Days~プロタゴさんとニールくん、ときどきニール~ *

恋のはなしをしよう(書き下ろし)

 今日の僕は機嫌がいい。なぜなら、久しぶりに時間も場所も気にすることなく、恋人に会えるからだ。空は当然のように曇っているが、そんなことは関係ない。
 鼻歌まじりでアパートを目指す僕の手には、彼のための差し入れが乗っている。ホットコーヒーがふたつと、サンドウィッチやカップケーキがいくつか。世間は今頃ティータイムだ。休憩にはちょうどいいし、甘いものを好む彼も喜んでくれるだろう。
 彼は先日、幼い僕との同居生活を終えたばかりだ。アパートに残っていた子供の荷物はもう施設に届け終えていて、今日は彼自身が退去するための片付けをしているはずだ。本当は僕も手伝おうとしたんだけど、いても大したことはできないだろうという結論に至り、片付けは任せることにした。その代わりといってはなんだけれど、こうして差し入れを持ってねぎらおうとしている。
 目的の建物の中に入り、先日は忍び込んだ玄関の前に立つ。今日はこっそりと入る必要はないので、堂々とブザーを鳴らした。
 ドアを眺めながら黙って待つ。しばらくすると玄関のドアが開かれて、中からトレーナーの袖をまくった状態の男が顔を覗かせた。
「よく来たな」
「片付けはどんな感じ?」
「荷物はあらかたまとめ終わった。今は掃除をしてたところだ」
「なら、休憩するにはよさそうだ」
 そう言って手に持っているものに視線を送ると、僕が何を持っているのか理解した男が「それはいい」と笑顔で答えた。
 案内されるままに室内に入る。バッグはローテーブルの近くに適当に置いて、ソファに座り、差し入れの数々をテーブルの上に並べていく。僕のコートをかけにいった男が戻ってきたら、ティータイムの始まりだ。
 二人並んでソファに座り、あたたかいコーヒーと軽食を楽しむ。僕は、ひとつずつ違う種類の色鮮やかなトッピングがなされたカップケーキにかぶりつきながら、先日よりもすっきりした部屋を見回してみた。
 男と幼い自分が一緒に暮らす場所としてこの部屋を選んだのは僕だけど、ちゃんと室内に入るのはこれが二回目だ。遠い昔に暮らしていたはずの場所だが、幼少期の、しかもたった二か月弱の出来事など覚えているはずもなく、特にこれといった感慨はない。それでも、こんな状況は滅多にないんだと思うと好奇心はくすぐられる。
 物珍しさもあって、僕はゆっくりと視線を動かした。
 男が荷物はまとめ終わったと言っていたとおり、リビングには大きな箱と鞄が置いてある。その奥には、調理器具や少し古い家電が並んでいるキッチンとダイニングテーブルが。ここからでは直接見えないが、リビングを出た先には二人分の個室があるはずだ。
 懐かしさが生まれたりするんだろうか、とほんの少しだけ期待したりもしながら、順に部屋の中を見ていく。ぐるっと一通り見渡して、最後にキャビネットの上に置いてある謎の物体に気が付いた。
 おそらく、手の中に収まってしまうくらいの大きさの、チョコレート色と黒色が入り混じった、でこぼこでいびつな塊。
 ほとんどの荷物は箱の中にしまわれているはずなのに、それは奇妙なバランスを保って、キャビネットの上で存在感を放っている。
 オブジェというには妙なその物体をまじまじと見ていると、僕の視線が一か所で止まっていることに気付いた男が「ああ」と呟いた。
「ほかの荷物と一緒にしてると壊れそうでな、あれだけ別にして持って行こうと思ってる」
「そうなんだ……えっと、そもそもなんだけど、あれはなんなんだ?」
 どうやら、男はその物体を特別に大事にしているらしい。その理由がわからずに首を傾げると、男は目を大きく見開いた。
 失敗した。そう思った。男の表情を見た瞬間に自分の失言に気が付いたが、後の祭りだ。男はこわばっている僕の顔を見て、少しばかり気まずそうに疑問に答えた。
「……あれは〝ニール〟にもらったものだ。クリスマスに、カードと一緒に」
「そう、だっけ……」
 男が言う〝ニール〟はもちろん僕のことではなく、ここで暮らしていた子供のことだ。まあ、結果的には僕でもあるんだけど、いかんせんプレゼントを渡した記憶がない。
 男が少なからずショックを受けているように見えて、気まずくなって視線を逸らす。なんとか思い出せないだろうかともう一度謎の物体を見つめてみるが、気合でどうにかなる問題でもなく、記憶はちっとも甦ってはくれなかった。
 懐かしいね、と応えることもできず、男を傷つけてしまったのかと思うと胸がちくちくと痛む。横目でそっと男の様子を窺うと、そのことに気付いた男が苦笑を浮かべた。その表情に彼の気遣いを感じて、ますます心苦しくなってしまう。
「なんか、ごめん」
「仕方ないさ」
「そんなに嬉しかった?」
「いや……まあ、そうだな。嬉しかった」
 そう答えた男はゆったりと目を細めた。その瞳はキャビネットの上の物体に向いていて、慈しみに満ちている。
 それを目の当たりにしてしまうと、自分勝手だということはわかっていても、胸の奥が焦げ付くような感覚に襲われた。
 過去の自分から男の視線を奪いたくて、男の太ももへと手を伸ばす。そして、太ももの上にある男の腕にそっと触れた。やんわりと力を込めて手首を掴むと、男の視線はキャビネットの上から離れて僕の方を向いた。そうしたことで自然と視線が交わる。そっと顔を寄せていくと、唇が合わさって、やわく舌が絡まる。男の唇からはクリームの香りがした。
