Shooting star maker

ゲラアルの夏企画用投稿作品でした。
あの夏の若ゲラアルと流星群の話。星をつくるゲラアルと鬱屈と希望。

 ――最悪だ、最悪だ、最悪だ!
 ばくばくと心臓が嫌な音を立てる。髪を乱す風はちっとも体温を下げてはくれず、箒の柄を握る指先は小さく震えている。
 よりにもよって今日だなんて……! と、どうにもならない焦りばかりが頭の中をぐるぐると回る。妹に罪はない。彼女が望んで体調を崩しているわけではない。そんなことはわかっていても、恨み言を言わずにはいられなかった。今頃はゲラートと一緒に空を見上げているはずだったのに、現実の僕は弟に気付かれないようにこっそりと家を抜け出して静まった村の上空を飛んでいる。
 久しぶりのひどい発作だった。今夜の発作はアバーフォースひとりでどうこうできるものではなく、何時間もアリアナのそばを離れられなかった。それでも頭の中はゲラートとの約束のことでいっぱいで、妹を宥めながら何度も何度も時計を確認しては、待ち合わせ時間が刻々と迫り、過ぎていくのを見ていた。それがどれだけ悔しかったことか。でも、そんなことは弟妹にもゲラートにも関係ない。恋人との約束を破り、病んだ妹を置いて家を抜け出した。それだけが紛れもない事実だ。
 本当なら日付が変わる前に玄関から家を出て待ち合わせ場所に向かうはずだったが、今の僕にそんな余裕はない。アバーフォースに気取られないように足音を殺して自室の窓から抜け出したのが先ほどのこと。上空に浮かび上がりながら、バチルダの家に寄ってゲラートの在宅を確認するべきか迷ったあげく、もしかしたら……という一縷の望みにかけてまっすぐ待ち合わせ場所に向かうと決めたのがつい一分前。この時点で本来の約束の時間からすでに一時間以上経過している。
 嫌になって帰ってしまっただろうか。自分から誘っておいてすっぽかしたと、そう思われただろうか。彼はうちの事情を知っているけれど、それとこれとは別の話だ。彼は短気なところがあるから「もういい」と言ってとっくに帰ってしまったかもしれない。その可能性の方が高いだろう。それでも諦めきれず、待ち合わせ場所である丘に向かう。
 自宅を離れて村の中心を通り過ぎ、さらに家々を超えて空を飛ぶ。もう休んでいる住人が多いのだろう。窓からこぼれる明かりはぽつぽつと途切れがちに見えるだけで、当然ながら出歩く人の姿はほとんどなく、辺りは静かだ。賑やかな音と光が漏れ出ているのはパブの周辺くらいのものだ。そのささやかな喧騒も丘に近付くほどに遠くなり、いつしかひっそりとした闇だけが周囲を包み込んでいた。
 集落の端に位置する家の上空を通り過ぎたところで速度を落とし、ゆっくりと丘に近付きながら周囲の様子を窺う。『丘』と僕ら住人は呼んでいるけれど、集落から少し離れているというだけで広くもなく、少し小高いだけで特別高所に位置しているわけでもない場所だ。だが、そのわずかな距離と高さが住宅からの影響を取り除き、この場所を観測地として最適な場所に作り上げている。だからゲラートを誘ったんだ。『一緒に星を見ないか?』って。この時期になると、一晩でたくさんの星が降ることがあるから。
 今晩、確実に流れ星が見れる保証なんてなかった。でも、僕はそれでもよかったんだ。一晩彼の隣にいられたら、それだけで――そんなことすら考えていたのに、今年は予想通りに星が降った。今も時折、頭上を光の線が走っている。たったひとり、焦りを抱えたまま箒に跨る僕の頭上を、美しい星が弧を描きながらどこかへと落ちていく。
 ろくに空を見ることもないまま辿り着いた丘の頂上近くで、暗闇の中で目を凝らす。すると、ぽつん、と闇に溶け込むようにしてひとつの影が佇んでいるのが見えた。彼の黒衣が暗闇に紛れ、その姿を隠したとしても、太陽のようなブロンドの輝きは色褪せることがない。丘の頂上で座り込んでいるゲラートの後ろ姿に一瞬だけ目を奪われてから、今はそれどころではないと思い直して箒の柄を強く握りしめる。そして、嫌な緊張に全身を苛まれながら、頂上の少し手前で地上に降り立った。
 ゲラートがまだここにいてくれたことが嬉しい。でも同時に、ひどく怒っているのではないかと不安で仕方なかった。正面から向き合う勇気はなく、足音を立てないようにそろそろと近付いて少し離れた場所で立ち止まり、斜めうしろからその背中を見つめる。
「……ゲラート」
 呼びかけに返事はない。
「ゲラート……本当にごめん。アリアナが体調を崩したんだ。それで離れられなくて……いや、言い訳だな……。とにかくごめん、僕から誘ったのに」
 ゲラートはやはり答えない。無言の背中が痛い。彼が怒るのも当然だとわかっていたが、それでも胸はずきずきと痛んだ。
