そして、ドアは開かれる *

FB3本編後、アルバスが死ぬ未来を視たゲラートと、ゲラートの革命を止めたいアルバスの話。
別名:強引に幸せにするゲラアル
無理矢理未来を捻じ曲げないとゲラアル一緒にいてくれない。

  Ⅰ

 腕の中の紙袋を大事に抱え、白い息を吐きながら、石畳を踏んでアルバスは歩く。マグルの街で暮らす人々は、こんなところに魔法使いが紛れ込んでいるだなんてことは想像すらしていないだろう。たった今、アルバスをうしろから追い越していった子供だってそうだ。魔法は物語の中にしか存在しないと、そう信じているに違いない。空を飛ぶことも、一瞬で移動することも、カップひとつ浮かせることだって、彼らにはできやしないのだから。
 そんなマグルたちも外見だけなら魔法族と何ひとつ変わらない。頬を強く叩いた風の冷たさにアルバスがマフラーを引き上げると、すれ違った男も同じタイミングで身震いする。それを視界の端で捉えて、アルバスは口元を緩めた。
 マグルも魔法族も根本的には同じなのだ。魔力の有無はあれど、心を持ち、持ち得る手段で技術を発展させながら生活している。そんな簡単なことをどうしても理解できない男の顔を思い出して、アルバスの胸はどうしようもなく痛んだ。
 選挙の一件以来、ひとまずは日常に戻ることを許されたものの、ゲラートが姿を消している現状ではそうそうのんきに構えてもいられない。彼がいつ動き出すのか、自分はどう動くべきか……子どもたちと過ごす傍らで、アルバスは常に考えていなければならなかった。
 そうしてせわしなく過ごす日々の中、ほんの少しの息抜きとして、最近、巷で人気の菓子を買うためにマグルの店に足を運んだのだ。腕の中にある手に入れたばかりの菓子のことを思い出したアルバスは、自然と落ちてしまっていた視線を上げた。
 天高く、どこまでも続いているような空は薄暗く曇っているが、寒い時期のイギリスではそう珍しい光景ではない。雨も雪も降っていないだけ、むしろ晴れている方だといえるだろう。しかし、寒空であることには変わりなく、冷たい空気が剥き出しの頬を刺す。急速に体の芯まで冷気が沁み込んでいくような気がして、アルバスは歩調を速めた。
 帰って温かい紅茶を用意して、買ったばかりの菓子を食べる。その目的を果たすため、アルバスは、マグルに気取られないようこっそりと路地に体を滑り込ませた。魔法を使うために薄暗い小道を奥まで進み、さっきまで歩いていた通りから誰も近付いてこないか確かめようとして振り返る。
 その瞬間、背後からぐっと肩を掴まれた。
 つい数秒前まで路地の奥には誰もいなかったはずだ。だが今、アルバスの肩を力強く掴んでいるのは、間違いなく人間の手だった。
 とっさにコートの内側から杖を取り出そうとしたが、それよりも早く壁に体を押し付けられ、相手の杖の先端が突き付けられる。抱えていた紙袋が腕をすり抜けて地面に落下し、がさりと鈍い音を立てた。勢いよくぶつけた背中がわずかに痛む。しかし、視界に収まったものが何か理解した瞬間に、その痛みは消え去ってしまっていた。
 自分に向けられている球状の凹凸がある杖を、アルバスはよく知っている。掴んだ肩を壁に押し付けながら、鋭い視線を向けている男のことも、知っている。知りすぎているほどに知っている。
「……ゲラート」
 その名を呟いた声は、こぼれ落ちたという言葉がふさわしいほど小さく、到底、相手に呼び掛けているようには聞こえなかった。ゲラートはその声に反応することなく、底光りする双眸をアルバスに向けている。
 血の誓いがすでに存在していないことは互いに理解している。今この状況でなら、アルバスを殺すことなどこの男にとっては容易いはずだ。
 ――ああ、ついにこの時がきたのか。
 アルバスは、ゲラートの手から逃れる算段をする頭の片隅でそんなことを思った。
 自分はゲラートにとっては邪魔者でしかなく、迷いなく殺せる存在なのだ。そう思うと、諦めたはずの恋情が軋む音がした。
 ひた、と杖の先端がアルバスの胸元に触れる。心臓の上、いのちを終わらせることができる場所。間違いなくそこを狙っているというのに、杖は一向に動かず、ゲラートは怒りに燃え上がる瞳でアルバスを睨み付けるばかりだ。
 そこでようやく違和感を覚えて、アルバスは眉をひそめた。ゲラートが怒りを抱えているのは間違いないが、何かがおかしい。自らアルバスを襲撃したことも、その場所にマグルの街を選んだことも、冷静に準備した結果だとは思えなかった。
 アルバスはゲラートの真意を探ろうとして瞳の奥を覗き込んだ。自分を殺しにきたわけではないにしても、ゲラートを衝動的に動かすほどの何かがあったはずだ。そう考えてゆっくりと息を吸い込み、落ち着いた声で問いかける。
「何があった?」
 正面からまっすぐに見返されたゲラートは、ますます眉間のしわを深くしてまなじりを釣り上げた。ぎり、と音が聞こえそうなほどに奥歯を噛み締め、わずかばかり唇を開く。