「……あまい」
「キャラメルクリームだからな。そっちはベリーか?」
「正解。ラズベリーだ」
 甘さの残る唾液ごと味わいながら、ちゅ、と繰り返し音を立てて唇を吸う。そうしているうちにもっと深くまで触れたくなって、男の口内に舌を差し入れた。舌と舌を絡めて、わざと水音を立てる。
 すると、今度は男の舌が僕の口内に侵入してきた。上あごをなぞられて、ぞくりと腰が痺れる。キス以上の触れ合いは本当に久しぶりだ。そう意識してしまうとキスだけでも堪らなくなって、男の肩に触れて、押し倒すためにそっと力を込めた。
 しかし、男の体は動かなかった。男の手は僕の体を押しとどめて、拒否を示すように手のひらを向けている。
 予想していなかった展開に驚いて、僕はぽかりと口を開けてしまった。疑問符だらけのまま男の顔を見ていると、男はばつが悪そうに視線を逸らす。僕の元から離れて行った視線は不安定に宙をさまよって、何もない白い壁へと行き着いた。
 男は珍しく口ごもりながら、謝罪の言葉を口にする。
「悪い。その、なんていうか……罪悪感が……」
「は?」
「この部屋で子供のお前と暮らしてたんだぞ? なんだか、犯罪者の気分だ……」
「児童淫行? 僕が未成年に見えるか?」
「まさか。気持ちの問題だ」
 きもち、と僕が繰り返すと、男はぎこちない動きで頷いた。
 きもち。きもちってなんだ。原因は僕にあるとはいえ、この二か月弱、寂しく一人寝に耐えてきたっていうのに、それも今日で終わりなんだと浮足立ってここまで来たのに、こんな反応は予想外すぎる。
 そんなことを考えていたら、知らぬ間に険しい表情になっていたらしく、男は申し訳なさそうに目蓋を伏せた。
 そんな顔を見てしまうと、とことん真面目な男なんだと実感して責めるに責められなくなり、大きくため息をついた。僕だって、簡単に諦めるつもりはない。
「君が子供に欲情するような人間じゃないのは喜ばしいけど、これはちょっと見過ごせないな。……リハビリが必要かな」
「なに?」
「僕は君とキスがしたいし、セックスもしたい。僕の過去を知ったから触れないなんて、そんなのは寂しすぎるだろ?」
 そう言いながら、男の手から半分ほどに減ったカップケーキを取り上げる。そして、自分の分と一緒にテーブルの上の箱に戻して男に向き直った。片脚をあぐらをかくみたいにソファに乗せて、身を乗り出す。
「ちゃんと、僕のからだを思い出して」
 男の耳元で囁いて腹部に手を伸ばすと、男の肩がぴくりと動いた。トレーナー越しに、体のラインを確かめるように、ゆっくりと手を滑らせていく。すると、男の吐息に微かな熱が混じる。
「ッ、ニール」
「大丈夫、この前は外だったけど乗り気だったろ?」
「今も嫌なわけじゃない。ただ、いろいろと追いついてないだけで……」
「うん、本当に無理だったらやめるから。だから、あの子のことは忘れて……今は、僕のことだけ見ててよ」
 男の性感を煽るために、やんわりと耳を噛む。トレーナーの上から脇腹や腰を撫でていくと、男は戸惑いながらも僕の首筋にキスを返した。
 彼が受け入れようとしてくれていることがわかって思わず笑みが浮かぶ。ちゅっ、とわざとらしく音を立てて目の前にあるこめかみにキスを落とし、男の手を掴んで服の中へと導いた。
 今日着ているセーターは僕の体躯には大きく、袖や腹周りはゆったりとしていて余裕がある。その中に入り込んだ男の手が、おずおずと僕の腰を撫でた。それだけのことに、はあ、と吐息がこぼれ落ちる。
 彼ほどではないけれど、僕だって任務に必要なだけの筋肉はついている。その微妙な盛り上がりや骨の出っ張りを確かめるように、男の手は腰から背中へと滑っていく。ゆっくりと動く手のひらは、傷つけないようにしているようにも、宥めているようにも感じられて、体の奥底にしまい込んでいる熱を暴かれていくみたいだ。
 堪えきれない吐息が男の頬にかかる。すると、男が静かに唾液を飲み込んだのが伝わってきた。
 男の欲情を感じて、僕の中に少しばかりの余裕が生まれる。そうすると、驚かされたお返しに少しだけ意地悪したくなってきて、男に気付かれないように小さく笑った。
 わざとらしく微笑みを浮かべて、男の唇にキスをする。そして、至近距離で見つめ合ったまま、ささやかなイタズラをすることにした。
「君はもう一度僕を育てることになるんだから、今のうちに慣れておいてくれないと。また禁欲生活になったら困る」
 そう告げると、案の定、男は驚いていた。困惑の色が男の顔に浮かぶ。
「まさか、また保護する事態になるのか?」
「そうじゃないよ、次はもう子供じゃない。次に会うのはもっと先だ。君の右腕として使えるように、昔の僕を、未来の君が仕込むんだ」
 男の懸念を晴らしたくてそう言ったのに、その表情は曇ってしまった。僕にとっては悪い出来事ではないんだけれど、彼はそうは思えなかったらしい。ちらりとキャビネットの上の物体を見てから、僕へと視線を戻す。
「……できるわけがない」
「できるさ。だって、君は〝やった〟から」
「お前にとってはもう〝起こったこと〟だって?」
「そう。君はどの年代の僕にも会うことになるんだ。ロマンチックだろ?」
「……いや、やっぱり犯罪のにおいがする」
「まったく、君はまじめすぎるよ」
 問答の末にさっきと同じ結論に辿り着く。もっと気楽に受け止めればいいのに、と思わないでもないが、それも僕のことを案じているからゆえだと思うと悪い気はしない。
