YOU

愛を形にする菓子で遊ぶゲラアルのバレンタインのはなし。なんとかなった平和世界。

 コンコン、と音を立ててノックしてから数秒後、堅い扉はゆっくりと開かれた。いささか重苦しい音とともに開いた扉の向こうから顔を覗かせた人物の姿を捉えた途端に、アルバスの目は自然と弧を描き、細かなしわが目尻に集まる。その小さな変化に気が付いた、この家の主人であるゲラートもまた目尻を緩め、静かに視線で応えて恋人を室内に迎え入れた。
「少し遅れてしまったかな?」
 そう告げたアルバスが少しばかりわざとらしく眉尻を下げて室内へと足を進めると、一連の様子を見ていたゲラートが堪えきれないというようにクッ、と笑いを嚙み殺して「心にもないことを」と返事をした。アルバスは脱いだ帽子を片手に、心外だと言わんばかりに眉を持ち上げて目を大きく開く。
「まさか! 本当に申し訳ないと思ってるさ」
「君の予定が突然変わるなんて、今に始まったことじゃないだろう」
「だからこそだ。なんだか君を待たせてばかりいる気がしてね……平日は特に」
 そう告げる声にほんのりと苦さが混じる。
 アルバスが務めるホグワーツ魔法魔術学校の生徒たちは良くも悪くも曲者揃いだ。自分が生徒の立場だったときはそれが魅力だったが、監督する側になると、悩みの種になってしまうこともあった。なにしろ、予定通りに物事が進まずしわ寄せを受けるなんてことがしょっちゅう起こるのだ。普段ならそういった小さな事件ごと仕事を楽しんでいるが、人を待たせているとなったらそうはいかない。突拍子がないと評されるアルバスとて、それくらいの良識は持ち合わせている。
 本心からの苦笑を浮かべるアルバスの顔を見下ろしているゲラートはどこか満足げだ。それからさらに、いっそう愉快そうに目を細めて言葉を繋いだ。
「君が遅れれば遅れるほど、私のことを考える時間が増えていると思えばそう悪い話でもない」
「それは確かに……否定できないな。このドアが開くまでずっと、君のことが気がかりだった」
 アルバスの言葉を聞きながらドアを閉めたゲラートの口元が緩やかな弧を描く。そんな彼の身を包んでいるシャツやベストが普段着よりも少々質のいい、余所行きのものだと気が付いて、アルバスの胸は小さく踊った。
 招かれた室内は、上着が手放せない外とは違って適度なあたたかさに包まれており、ディナーの時間をとっくに過ぎた頃にやってくるアルバスのためにゲラートが環境を整えてくれていたのだろうことが窺えた。こうして対面するまでの間、相手のことをずっと考えていたのは自分だけではなかったのだ――そう感じて、アルバスはこっそりと口元を綻ばせた。そして、気を取り直して上着を脱ぎ、手にしている帽子の内側から一本のボトルを取り出して、軽やかな足取りでゲラートの目の前まで近付いていく。
 アルバスの口が奏でた「じゃじゃーん」という効果音に合わせて視界に飛び込んできたボトルを見たゲラートは、アルバスの上着と帽子を浮かせてコート掛けに掛けてやりながら、ラベルに書かれた文字を目で追い、一際大きい文字を読み上げた。
「ジン? 珍しいな。ここでは凝ったカクテルはつくれないぞ?」
「いやいや、ライムとレモンがあれば十分うまいぞ。君がブランデーの方が好きなのは知ってるが、たまにはいいだろう?」
「構わないが……」
「よかった! グラスを頼むよ、ゲラート。おっと、いけない」
 そう言ってボトルをゲラートに押し付けたアルバスは、フックに掛けられたばかりの帽子を取って、再度内側に手を突っ込んだ。そのままごそごそと少し中をかき混ぜてから手を引き抜く。すると、その手の中には、先程までは存在していなかったはずのライムが二つも握られていた。