 それ以上かける言葉もないというのにこの場を離れることもできず、僕は再び足を進めた。日中よりも色濃く見える足元の草を踏みしめながらゲラートの隣に並び、いつもより距離をあけて隣に腰を下ろす。そうして、僕の箒、僕、ゲラートの順で一列に並んでしまうと、やってきたのはさらなる沈黙だった。時折吹く風は音を立てるほどの力強さはなく、空はどこまでも続いているかのような大きさで丘をすっぽりと覆っている。
 見事に晴れた、鮮やかな星空だった。微妙に色合いがちがう大小の星々が、それぞれの光で存在を主張している。とても数えきれないほどの満天の星空。その中をときどき駆けていく流星。その下には、僕とゲラートがふたりきり。
 望んだ世界のすべてが揃っているはずなのに、ゲラートは無言を貫いたままで、僕はまともに彼を見ることすらできずにいる。それがどうしようもなく悔しく、情けなかった。目元が熱くなりそうになったがぐっと堪える。幸いなことに空を見上げているから雫が頬を伝うことはなかったし、黙っていたから声が震えることもなかった。視界を埋め尽くす夜空を美しいと思うほどに、ちっぽけな自分を惨めに感じる。そうすると、普段は奥底にしまい込んでいるさまざまなものが顔を覗かせ始めた。
 彼女に咎はないとわかっているのに、狙ったかのようなタイミングで調子を崩す妹を恨めしく思った。一人では妹を支えきれない弟のことを、無能だと心の中で罵った。そして、そう考えてしまっているという事実が、胃の奥のほうを蝕んでいく。
 どうして何もかもうまくいかないんだろう。そんな、怒りとも悲しみともつかない何かがあふれ出しそうになって、慌てて自分の二の腕を掴んで誤魔化した。服ごと腕をきつく握りしめたことで生じた痛みで、叫び出したい衝動をなんとか抑え込む。そのときだった。「ああ、もう!」というゲラートの声が周囲に響いたのは。
 驚いて隣を見る。ゲラートは乱暴に頭をかいて髪を乱し、苛立ちを隠すことなく僕の方を向いた。その眉間にはくっきりと線が刻まれていて、口元は不機嫌そうにへの字をかたどっている。
「さんざん待たされたから少しいじめてやろうと思ったのに、これじゃ僕が悪者みたいじゃないか……!」
 ぶちぶちと唇からこぼれ落ちる言葉には不満が込められていたが、激しい怒りは感じられない。
 驚いてぽかんと口を開けたままの僕のことを見たゲラートは、気まずそうに目を逸らし、ほんの少しだけ言葉を詰まらせて唇を尖らせた。それからもう一度、今度はちらりとこっちを見る。
「……そんな顔するなよ、笑ってる方がいい」
「……怒ってないのか?」
「怒ってるさ。でも君にじゃない。君のか弱い妹と、愚鈍な弟にだよ」
「そんな……二人が悪いんじゃない。どうしようもなかったんだ。僕が唯一のおとななんだから、僕がなんとかするのは当然だろう?」
 腹の中で滞っている感情とは裏腹な言葉がすらすらと口をついて出たことに自分で驚いた。だが、それは〝まじめな長兄〟の顔の下に隠してゲラートを見つめ返す。
「ふうん……君がそう言うならそれでもいいけどね」
 僕の心の内など何もかも見透かしているかのような視線で射抜かれて、心臓がどきりと跳ねた。このままでは何もかも吐き出して、大事なはずのものまで放り出してしまいそうで、何も答えられなくなる。ゲラートはそんな僕のことなど構わずに、腕を伸ばしてそっと僕の毛先をつまんだ。
「ぼさぼさだ。こんなになるほど急いで来たのか? そんなに僕に会いたかった?」
「そうだよ。ずっと、ここに来ることだけを考えてた」
 ゲラートがするすると手を動かして僕の髪を整えていく。ふとした瞬間に地肌に触れる、髪を梳く指の心地よさに目を伏せて小さく頷き、そう答えると、ゲラートは目を細めて笑みを浮かべてみせた。
「いい子だな」
「聞き捨てならないな、僕は子どもじゃない」
「ああ、よぉく知ってる。こうやって僕に悪いことを教えてる、悪いオトナだ」
 くすくすとおかしそうに笑うゲラートの顔がゆっくりと近付いてきて、視界いっぱいを星空の代わりに愛しい顔が埋め尽くす。そっと目を閉じると、唇にやわらかいものが触れた。優しく、やわらかく、ゲラートが僕の唇を啄む。髪を撫でていた指が耳のふちを辿り、首筋を辿って滑る。それだけのことで全身が痺れて、すべてがどうでもよくなっていく気がした。
 少しの沈黙のあと、唇が離れていく気配を感じて目を開ける。時間をかけて視界がひらけていく。持ち上げた目蓋の向こうでは、ゲラートが笑みを浮かべて僕の顔を覗き込んでいた。
「機嫌はなおった?」
「機嫌が悪かったのは君の方だろ、ゲラート」
「さあ、なんのことだか」
 ゲラートは口元に弧を描いたまま、わずかにあいていた距離を詰めて座り直し、当然のように空を見上げた。数分前まで存在していた頑なな背中はもうない。僕はそっと胸を撫で下ろし、ほんの少し肩が触れ合う位置を保ったままゲラートの横顔を眺める。