 呆れを含んだため息と共に、降参を示すように両手を上げてみせる。
「わかった。仕方ないから、ひとつ情報を開示しよう」
「四度目もあるとか?」
「残念だけど違うよ。……君がこういうことをするのは、この〝僕〟だけだ」
 さっきよりも声を落として、にやりと口角を上げてみせる。男はわずかに眉を動かして、思わずといった様子で苦笑した。
「それは朗報か?」
「朗報だろ? 君と僕は成人で、歳だって近い。ほら、なんの問題もない」
 そう告げる声は、自分で思っていたよりも軽やかなものになった。男はじっと僕の顔を見つめて黙り込んでいる。なにやら考えているらしい。僕は、男が答えに辿り着くのを待ち続ける。
 しばらくの間沈黙していたかと思うと、男はそっと息を吐き出した。
「確かに、あの〝ニール〟と暮らしたからお前に惹かれたわけじゃない。お前の過去だからこそ大切にしたかったのに、そのせいで触れ合えなくなってたんじゃ元も子もないな。ちぐはぐだ。……だが、だからといってそう簡単に割り切れるものでもなさそうだ」
「問題ないって、すぐに実感できるようになるよ」
「お前が教えてくれるからか?」
「そのとおり」
 くすくすと笑い合ってもう一度キスをする。男も今度は心置きなく唇を食み、欲が募っていくのを咎めたりはしない。
 男の瞳の奥に静かな熱が宿るのが見える。その事実に嬉しくなって、今度こそ男の体を押し倒そうとした。しかし、またしても男の手がそれを遮る。
「今度はなに?」
「ベッドルームに行こう。ソファを汚すとあとが面倒だ」
 いよいよへそを曲げてやろうかと思ったが、男の手が宥めるように髪を撫でてくるので諦めた。それに、彼が言っていることにも一理ある。
 僕は彼と繋がれるならどこだっていいし、多少不便でも気にしない。でも、今現在、退去の準備を進めている最中なんだから、余計な手間は増やさない方がいいというのは真っ当な意見だ。シーツを洗うのは難しくないが、ソファを汚すと厄介だ。
 そう理解はできたが、繰り返し中途半端に止められたあとではすぐに受け入れてしまうのもなんだか癪で、せめてもの抵抗にと、両手を大きく広げて男の方へと伸ばした。
 突然何をし始めたのかと首を傾げる男に、してやったりと笑顔を向ける。
「我慢するから、ベッドルームまで連れてってくれ」
 手を上げて動こうとしない僕を見ていた男は、その言葉で合点がいったらしく、ただ一言「仕方ないな」と呟いて立ち上がった。
 僕は、彼が何をしようとしているのかわからず、同じ姿勢のまま見ていることしかできないでいる。何も言えずにいると、男は上に乗っているものごとローテーブルをずらし、中途半端に上がったままの僕の手を取ってから、目の前にひざまずいた。そして、握った手を自分の肩の方へと引き寄せる。
 そうされたことで、男が何をしようとしているのか、僕はようやく気が付いた。ふはっ、とほとんど息だけの笑い声が出てしまう。それを隠すことは諦めて、ソファにきちんと座り、向かい合って男を見下ろす。視線の先で、男は仕返しとばかりにいたずらめいた笑みを浮かべていた。
 僕も、彼のいたずらに乗っかってみる。
「プロポーズでもしてくれるのか?」
「それも悪くないが、また今度にしよう」
「今度ならいいんだ?」
「一生に一度なんだ。ちゃんと準備したいだろう」
「再婚の予定はなし?」
「ないな。残念だが、浮気性にはなれそうにない」
「ああ、それは間違いないな」
 そんなことを言い合っているうちに楽しくなってきて、さっきまでの濃厚な空気は霧散してしまった。しかし、男はそれに気を悪くした様子はなく、僕の腕をそっと撫でている。
 少しの沈黙ののち、男は一言だけ囁いた。
「おいで」
 僕はもう抵抗せず、素直に身を任せることにした。わがままを叶えてもらうために、立ち上がって男に体を寄せる。
 男は僕の下半身を両腕で支えて立ち上がった。両足が宙に浮いて、体が男と密着する。僕は、バランスを取りながら四肢を男に巻き付けて体を預けた。
 ベッドルームに向かうために男がゆっくりと歩き出すと、それに合わせてわずかに視界が揺れる。男の肩越しにソファが離れていく様子がなんだか滑稽で、僕は男の肩に顔をうずめて笑いを堪えていた。すると、男の体もわずかに震え出す。
「ニール、小刻みに揺れないでくれ」
「仕方ないだろ。担がれることはあっても、こんな運ばれ方は初めてなんだ。コアラにでもなった気分だよ」
「俺はユーカリ役で構わないが、ドアは開けてくれ。手が離せないんだ」
 ドアの前まで近付いた男が、その場で体の向きを変える。笑いを抑えて顔を上げると、廊下に通じるドアが目の前にあった。男の首から片腕を離して手を伸ばし、ドアノブを掴む。それを確認した男が数歩下がるとドアが開いた。廊下に出て、さっきと同じように僕がドアノブを掴み、男が歩いてドアを閉める。そして向きを変えて、ベッドルームのドアの前でも同じことを繰り返した。
 ベッドルームに入るための、たったそれだけの動作のために僕らはくるくると回転していて、なんだか踊っているみたいだ。でも、それにしては僕らの体勢はあまりにも不格好で、どうにも笑えて仕方がない。そんな状態で歩いていたせいで、ベッドルームのドアの上枠が頭を掠ってしまい、ついに堪えきれなくなって息を噴き出した。
 男も同じだったようで、僕を抱きかかえたまま、くつくつと笑いを堪えている。