「これで――問題ないな」
 帽子を掛け直したアルバスは、ゲラートの手からボトルを取り戻し、にこにこと笑みを浮かべてライムとボトルを並べてみせる。
 なかば強引に疑問を解決してしまった恋人に向かって小さなため息をついたゲラートは、「先に座っててくれ」と告げてキッチンに向かって歩き出した。アルバスは「ああ」と頷いて背を向けて、リビングにある、二人掛けにしては大きいソファに腰を下ろし、ローテーブルにボトルとライムを置いてゲラートが戻ってくるのを待つ。
 そうやって別れてから間もなく、ゲラートは戻ってきた。その手には透明のグラスが二つと、小さなナイフが握られている。
 ゲラートが当然のように隣に腰を下ろすのを待って、アルバスはボトルに手を伸ばした。ゲラートがライムにナイフを入れている間に、アルバスがボトルの封を解き中身をグラスに注いでいく。そうして二人の手によって完成したグラスは、暖炉の火を透過して、微かな橙色の光を宿してきらめいた。視線を交わし、それぞれのグラスを持ち上げて乾杯する。
 グラスに口をつけたゲラートがほのかに香る柑橘の風味に頷き、手元のグラスを見ながら「悪くない」と呟くと、アルバスは嬉しそうに微笑んだ。続いてアルバスもグラスの中身を煽る。
 その瞬間、見計らっていたかのようにゲラートは無言で立ち上がった。
 そのまま席を外してもアルバスが気にする様子はなく、変わらずジンを楽しんでいる。アルバスは小さく鼻歌を奏でながら、ライムを味わい目を閉じる。しばらくの間そうしていると、アルコールに混じって、先程まではなかった香りが空気中を漂っていることに気が付いた。期待を胸に、アルバスは鼻歌を止めてゆっくりと目を開ける。すると、自分の手元のすぐ隣に真っ赤なバラがぎっしりと並んでいる姿が視界に飛び込んできた。それの根元を支えているのが床に片膝をついている恋人の手なのだと知って、アルバスの口元がふわりと綻ぶ。
「今年はまた豪華だな。去年よりも立派なんじゃないか?」
「ああ、今年はよく育ったと店主も言っていた」
 かわいらしいリボンと包みで彩られた大輪のバラの花束は自然とアルバスの手に渡ってその視線を射止めた。ブルーの瞳が真っ赤なバラをひとつひとつ視線で撫でていき、グラスを手放した指先が腕の中の花びらのふちをそっとなぞる。
 そんな恋人の姿を眺めるゲラートのまなざしも自然とやわらいでいき、やがて満足げな、ゆったりとした動作で再びアルバスの隣へと腰を据えた。
「ありがとう、ゲラート。大事に飾るよ」
 花束から顔を上げたアルバスは微笑みかけてそう言い、続けて「私からももうひとつ、贈り物があるんだ」と人差し指を立てて示した。
 その言葉に合わせて花束は宙に浮かんで移動し、テーブルの上にゆっくりと降り立つ。その間もアルバスの手は動き続けており、人差し指は流れるようにジャケットの内ポケットの中に忍び込んで、小さな紙の包みを取り出した。
 それは真っ白な、なんの変哲もないように見える、手のひらに収まる大きさの包み紙だったが、中心がわずかに膨らんでいて、中になんらかの固形物が収まっていることが見て取れた。
「それは?」
「これだよ」
 ゲラートの問いにそれだけ答えて、アルバスは包み紙を開いた。
 丁寧な手つきで開かれた、折り目のついた紙の上に乗っているのは二つのジェリービーンズだ。細長く、先端は角がなく、胴体はゆるやかなカーブを描いている、そらまめに似た半透明の菓子。一般的なそれとの違いは、表面をコーティングしている光が動いている点だろう。二つのジェリービーンズに宿っている七色の光は、オーロラのようにゆらゆらと動き続けている。