 ゲラートはいつだって素直に笑い、怒り、こころを吐露する。それがひとの反感を買うことも知っているが、僕にはそんなところが眩しくて仕方なかった。ひとには言えない僕の中のどす黒いものを彼が掬い上げて口にするたびに、どうしようもなく救われてしまう。
「まだ何か気になる?」
 僕の視線があからさまだったせいだろう。ゲラートは小首を傾げて僕を見た。
「いや、やっぱり一番いい時間は逃したかなって……」
「ああ、それは確かに……」
 適当に発した僕の言葉に頷き、もう一度空を見上げたゲラートの声が途切れる。そうしてしばらく同じ姿勢でじっと空を見ていたが、ふいに杖を取り出して杖先を頭上に向けた。ゲラートの杖の先端にぽうっと小さな光が宿ったかと思うと、光は杖を離れて僕らの頭上へと昇り始める。そして、ある一点で止まった。ふわふわと空中を漂うそれに目を奪われていると、続いてもうひとつ、さらにひとつと光の粒が目の前を昇っていく。それらの小さな光は、星空の中でも一際強く輝く三点にぴたりと重なった。ゲラートの杖から放たれた光が三角形をかたどる位置できらきらと輝く。
 僕は思わず感嘆の息をこぼしていた。みっつの光に見惚れて背を逸らせ、体を支えるために両手を地面につく。僕がその小さな星たちに気を取られている間もゲラートは光を創り続けていて、ひとつ、またひとつと、夜空よりもずっと近い場所に星が増えていく。そのとき、地面に置いていた手にゲラートの手が重なった。自分とは違う体温に触れて、一瞬で指先に熱が集まる。隣を見るとゲラートはとっくに空から目を離していて、静かに僕のことを見つめていた。いつからそうしていたんだろう。口を半端に開けたまぬけな顔を見られただろうか。ふと、そんなことが心配になったが、ゲラートの顔を見てそれは杞憂だとすぐにわかった。ゲラートは、それはそれはきれいな笑みを浮かべていた。
 僕を見つめる瞳も、透き通るようなブロンドも、ここから見えるどんな星にだって負けないくらい強い輝きを放っている。
 重ねられた手を動かして手のひらを合わせ、指先をそっと握ると、ぎゅっと力強く握り返される。僕から目を離さないまま、ゲラートは杖をもう一振りした。小さな光がまたひとつ、頭上に昇っていく。僕がその光を目で追うと、ゲラートのまなじりがよりいっそう細められた。ああ、遊びに誘われているんだ。そう理解した僕は、それに応えるためにあいている方の手で杖を取り出し、ゲラートに倣って光を生み出し空に送る。
 そこからはもう言葉はいらなかった。声をあげて笑い、ときには目を合わせ、繋いだ手は離さないまま、二人でいくつもの星を創っていく。
 初めは小さな点だった手作りの星はあっという間に頭上いっぱいに広がり、現実の星空を圧倒するほどの数になっていた。途中までは実在の星になぞらえて置かれていたはずなのに、今となってはそれも関係なくなっている。最後の方に創ったものなどスニッチによく似た星座になっていた。それがおかしくて、僕は端の方にある星を指さして笑う。
「なんだあれ、ゲラート、あんな星はないよ」
「いいんだよ、僕たちの星なんだから」
 その瞬間、高らかに響いていた笑い声が不意にやんだ。ゲラートがやけにまじめくさった、それでいて楽しそうな声音で続ける。
「僕たちの、僕たちだけの星なんだ! 何があったっていいだろう?」
「……うん。うん、そのとおりだ」
 ちらりと横目で見た彼はやっぱり僕には眩しすぎて、ちいさなめまいを覚える。
 すい、とゲラートが杖を振ると、二人で創り上げた星たちが順々に線を描いて降下していき、頭上一面が流れ星で覆われた。小さな光の粒は地面にぶつかると弾けて消える。人生で見たことのない数の流星群だ。
 圧倒的な光景を見逃すまいと頭上を見上げる僕の手を、ゲラートの手がさらに強く握りしめる。
「星なんていくらでも創れる。星じゃなくたって、僕らなら、なんだって」
 言葉足らずの彼が何を言いたいのかわかる気がした。少しの隙間もなくなるように繋いだ手を握り返して、僕も同じ気持ちだと伝わるように強く念じる。
「来年も星を見よう。ここじゃないどこかから、一緒に」
「当然だろ。なんの星座を創るか考えておけよ、アルバス」
 そんなことを言い合いながら互いの顔を見て堪えきれなくなり、また笑い出す。繋いだ手を離すことなく語り合い、ときには頬を寄せて囁き合う。最後に三角形を描いていたみっつの星まで流れて消えていき、元の静かで広大な星空が戻ってきても、僕らはその場を動かなかった。

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