 最後に「着いたぞ」と声をかけて、男はベッドの上に僕を下ろした。抱き着いていた体からおとなしく手足を離すと、ようやく男の顔が視界に入ってきた。その表情は、さっきよりも穏やかに見える。
 しっかりと視線がぶつかって、いざ続きを、と思ったところで、男が今度は「スキンとジェルがない」と言い出した。どうやら、この部屋では今までと勝手が違うことを失念していたらしい。
 だが、僕の方は準備に抜かりはない。彼がいつも僕の負担のことを一番に考えてくれることはわかっているから、そういったことを気にするのは予想済みだ。
 今すぐにでもドラッグストアに行ってしまいそうな男を宥めて、僕の荷物の中にスキンもジェルも入っていると伝える。すると、男は僕の額に優しくキスして「取ってくる」と言って部屋を出て行った。
 一人取り残された部屋でベッドの上に寝転がり、今日は寸止めばっかりだな、と考える。
 家中を掃除していたせいだろう。室内は暖かく、一人で寝転がっていてもなんの問題もない。何度中断したって萎えたりはしないけれど、一人で待っているのは少し寂しい。
 そんなふうに感じ始めたところで、男は部屋に戻ってきた。その手には僕のショルダーバッグが握られている。
 僕は寝転がったまま、男に向かって手を伸ばした。男は、ショルダーバッグをベッドの脇に置いて僕の手を取る。掴んだ手を引っ張ると、男はわずかにバランスを崩し、ベッドの上に膝をついて乗り上げた。四つん這いに近い体勢で僕を見下ろして、そっと目を細める。その瞳は甘やかだ。
 僕は、男のまなざしの意図が段々わからなくなってきて苦笑を浮かべた。
「きみ、なんか今日は過保護じゃないか?」
「そうかもな。そういう気分なんだ」
 きぶん。今度は気分。今日はそればっかりだ。
 ただ甘やかされているだけのような気もするし、子供扱いされているような気もする。彼の真意はどちらなのか、あるいは別の答えがあるのか、僕には判別が付かず、きぶん、と同じ言葉を繰り返した。
 僕の疑問を拾い上げて、男はゆったりと微笑む。
「ああ、なんでもしてやりたい気分」
 その答えを聞いて、僕はやっぱり苦笑することしかできなくなる。
「それ、あの子の影響なんじゃないか?」
「そうかもな。完全に否定はできない、が……違うって、お前が教えてくれるんだろう?」
「ああ、そうだね、そうだった」
 男の首元に手を伸ばして引き寄せると、厚みのある体が覆い被さってくる。その重みを受け止めて、さらに引き寄せてキスをする。角度を変えながら唇を啄み、二人並んで寝転がると、ベッドが小さく悲鳴を上げた。
 備え付けの安っぽいベッドは二人分の体重を受け止めるには心許ないが、僕らは一瞬だけ目を合わせて、小さく鳴った軋む音を無視した。
 室内にはリップ音と、二人の吐息の音だけが響いている。僕はさっきソファの上でしたように男の手を取って、自分の服の下へと導いた。するりと潜り込んできた手のひらが脇腹を撫でる。
 自分とは違う体温を感じて、そっと息を吐き出す。そして、僕は男の耳元にキスをした。
「もっと触って、僕の声を聴いて、僕のことだけを見てて」
 そう囁いて頬や唇にキスをすると、お返しとばかりに男も顔中にキスをくれる。そうすると少しだけ距離ができて、ようやくじっくりとお互いの顔を見た。
 僕を見ている男の瞳は優しく、愛情に満ちていることがわかる。でも、僕が欲しいのはもっと身勝手な欲求だ。早く制御できないくらいに欲情してほしくて、肉厚な唇に噛みつく。男が息を吐いた瞬間に舌を口内に潜り込ませて、舌先で歯列をなぞる。唾液を飲み込み、敏感な粘膜をくすぐっていると、舌を甘噛みされた。それだけで微かな快感が背中を駆け上ってくる。
 男は僕の舌を歯でしごきながら、腹部や腰を撫で続ける。ゆっくりと蓄積していく熱がじれったくて身じろぐと、男の手が少しずつ這い上がってきた。そして、辿り着いた胸の頂きをそっと引っかく。
「ん、っ……」
 確かな快感を拾ってしまい、思わず声が漏れた。そこは男の指が往復し続けることで硬さを帯びていき、少しずつ指先が引っ掛かるようになってくる。
 男は突起をやんわりとつまみながら、僕の顎や首筋に唇を落とした。男の舌が首の上を滑る。繰り返し胸の突起をつままれて、下半身に熱が集まっていく。触られてもいないのに僕のペニスはすでに反応していて、我慢できずに太もも同士を擦り付けた。勝手に息が上がっていき、短く声が出てしまう。
 まだ服を脱いですらいないのに、僕ばっかり興奮している。体の距離は近いのにぬくもりが遠い。それが嫌で、男の愛撫を制止して起き上がり、インナーごとセーターを脱ぎ捨てた。半端に裏返った服をベッドの下に放り投げて、男のトレーナーも脱がせる。そうして、ようやく男の体温を直に感じることができた。
 男の肉体は最後に抱き合ったときと変わりなく、力強い腕で僕のことを抱き寄せる。男は僕の唇にキスをして、次は首に、その次は鎖骨と、少しずつ下へと向かっていく。そして、さっきまで指で触っていた胸の突起を唇で挟んだ。痛みを感じないように丁寧に吸い、湿った舌で突起を押し潰す。
「んん、ぅん……っ」
 しっかり硬くなった突起を舌で愛撫され、もう片方は指ではじかれる。
 これまでに何度も男の手で触られ続けたそこは、確かな快感を拾うようになってしまった。胸への刺激で勃起するようになったのは、もう何回前のことなのかもわからない。