 少しばかり奇妙な菓子……に見えるそれを見つめるアルバスの目がきらきらと輝いていることに不穏な気配を感じ取ったゲラートは、隠すことなく顔をしかめた。しかし、アルバスは動じることなく、ゲラートにもよく見えるようジェリービーンズをひとつ指でつまんで持ち上げ、顔の正面で掲げてみせた。
「……なんだそれは」
「今にわかるさ。いいか? よく見てて」
 渋々紡ぎ出された質問にもろくに答えず、アルバスはつまんでいるジェリービーンズをひょいと口の中に放り込んだ。ゲラートが止める間もなく、謎の菓子はアルバスの口内で咀嚼され、嚥下され、体内へと滑り落ちていく。
 思わず口を出しそうになったゲラートを手で制してから、アルバスは両の手のひらを受け皿のように持ち上げ、そこに向かってふう、と息を吐き出した。アルバスの吐息は菓子と同じ七色の光を帯びながら手のひらの上に溜まっていき、渦巻きながらゆっくりと何かを形作っていく。
 やがて息を吐ききる頃、吐息の塊は何にも似ていない物体になっていた。作業を終えたらしいアルバスは手に乗っている物体をまじまじと眺めては感心して頷いたり笑ったりしているが、いまだなんの説明もされていないゲラートは眉間のしわを深くするばかりだ。
 アルバスの吐息が作り上げたそれは、どこか丸みを帯びながらも、手のひらに触れている底の方や上部の一部分――かどというのが正しいのかもしれない――など、ところどころに棘らしきものが生えており、全体は虹色に見えるのに、内側の中心の奥深くだけがやけに重苦しい青を湛えている。
「なんなんだ、これは」
「〝愛〟だよ」
 は? という言葉をなんとか飲み込んだその努力を褒めてほしい――と、ゲラートはそう思わずにいられなかった。その代わり、表情にはすべて表れていたのだが、アルバスはそんな反応にちっとも堪えることなく、手の中の〝愛〟を観察しながらぺらぺらと話し始める。
「最近の流行りなんだ。元はいたずら菓子なんだが、なかなかに高度な魔法が込められているみたいでね。使用者の〝愛〟を形にするといううたい文句で売られているんだが……ふむ、なるほど、興味深い。形や対象の細かい指定はできないようだし、開心術ではないからと正確性を疑問視する声もあるが、まあ、遊びとしては十分だな。使用者の漠然としたイメージを拾い上げて形にしているんだろう。ほら、このとおり、私の〝愛〟はどうやら少々複雑らしい」
「これの細工がおもしろいのはわかったが、こんなものが流行ってるのか? 子どもの間だけじゃなく?」
「ゲラート、考えてもみてくれ。世はバレンタインデーだぞ? 愛を示すにはもってこいの日だ。そうだろう?」
「……つまり?」
「つまり、巷では、これを恋人同士で交換するのが流行ってるんだよ。こうやって……『わたしの〝愛〟をあげる』」
「くだらないな」
「なんだ、もらってくれないのか?」
 両手を差し出すアルバスの眉尻が残念そうに下がり、甘えを含んだまなざしが上目遣いでゲラートに突き刺さる。
 いつもの手だとわかっているのに一笑に付すこともできず、ゲラートは差し出された物体をそっと受け取った。元が吐息なだけあって、その物体はわたあめのように軽かった。それでいて微かな熱を孕んでおり、触れている手のひらがじんわりと温かくなっていく。
 思いの外、繊細な感触に感心してしまったゲラートの口から、ふむ、と小さな息がこぼれ落ちる。
 アルバスがそれを見逃すはずもなく、してやったりとばかりに満面の笑みを浮かべて、すかさずもう一粒のジェリービーンズをゲラートの口元に差し出した。