「ホグワーツを出ろ」
「なんだって?」
「教師をやめてあの城を出るんだ、アルバス」
 地を這うような声でゲラートが囁く。ゲラートはいたって真剣に訴えていたが、何を言われているのかアルバスにはわからなかった。困惑したアルバスの眉間にも小さなしわが刻まれる。
「……君が何を狙っているのか知らないが、そのつもりはない。あそこは私の家だ」
「アルバス、言うことを聞け……!」
「いいや、従う理由がない。もう一度聞くぞ、ゲラート。何があった?」
 アルバスは静かに問いかけた。彼の奥に何が潜んでいるのか見逃さないようにしっかりと見据えて、黙り込んでしまったゲラートが再び口を開く瞬間をじっと待つ。
 ゲラートは杖の先をぐっ、とアルバスに押し付けた。わずかに窪んだコートの表面が、杖を握る腕に込められた力の強さを表している。
 そのとき、ゲラートの瞳がほんの少しだけ揺れた。怒りを隠そうともしないオッドアイの奥に痛みのようなものが混ざる。
「ほかの男の手にかかるなど、絶対に許さない……!」
 ゲラートが苦々しげに呟いたその瞬間、アルバスはすべてを理解した。
 すぐ先のことか、遠い未来のことかはわからないが、己はホグワーツで命を落とすのだ。それも自然死ではなく、誰かに殺されて死ぬ。その未来を垣間視たゲラートが衝動的に行動した結果が今なのだとしたら、支離滅裂な状況にも納得がいった。
 すとん、とゲラートの言動が腑に落ちた途端に、アルバスの中に妙な感慨が広がっていく。奇妙なことだが、自分の死にざまを予言されたというのに、心はひどく凪いでいた。死は誰にでも訪れる避けられない現象だと知っているから……というのが、その理由のひとつ。もうひとつは、自分以上に動揺している男が目の前にいたからだ。
 ――ゲラートが、なりふり構わずに私を死から遠ざけようとしている。
 たったそれだけのことが、軋んで干からびてしまいそうだったアルバスの心の奥の方をあたためていく。
 アルバスは、杖を取り出す寸前の姿勢のまま懐の前で構えていた腕をゆっくりと下ろした。杖を向けている相手が急に無防備になったことに動揺したのか、ゲラートのこめかみが一瞬だけぴくりと動く。だが、杖を下ろそうとはしない。
 そんな些細な反応も受け止めて、アルバスは真っ正面からゲラートに向き合った。ぴりぴりとした緊張感が全身にまとわりついたが、それに動じることなく、静かに言葉を紡ぎ始める。
「君がどう思っていようと教師は私の天職だ。やるべきことを放棄するつもりはない」
「それなら、別の場所で教師を続ければいい。あそこはだめだ」
「さっきも言っただろう、ゲラート。あれが私の家で、いるべき場所だ。それを否定させはしない。たとえ、あそこで命を落とすとしてもね」
「アルバス……!」
「それとも……その、ほかの男とやらの代わりに君が殺すのか?」
 『わたしを』という言葉まで告げる必要はなかった。その前に、アルバスが何を言わんとしているのか理解したゲラートが息をのんだからだ。その反応からしても、この男に殺意がないのは明白だった。自分の手で刺客を差し向けておきながら、改めて問われてうろたえるとは奇妙なことだ。アルバスはゲラートに向き合ったまま、心の中でそっと苦笑する。
 そのとき、動揺からゲラートの手の力が少しだけ緩んだ。杖の先がコートの表面から離れ、ほんの数ミリの隙間が二人の間にうまれる。アルバスはその瞬間を狙って魔法を使い、押え付けられていた壁とゲラートの間から抜け出した。
 一瞬にして消えたアルバスは小道の奥に姿を現し、抜いた杖の先をゲラートに向ける。何が起こったのか瞬時に理解したゲラートもまた、アルバスに杖を向けた。一メートルほどの距離をあけて杖を向け合い、対峙する。
 どちらも術を放つことなく睨み合う。時折、冷え切った風が路地を吹き抜けていき、二人のコートの裾を揺らした。そうやって睨み合ったまま、時間だけが過ぎていく。
 世界のためを思うなら、このままゲラートを打ち倒すべきなのだろう。世間はアルバスにそれを望んでいる。そしておそらく、ゲラートの信奉者も、主たる彼にアルバスの打倒を望むはずだ。そのことはよくよくわかっていたが、この期に及んでアルバスは決めかねていた。彼を止めたいという気持ちは本物だ。だが、自分に殺意を向けることもできないでいる男を、武力で屈服させたいとは思えなかった。世界を敵に回して久しいこの男に望むことはただひとつ――その理想は正義にはなり得ず、愚かなほどに傲慢で、それ故に決して他者を救うことはないと理解してもらうことだ。誓いが破られ、袂を分かつこととなった今でも、それは変わらない。
 ならば……本当にその願いを叶えたいのなら、賭けに出るタイミングは今しかないのではないかと、そんな考えが頭をよぎった。ゲラートがアルバスの命に執着している、己の命を利用できる今しか――。