 でも、今日は嫌な予感がした。気持ちよくて腰が揺れる。トラウザーズの前が窮屈になる。そこまではいつものことだけど、今日は自分の体が過剰に反応している気がした。
 男は僕の反応を窺いながら、胸への愛撫を続けている。僕は息を乱して男の髪や肩を撫でた。次第に体内の熱が制御できなくなってきて、撫でているつもりでいたのに、いつの間にか男にしがみ付いていた。男が突起を強く吸うだけで体がびくりと跳ねてしまう。下半身は確かな刺激を求めていて、もどかしさから、ほとんど無意識に男の体にペニスを擦り付けていた。
「あっ、ァ……っ、今日、なんか、やばそう……ッ」
「つらいか?」
「ちが……っン、ん、よすぎる、って感じ」
「それは大丈夫なのか?」
「ん、ッ久しぶりだから、かな……っぁ、胸だけで、っ、イっちゃう、かも」
 胸元に吐息がかかると、それすらも刺激になって肌が粟立つ。抑えきれずに体を震わせて訴えると、男が静かに顔を上げた。不意に視線が交わって、二人揃って黙り込む。
 そうやって見つめ合っていると、男の双眸にゆらゆらと欲が滲んでいるのが見えた。僕の目も同じような欲を宿しているに違いない。そう確信して、僕は男に囁きかける。
「試してみる?」
「……いいのか?」
「だって、どうなるのか興味あるだろ? 僕もある」
「それなら遠慮する必要はないな」
 いやらしく唇を舐めて、男は再び僕の胸元に顔をうずめた。
 ぬるりとした弾力のある舌に突起を押し潰されると、収まりかけていた快感はすぐに戻ってきて理性を押し流した。全身が熱い。じっとりと汗ばんでいく背中を男の手が撫でまわす。思わず逃げてしまいそうになる体を男の手で押しとどめられて、あたたかい舌に翻弄される。
「あ、ぅ……っはあ、ほんとに、やば……ッ」
「ああ、しっかり勃ってる」
 そう呟いた男に強く胸を吸い上げられて、腰が甘く痺れた。その次の瞬間、もう片方の突起も強くつままれて、まずい、と思ったときには、ある種の解放感を感じながら腰を揺らしていた。
「~~――っ、あ、ぁ、ッでてる……!」
 はっはっ、と短い呼吸を繰り返し、男の肩を強く掴む。僕の震えが止まるまで、男は胸の周りを撫で続けた。やがて震えが止まって脱力する頃には、下着の中は精液でぐっしょりと濡れていた。
 男の腕から逃れてトラウザーズを脱ぎ捨てる。そうしたことで姿を現した下着は、僕が吐き出したものが染みて色が変わってしまっている。ゴムの部分を引っ張って中を覗き込むと、予想どおり、精液が毛に絡んで局部に溜まっていた。
「ははっ、ぐしょぐしょだ……。最初に脱いでおけばよかったかな」
「すごいな……」
 僕につられるように下着の中を見た男はそう呟いた。男の手が下着の中に潜り込み、精液を絡めた指でへその下を撫でる。
 敏感になっている肌の上を滑る指のぬるぬるした感触が、再び性感を引き出していく。しかも、そこはこのあと彼を受け入れるはずの場所だ。男のペニスのかたちを思い出してしまい、腹の中が甘く痺れる。
「ん……っ」
 思わず小さく声を漏らすと、男が僕の頬に口付けた。ぬるつく下着を穿き直す気にはなれず、足から抜き取り、ついでに腹部の精液も拭って視界の外に放り投げる。あとで洗わなければならないだろうけど、乾くまでの間は彼の下着を借りれば問題ない。
 起き上がった僕は男へと向き直り、胸元に触れて今度こそ押し倒す。三度目の正直とでも言うべきか、男は抵抗することなく仰向けに寝転がった。覆い被さり、横になった男を見下ろして、胸や腹部を撫でていく。
 鍛え上げられた筋肉のラインをなぞっていったその先で、男の下腹部はすでに布を押し上げていた。その事実に、安堵とも歓喜ともつかない感情が沸き上がる。
 僕は迷うことなくベルトを外し、男の下半身を隠している布をすべて取り払った。
 協力してもらいながら下着まで奪い取ると、すでに反応している性器が目の前に現れた。つつ、と指先で撫でると、男の腹筋がぴくりと動く。そのままペニスを握り込み、身をかがめて先端を咥えた。すると、男が息を飲んだのが伝わってきた。
 ゆっくりと先端を口内に招き入れて、張り出した部分を舐める。唾液を絡めながら口を動かしていると、男は静かに息を吐き出した。耳に届く微かな息遣いは、しっとりとした熱を帯びている。それをもっと引き出したくて強く吸い上げると、男の腰がわずかに浮いて、ペニスが脈打った。大きさを増したペニスから一旦口を離し、丁寧に舐めて口付ける。
 そういった僕の一挙手一投足を、男はじっと見つめている。
 僕は男に笑みを向けて起き上がり、ショルダーバッグに手を伸ばした。さっき男がリビングから持ってきてくれたバッグの中からジェルとスキンを取り出して、スキンの箱をシーツの上に放り、ジェルの蓋を開ける。とろりとした中身を手に馴染ませて自分の臀部へと運び、もう一度男のペニスを口に含んだ。
 男の肌の熱さを感じながら、自分のアナルにジェルを馴染ませる。そして、違和感がなくなってきたところで指を挿し入れた。
「っふ、ぅ、んんっ……」
「ニール……ッ」
 欲を孕んだ声で名前を呼ばれて顔を上げると、眉を寄せて僕を見ている男と目が合った。
 わざと男に見えるようにペニスを舐めると、眉間に刻まれたしわが深くなる。何も我慢することなんてないのに、なんて思いつつ、先端を吸い上げる。すると、男は突き上げるように、わずかに腰を揺らした。滲み出した先走りごと先端を舐めてから、ペニスを深く飲み込む。
