぼしながらなんとか言葉を声にした。
「もう、い、く……っゲラート、っ」
「はっ、私も、出そうだ」
「ぃ、いく、い、ぁ、ア……ッ!」
 それだけ告げて、あとは身を縮こまらせることしかできずに達した。一度射精していたせいだろう。腹が濡れる感覚がなく、少し遅れてドライでイったのだと理解した。
 ゲラートも息をつめながら身震いして、出したものを腹の中に擦り付けるみたいに腰を揺らしてからようやく動きを止めた。
 それから今度は優しいいたわりのキスを与えられて、また胸の内がじんわりと熱くなる。何度も後悔するとわかっているのに、困ったことに、心だけは制御できない。
「あと、どれくらいだ……?」
「そうだな……一時間と少しといったところか」
「なら、もう少し、続けられるな」
 壁の時計をちらりと見たゲラートの返答を聞いてそう言うと、ゲラートはどこかおかしそうに声を殺して笑い出した。
 大声をあげられるよりよっぽどマシだが、繋がったままのこの状態では、振動が内臓に直に響いて落ち着かない。
「っ、言いたいことがあるなら、言えばいいだろう……」
「いや、相変わらず貪欲だと思っただけだ」
「なんとでも言ってくれ。今は時間が惜しいんだ」
「ああ、そうだな、アルバス……」
 小さく頷き囁くゲラートの瞳から目が離せない。燃えるような強い光を宿した目だ。その目が今だけはとろりと蕩けて、私だけを見つめている。
 いつか、この日のことを後悔するときが来るかもしれないが構わない。今この瞬間、私に向けられているこのまなざしを自分だけのものにしておきたいのだ。
 だから、あとほんの少しだけ……もう何度目になるかわからない言葉を心の中で繰り返し、胸の内で正しい声をあげ続ける自分を殺して、ゲラートの背に手を伸ばした。
 あと少し、日付が変わるまでは、どうかこのまま――。

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