 ゲラートの両手は塞がっていて、アルバスの手から逃れる手段はない。だが、そうされずとも、逃げるつもりは毛頭なかった。心の内を暴くという菓子。実際にその結果を目にした今、猜疑心よりも好奇心が勝っている。
 ゲラートは自らアルバスの手に顔を寄せてジェリービーンズを口に含んだ。先程見た様子を真似てそれを咀嚼し、じわりと滲み出てきた半固形物をすべて飲み込み、顎をしゃくって両手を出すようにアルバスに指示した。そうして差し出されたアルバスの手を自分の手の代わりにして、ゆっくりと吐息を吹きかける。
 ふう、と吐き出された七色の吐息は渦を描きながら少しずつ固まっていき、何かを形作ろうとしている。……そこまでは一度見た光景と変わりなかったのだが、途中から様相が変わり始めた。アルバスの吐息は抽象画のように明確な形を持たないまま形を保っていたが、これは違う。単純な球体でも角形でもない。細長く、細かな凹凸があり、先端はわずかに出っ張って尖り、逆側の先端は丸みを帯びて最も繊細な形を模していく――。
「これは……」
 アルバスはそれ以上言葉を紡げなくなっていた。ゲラートの〝愛〟を片手に乗せて、もう片方の手で自分の髭を撫で、そのまま口元を覆い隠す。じわりと顔に熱が集まり、視線が小さく泳いでさまよう。
 アルバスの手に乗っているのは、小さなアルバス・ダンブルドアそのものだった。元は七色だったはずだが、形が固定される頃には真っ白に変化し、内包した微かで細かな光が夏の日の砂浜のようにきらきらと輝いている。
 絶句したまま、手のひらに居座るそれを直視できず、しかし無視もできずに、アルバスはひげを撫で続ける。

 ――〝愛〟を形にする魔法が込められた菓子。そのうたい文句は決して嘘ではないが、売り物らしく少々誇張されてもいる。
 商品として量産するからにはあまり複雑な仕掛けは施せず、当然ながら、成果には制限が生じることになる。要するに、この魔法が探り当てる〝愛〟とは恋愛に限らないのだ。友愛も親愛もすべて内包した、使用者のあらゆる情の上澄みを拾い集めているにすぎない。
 それが明確にアルバスを形作ったということは、つまり……。

「どうした、アルバス?」
 ゲラートの声がアルバスの思考を遮る。
 思わずぴくりと肩が揺れる。
 そうしてゆっくりと視線を持ち上げたアルバスの前には、余裕たっぷりの見慣れた笑顔があった。
「それがそんなに意外か?」
「……君はちっとも意外そうじゃないな」
「驚きはしないな。こうなるのは道理だろう」
 存外にやわらかな声と、ゆったりと細められたオッドアイが、アルバスをまっすぐに射抜き続ける。
 手のひらに乗っているゲラートの〝愛〟はアルバスが作り出したものよりずっと熱い。その熱が毒のように手のひらから伝わって、徐々にアルバスの体温を上げ始める。その途中でぞくりと背筋を走っていったものが悪寒だったのか、それとも違う予感だったのか、アルバスには判断がつかなかった。
「本当に……恐ろしい男だよ、君は」
「こんなに一途なのに? ひどい言いがかりだな」
「だからさ。君の愛は一途で、激しくて……だからこそ、違う誰かに向いたらと思うと恐ろしい」
「ありえないな」
「そう願いたいね」
 本心を軽口で覆い隠して、アルバスはゲラートの頬に手を伸ばした。アルバスが覗き込むようにして色違いの瞳を見つめると、同じだけのまなざしが返ってくる。そして、喜色が滲む瞳が近付いてきて唇が重なり、穏やかな熱が混ざり合う。
 些細な遊びのつもりが恐ろしいものを引き出してしまったと理解していながらも、喜びを感じてしまう自分に今更ながら苦笑して、アルバスはそっと目を閉じた。

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