 少しずつ男の余裕がなくなってきていることを感じながら、口の動きは止めずに、後ろに回した手をゆっくりと動かした。久しぶりに使うせいか少しきつい。しかし、意識してアナルを動かしてみると、体はすぐに思い出してくれたようだ。すぐにほぐれるわけではないが、いくらか指が動かしやすくなる。
 そうしていると、男が上体を起こして僕の顎をすくい上げた。ペニスを舐めている最中に口を離したせいで、唾液が口からこぼれて顎を伝う。男は指の腹でそれを拭い、半端にかがんだままの僕のつむじにキスを落とした。
「俺にも触らせてくれ」
「うん、君の好きなように触って」
 僕が自分の指を抜き取ると、男は僕を仰向けに横たわらせた。そして、広げた脚の間に座り込み、濡れている秘部をまじまじと観察し始めた。
 彼に見られているんだと思うと、それだけでアナルは勝手に収縮してしまう。男は優しく窄まりを広げて、できた隙間に指を挿入した。状態を確認するみたいに、男の指がぐるりと内壁を撫でる。
「はあ、っ、ぁ……」
「狭いな……」
「ん、ほぼ二か月ぶりだからね、ッ、狭くもなるよ」
「一人でしなかったのか?」
「気持ちいいことは好きだけど、君意外に興味ないんだ。たとえ、おもちゃでもね」
 そう言ってゆったりと腰を揺らしてみせると、男は「そうか」とだけ答えた。言葉からは汲み取りにくいが、その表情は嬉しそうに見える。
 この男は案外と独占欲が強いのだと知ったのは、比較的最近のことだ。そういった感情がよく顔に出るのだということを知ったのも。
 彼は欲にまみれた感情をぶつけることを良しとしていないみたいだけど、僕としては足りないくらいだ。だって、たっぷり甘やかされるのと同じくらい、彼に想われているんだと実感できる。
 だから、彼と簡単に会えなくなってからは、後ろは自慰にも使わなかった。その方が喜んでくれるんじゃないかと考えたからだ。つまり、僕の企みは大成功。彼の喜びは、僕の喜びでもある。
 僕は続きを促すように、きゅう、と体内にある指を締め付けた。すると、僕がわざとそうしたことに気付いて男は口角を上げた。それから、指を動かして体内を探り、腹側のふくらみをゆっくりと押し込んだ。
「アっ、ぁ、んん……!」
 押された箇所から明確な快感が体を駆け抜けていき、勝手に腰が浮いてしまう。男の指が腹の中の感じるところを往復すると、さっき射精したばかりなのにペニスは硬くなり始めた。
 男は、半端な快感に身じろぐ僕の脚を撫でて指を引き抜く。そして、ジェルを足し、指を増やして、もう一度体内に潜り込ませた。腹の中で動き回る男の指は、いとも簡単に前立腺を探し当ててしまう。
 他人から与えられる快楽は強烈で、断続的な喘ぎ声が止まることなく自分の口からこぼれ出す。
 男はしばらくの間、二本の指を広げたり、内部を揉むように動かしたりしていたが、僕の反応に苦痛が含まれていないことを確信すると、さらにジェルと指を増やした。それによって、今までよりも強く圧迫感を感じて思わず息を詰める。そのことに気付いた男は身をかがめて、上向いている僕のペニスを口に含んだ。前立腺とペニスを同時に刺激されて、思わずシーツを蹴る。
「あっあ、ッ、いい……っ」
 腹の奥に快感が蓄積していくようで、上擦った声が止まらなくなる。男の口の奥を突いてしまわないように注意を払っているつもりでも、うまくできているかはわからない。彼に苦しい思いはしてほしくないのに、音を立てて吸われると勝手に腰が動いてしまう。
 男に無理をさせていないか確認したくて、下半身へと視線を向ける。その先で、男の姿に目を奪われた。
 彼の肉厚な唇の合間にグロテスクなペニスが飲み込まれていく。丁寧に舌を這わせている男の額にはうっすらと汗がにじんでいて、彼も興奮していることを物語っている。その事実にまた下半身に熱が集まった。
 僕の脚や腹に触れる男の手は優しく、性器を愛撫するしぐさは愛情に満ちている。それを見ているだけで急に胸が苦しくなって、逃げ場を求めて口元を手の甲で隠した。
 僕が動いたことに気付いた男が、わざとらしくペニスに舌を這わせる。根元からゆっくりと舌でなぞっていって、最後に先端にキスをした。ぷくりと滲み出した先走りを舌ですくい取ったことで、男の舌と僕のペニスが細い糸で繋がる。顔を上げた男は、からかうような色をはらんだ瞳で僕を見ていた。
 なんて呼べばいいのかわからないもので胸がいっぱいになる。肉体的な快楽とはまったく別の、胸の中心から湧き上がってくる何か。それは彼の姿を見ているだけであふれ続けて、止まる気配がない。
 一人で抱えているには苦しくて体を起こすと、男は少し慌てた様子で後孔から指を引き抜いた。
「ニー……」
 名前を呼び終わる前に、男の後頭部を両手で捉えて口付けた。男の口からは体液独特の妙な味がする。それでも構わずに舌を絡めた。
 男は目を閉じてキスを受け入れて、両手を僕の背中に回してゆっくりと撫でた。ついさっきまでアナルの中にいた指はまだ濡れていて、撫でられた場所からぞくぞくとした快感が背筋を駆け上がる。
 僕は男に抱きつき、体重をかけて押し倒して、一緒にベッドに倒れ込んだ。間近で男の瞳を見つめて、手探りでシーツの上のスキンを手繰り寄せる。キスをしてから起き上がって中身を取り出し、黒々としたペニスにつける。そして、その上に跨ってゆっくりと腰を落とした。
