短いのまとめ *

 ひとつになりたいニールの話(2022/5/24)
 ボス主×若ニールでボスが心配でたまらないニールの話。

 コンコン、という控えめなノックの音を耳にした男は、着替えの手を一瞬止めて「どうぞ」と答えてから、Tシャツの裾を下ろして着替えを終わらせた。
 開いたドアから顔を覗かせたのは、無造作に整えられたブロンドだった。ニールだ。ニールは室内をぐるりと見回し、そろそろと部屋の中に入ってきて後ろ手にドアを閉める。
 男はニールの顔を一瞥すると、背中を向けて鞄を引き寄せて荷物をまとめ始めた。そうしている間もニールは動こうとしない。男は手は止めず、背後で突っ立っている相棒に声をかけた。
「どうした?」
「うん……仕事に復帰するって聞いて」
「ああ、もうトレーニングも問題なくこなせるからな。ようやく暇な時間ともお別れだ」
 男は冗談交じりにそう答えたが、ニールは笑わなかった。笑えなかった、というのが正しいだろう。
 そもそも、男が暇な時間という名の療養期間を過ごすことになったのは、前の任務で怪我を負ったからだ。任務自体は問題なく終わらせたので、男としてはなんの問題もなかったのだが、周囲の人間にとってはそうではなかった。なにしろ、任務に関わった人間の中でただ一人、大怪我を負って戻ってきたのだ。それも、手当てがあと少し遅ければ命にかかわるような傷だったのだから、近しい人間が顔色を変えたのは至極真っ当な反応だと言えるだろう。
 だが、当の本人はというと、意識が戻るなり、いつ動けるようになるのかと、そればかりを気にしていた。男の中で燃え盛る使命感は、ときにおのれの優先順位さえ下げてしまう。
 男の意識が戻ったと聞いて病室に飛び込んできたニールが、むっつりと口をへの字にしていたのだって当然のことといえる。
 しかし、男はそんなことなどお構いなしだ。
 次の仕事の準備を進めつつ、男がもう一度「どうした?」と声をかける。すると、ニールはゆっくりと歩き出し、背を向けたままの男の肩にそっと額を乗せた。
 そのままの姿勢で数十秒がたった頃、ニールの手がおずおずと腰に触れたことで、男はようやく手を止めた。控えめに触れている手の甲をあやすように撫でてから、振り向いてニールの顔を上げさせる。男の両手に包まれたニールは、情けなく眉尻を下げていた。
「仕方ないな」
 そう呟いて苦笑した男は、目の前できつく引き締められている薄い唇にキスをした。

 呼吸を乱したニールが、男の上に跨って腰を揺らし続けている。時折、繋がっている箇所から微かな濡れた音が響き、双方の欲を煽った。
 必死な様相で深く繋がろうとするニールを宥めるように、男が汗ばんだ太ももを撫でると、ニールは上体をかがめて男に口付けた。何もかも喰らい尽くすような情動とは裏腹に、そっとついばむようにキスを落とす。すると、それを受け止めた男が優しく背中を撫でる。
 男の両腕に包まれてやわらかく息をついたニールは、黒曜石の瞳を間近で覗き込み、ゆっくりと囁いた。
「このままあなたに飲み込まれて、ひとつになりたい」
「なぜ?」
「境目がなくなったら、あなたが死んでしまうかも、なんて考えずに済む」
 そこまで言い切って、ニールは男の首筋に顔をうずめた。男からはニールの表情が見えなくなったが、不安気に、そして不満をこらえて顔を歪めているのだろうということは想像がついた。
 男が怪我を負ったことを誰よりも心配していたのはニールだ。自分の仕事の合間に何度も男の元へと足を運び、たとえ直接言葉を交わせなくても、隣に座って様子を窺っていた。
 そんなニールを揶揄する連中がいることも男は知っている。そういった男たちが『犬』だとか『ボスの〝男〟だから』といった下卑た言葉で遠巻きに侮辱しているのはニールにも伝わっていたが、本人は『まったくの嘘とも言えない』と気にする様子はなく、いっそ笑ってさえいた。ニールにとっては男が何よりも大事で、ほかのことは二の次なのだ。
 それを知っているから、男は部屋にニールがやってきたときも驚かなかった。ニールは自分が死にかけようと、他人に何を言われようと気に病んだりしないが、男に関わることとなると過敏ともいえるほどに心配性になる。そして、ときどきこうやって、男の存在を確かめに来るのだ。
 そういうとき、男は何も言わずに受け入れることにしている。
 だが、今回ばかりは聞き捨てならなかった。男は、ニールが男のことを優先したがるのは受け入れているが、自分をないがしろにすることに関しては、聞き入れてやるつもりは毛頭ない。
 乱れたブロンドを撫でながら、男はほんのりと赤く染まった耳たぶをやわく噛み、耳元へと声を吹き込んだ。
「俺は絶対にごめんだな。こうして触っているのがお前だってわからなくなるのは」
 ぴくりと肩を震わせたニールが、ゆっくりと顔を上げる。二人の視線がぶつかると、ニールは複雑そうな表情のまま、つい、と視線を逸らした。
「それは……確かに嫌、かも」
「だろう? たとえ別れの日が来ても、苦しむとしても、こうして体温を感じて、声を聴いていられる方がずっといい」
「それが年の功ってやつ?」
「そうかもな」
 ニールの調子が戻ってきたことを認めて男が頬に口付けると、ニールはお返しというように男の唇を優しく食んだ。
「でも、やっぱり無茶はやめてくれ」
「……約束はできない」
「そういうと思ったよ」
 こんなときでも嘘をつかない男に苦笑して、もう一度キスを落とし、ニールはもぞもぞと上体を起こす。そして、少しだけ不安そうな顔を見せた。
「別のいきものでいる方がずっといいって、ちゃんと教えて」
「ああ、そうしよう」
 不安が拭えない恐ろしさは男にもわかっていた。小さな傷痕は、男の胸の内にも存在している。だから、男はニールを受け入れ、抱きしめる。
 静かに微笑んだ男はニールの手を取り、引き寄せて、自身の想いが伝わるように、微かに震える指先にキスをした。

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