「私が自分の足でホグワーツを出ることはない。君が視たという最期の瞬間も、私は正しく受け止めよう。……まあ、だからといって簡単に死んでやるつもりもないんだが……それに納得できないなら、君が変えてみせろ」
「なにを……」
「君が変えるんだ、ゲラート。君しか視ていない、君が望まない結末は、君の行動で変わるかもしれない……そうだろう?」
 アルバスは、テーブルを挟んで話すときのように静かに語りかける。杖はまっすぐに相手に向けたまま姿勢は変えず、目を逸らすことなくゲラートを見据えている。
 その視線を受け止めて、ゲラートはわずかに口角を持ち上げた。物理的に距離を取ったせいか、先程よりいくらか落ち着きを取り戻したようだ。やけに冷えた声で問いかける。
「何を考えている?」
「わかるだろう?」
 アルバスが答えを口にせず問いかけで返すと、ゲラートは、ふっ、と小さく息をこぼした。口元がいやらしく笑みを形作り、皮肉を多分に含んだ言葉を吐き出す。
「最悪の事態になるとは思わないのか?」
「……どうかな。私個人としては、現状がすでに最悪なものでね」
 ゲラートが言う〝最悪〟が示しているのは大戦や内乱のことだとわかっていたが、愛する者を殺せと世界から望まれているこの現状は、アルバスにとって〝最悪〟以外の何物でもなかった。嘘でも皮肉でもない、本心からの声をアルバスは伝えたが、相手がどう受け取ったのかはわからない。
 ゲラートはそれ以上何も言わずに静かに杖を下ろした。アルバスもそれを受けて、同様に杖を下ろす。再び一陣の風が二人の間を吹き抜けていき、アルバスは帽子が飛んでしまわないよう頭部を手で押さえた。風に抗うため、わずかに伏せられたその面差しを、まっすぐ立ったままゲラートが眺めている。
 長い、長い沈黙が路地を支配する。風がやんでアルバスが腕を下ろしても、ゲラートは動こうとしなかった。
 そうして一定の距離を保ち、黙りこくっていた二人だったが、やがて観念したかのようにゲラートが口を開いた。出会い頭にぶつけられた勢いとはほど遠い、囁くような声がアルバスの耳に届く。
「どうしても、従うつもりはないんだな」
「ああ、自分で決めたことを曲げるつもりも、ここでみすみす捕まるつもりもないよ」
「君がこちらに来れば、それだけですべてがうまくいくというのに」
 その言葉にはアルバスも苦笑するしかなかった。
 とうに道は分かれてしまったのだ。そんなことは互いにわかっているはずなのに、いまだにどちらも諦めきれずにいる。ゲラートもそれを理解しているのだろう。苦虫を噛み潰したように表情を歪め、いびつな笑みを浮かべてみせた。そして、一歩後退したかと思うと、一瞬にしてその場から姿を消してしまった。
 一人残されたアルバスは、誰もいなくなった空間をしばらくの間眺めていた。ゲラートがここにいたという証拠はもう何もない。依然として存在しているのは、小路の出口の先にある雑踏の気配と、地面に転がっている紙袋、そして、取り残された稀代の魔法使い……この場にあるのはそれだけだ。
 アルバスはゲラートが立っていたはずの場所をじっと見つめて、小さく息を吐いてからゆっくりと足を踏み出した。時間をかけて歩みを進め、紙袋を拾い上げる。積もっている雪に触れていたせいで、紙袋の底は湿って柔らかくなってしまっていた。それでも、アルバスは袋を大事に持ち上げ、埃を払ってもう一度その腕に抱く。
 ゲラートが先程の会話をどう受け止め、何を思ってこの場を去ったのか、アルバスは考えねばならない。
 彼を拒絶して『ホグワーツを離れない』と宣言した以上、ゲラートはこれまでとは違う行動に出るはずだ。あまり考えたくはないが、武力行使を試みる可能性だってある。そうすると自分自身で決めたのなら、あの男は、同族が命を落とすことも厭わないだろう。
 だが、ゲラートの目的がアルバスを危険から遠ざけることにあるのなら……彼もまた、互いに杖を向け合うこの状況を快く思っていないのなら、支配とも殺戮とも違う道が開ける可能性もある。そしてきっと、これがアルバスに与えられた最後のチャンスだ。
 ふう、とため息をつき、アルバスは顔を上げた。せっかく楽しみにしていた菓子だが、ゆっくり味わう時間は作れそうにない。ゲラートが言うところの〝最悪の事態〟に備えて守りを固めるのはもちろんのこと、彼が世界にどう働きかけても対処できるようにしておかなければならない。この先、ゲラートの手によって起こるすべてのことが、アルバスの賭けの結果なのだから。
 だから忙殺されることになろうと仕方がない、と自分を納得させて、アルバスはゲラートが立っていた場所に背を向けて歩き出した。そうして、当初の予定通り路地の奥へと進み、住み慣れた城へ帰るために姿を消した。

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