 さっき彼がほぐした肉を、スキンで覆われた熱いペニスが割り開いていく。彼が僕の内部を暴いていく感覚を少しも逃さないように、鍛え上げられた腹筋に手をついて目を閉じた。
 ぴったりとくっつこうとする粘膜を押しのけて、硬い切っ先が奥へと進んでいく。過敏に反応している前立腺が擦られるたびに、びりびりと微かな電流が走っているような錯覚に陥りそうになる。久しぶりの行為だっていうのに、僕の体は男の手によってすっかり溶けてしまっていて、苦痛なんて少しもない。アナルは悦んで性器を飲み込み、まだ足りないと言わんばかりに躍動している。
 ペニスのほとんどの部分を咥え込んで、男の下腹部に腰を下ろす。はあ、と熱のこもった息を吐き出すと、男が小さく腰を揺すった。
「はっ、ぁ……あ、ん、ッ」
「ニール……ッ、苦しくないか?」
「きもちいい、から、もっと……っ」
 そう言って腰を前後させると、繋がっている箇所から粘着質な音が聞こえてくる。
 僕の腰を支えている男の手はひどく熱い。なのに、表情も声も、まだ欲と気遣いがない交ぜのままだ。胸の奥から湧き上がってくる感覚は留まることを知らず、全身に広がって僕の四肢を動かす。
 臀部を男の腰に押し付けて揺すり、上体を倒して覆い被さった。唇を食み、頬にキスを落とし、もう一度唇に噛みついて男の瞳を覗き込む。
 最後の理性を手放そうとしないダークブラウンの瞳に見返されて、何もかもが溶けて決壊していくような気がした。
「もっと、ちょうだい。ぜんぶ欲しいんだ。君の手も、声も、体温も、まなざしのひとかけらだって誰にも渡したくない。……わがままだって、笑ってもいいよ。それでも止められない」
 男は少し驚いたような顔をして、つらつらと語る僕の声を聴いていた。そして、意外なことに、嬉しそうに表情を崩したのだ。
 今度は僕が驚く番だった。予想外の変化にどう反応したらいいのかわからなくなる。
 男は汗で湿って束になった僕の髪を撫でて耳にかけ、そのまま耳たぶや顎をくすぐる。
「お前がそこまで言うのは初めてだな」
「強欲で、狭量で……バカみたいだろ?」
「いいや、今までが何もかも明け渡しすぎなんだ。これくらいがちょうどいい」
 男が指の腹で頬を撫でる。穏やかに頬をくすぐられたことで全身の力が抜けていき、自然と頬も緩んでいく。
「……きみだよ。きみが僕にたくさん与えてくれるから、こんなに強欲で、我慢が利かなくなったんだ」
「それなら、これまでの俺を褒めてやらないとな」
「『よくここまで育てた』って?」
「ああ。それに、俺はお前のことをわがままだなんて言えるような男じゃない」
 僕を見上げている男の表情は穏やかではあるが、もう子供に向けていたようなあどけなさはない。そのことに気が付いてしまうと、再び肌が粟立った。体が勝手に期待して、男のペニスを締め付ける。
「っは、ニール……!」
「君も、バカみたいに僕を欲しがってくれ」
 そう言って唇を啄むと、男は僕の背中を抱き寄せて腰を揺すった。
「ぁう、ッ、あっあ、っ」
「なか、っ熱いな」
「ぅん、ン……きみも、あつい……っ」
 下からゆるゆると繰り返し突き上げられて、体の中に熱が渦巻いていく。
 男は僕を抱きしめたまま、腹の中の感じるところをペニスで擦る。そのたびに僕の体は小さく跳ねて、すぐに声を抑えられなくなってしまった。
 特別なことなんて何もしてない。ただぴったりと肌を合わせて、見つめ合っているだけだ。それなのに、ほかのどんな体位でするよりも気持ちいい。
 近くで見るダークブラウンの瞳は常よりも潤んでいて、時折光を取り込んできらめく。彼自身を包み込んでいる粘膜がうねると、艶やかな目蓋が細かく震える。それを見ているだけで、今にも吸い込まれてしまいそうだ。
 誘われるがままに近付いていって、吐息が重なる距離で見つめ合う。そうすると、男の熱っぽい息が僕の唇にかかって、余計に引き寄せられていく。僕は衝動に逆らうことなく口付けて、その唇の柔らかさを堪能した。
 男はそれに応えて唇を食み、僕の舌を自身の舌先でくすぐった。そこからも快感が広がっていき、うっとりと彼を見ていることしかできなくなってくる。そのとき、一際強く内部を穿たれて、大きく目を見開いた。
「あぁ、っあ、ん、はあ……ッ」
 半端に舌を出していたせいで、あからさまな喘ぎ声が出てしまった。それに興奮したのか、男の動きが段々激しくなってくる。擦られる入り口も、腹側のふくらみも、繰り返し突かれる奥の行き止まりも、すべて強烈な快感を呼び起こす。いつの間にか完全に勃ち上がっていた僕のペニスは、二人の体の間で先走りの雫をこぼしている。
 男は情けない声を上げ続ける僕の顔をじっと見つめていたかと思うと、より一層強く抱き寄せた。
「ニール……ッ」
 余裕のない声が僕の名前を呼び、強引ともいえる力強さで口付けられる。
 ああ、イきそうなのか。そう考えると僕も余計に興奮して、男の口内に舌をねじ込んだ。慌ただしく口内を探る舌を、男の舌が絡め取る。口内から水音が聞こえるようになると、腰の動きがさらに激しくなって、肌がぶつかる音が聞こえ始めた。
 舌も、腹の中も、どうしようもなく気持ちよくて、彼が絶対に離れないように抱きしめてくれることが嬉しくて、僕は事前に訴える余裕もなく達してしまった。
 吐き出した精液で腹部が濡れる感触がする。体中の筋肉がぎゅうっと収縮して、体内に納まっているペニスをきつく締め付けた。
 男の存在を腹の中で強く感じて、また体がぶるりと震える。すると、男は息を詰めて、ぐっと腰を押し付けてきた。激しく動かすのではなく、深い場所で、できる限り奥に擦り付けるみたいにゆるゆると揺さぶられて、堪らず息を吐き出した。
 彼が僕の中で達したんだと実感するこの瞬間は、何度経験しても胸が震える。
 射精し終えた男は大きく息を吐き、僕のうなじを撫でて、唇に啄むみたいなキスをした。すぐにペニスを抜かず、呼吸を整えながら顔中にキスを贈り合う。
「もう罪悪感があるなんて言わせないからな」
「ああ、お前は俺がムンバイで出会った男だってよくわかった」
「よろしい」
 そう言って笑い合い、男の額にキスをしてから、腰を浮かせてペニスを抜き取る。ジェルでぬるつくスキンの中には、白濁した体液がたっぷりと溜まっていた。
 久しぶりだと感じていたのは自分だけじゃなかったんだとわかって、僕はこっそり笑ってベッドに寝転がった。その隣にスキンを処理し終えた男が並ぶ。足同士を絡めると、男はいたわるように僕の腰を撫でた。
 今は穏やかな触れ合いが心地いいけど、こうしている間にまたしたくなるかもしれないし、最後までそんな気分にはならないかもしれない。正直、どっちだっていい。
 男も同じように考えているようで、続きをどうこうしようという気配は感じられない。
 会えなかった時間を埋めるように触れ合って、くだらない話をたくさんする。そうしていると、時間はゆっくりと過ぎていった。

 結局、あちこち触れ合っている間に昂ってしまい、お互いのペニスを擦り合わせてもう一度射精したが、挿入はしなかった。ただただ穏やかな時間を享受して、ベッドの中で過ごす。
 満足いくまでそうしたあとで、男は微睡み始めた。その無防備ともいえる姿を微笑ましく思う。しばらくその姿を堪能していたが、喉の渇きを感じて、僕はベッドから抜け出した。
 きちんと着替えるのは面倒で――そもそも下着は使い物にならない――セーターだけを着てベッドルームを出る。幸いなことに、セーターの丈が長めだったおかげで、臀部までは覆うことができた。だが、下半身が剥き出しであることには変わりない。肌寒さを感じながら薄暗くなったリビングに入り、無断で申し訳ないとは思いつつ、まとめられている男の荷物を漁って下着を拝借した。
 カーテンが開いたままになっているおかげで、室内には外からの明かりが射し込んでいる。薄暗くはあるけれど、手元を確認するくらいなら問題はない。
 ついでに水分補給のためのコップも……と考えて箱の中を探し、ちょうどいいコップを見つけて顔を上げると、ふと、さっきと変わらない場所に鎮座しているいびつな塊が目に入った。
 そこはちょうど外からの光が最も強く当たる場所で、その塊だけが照らされているように見えた。
 急に興味を惹かれ、コップを持って立ち上がり、キャビネットに近付いていく。
 キャビネットの前に立ち、いびつな物体を手に持ってみて、その軽さに驚いた。それはあまりにも小さく、軽くて、少しでも油断したら壊れてしまいそうだ。男がほかの荷物と一緒にしなかったのにも納得がいく。
 さっきは遠目にしか見ていなかったが、今度は手のひらに乗っている物体をじっくりと観察してみる。
 楕円形の物体の約半分はチョコレート色に塗られていて、その真ん中にはふたつの黒い点があり、周囲を黒い色が覆っている。きっと、これが顔なんだろう。確かに、これは彼を模した人形のようだ。
 しかし、いくら観察してみても何かが蘇ってくることはない。何を思って作っていたのかも、これを渡したときの気持ちも、今はもうわからない。
 でも、何もかも忘れてしまったというわけでもない。〝ジョン〟の顔も声も、成人する頃にはすっかり記憶から消えてしまっていたけれど、一緒に食べたごはんが美味しかったことや、よく頭を撫でてくれたことは今でも思い出せる。彼が教えてくれた、新しい技術を習得する楽しさも、やりたいことを思い切りやっていいのだという自負も、間違いなく、今の僕を構成する礎となっている。
 〝ジョン〟は僕に安心と親愛をくれた。〝ボス〟は信頼と友愛を。今の彼はそれに加えて、惜しみない愛情を与えてくれている。
 自分の中における彼の存在の大きさを実感して、自然と笑みが浮かぶ。
 そうやって僕が遠い記憶に思いを馳せていると、リビングのドアが開く音がした。ドアの方を向くと、簡単に身なりを整えた男がリビングに入ってくるところだった。
 あのまま一眠りするのかと思っていたのに、何かあったのかと疑問に思って問いかける。
「どうしたんだ?」
「いや、食器類はもう片付けたことを思い出して……お前こそ何をしてるんだ?」
 僕がキャビネットの前に突っ立っていることを不思議に思ったんだろう。男はこっちに向かってまっすぐ歩いてくる。僕はその場から動かずに、男が隣に並ぶのを待った。
 隣にやってきた男は、僕の手元を覗き込んだ。手のひらに乗っているものの存在を認めて、男のまなじりが弧を描く。
 その視線が〝幼いニール〟を思い出しているときのものだということを、僕はもう覚えてしまった。しかし、さっきまで男の視線の中にあったぎこちなさは、今は消えている。あの子と僕の存在をうまいこと両立させることができたんだろう。
 手のひらの上で小さな塊を転がしてみながら、僕は男に笑いかける。
「実は、僕も何か作ってみようかなって考えてたんだ」
「ああ、それは悪くない考えだ」
「だろ? 完成したら君にあげるよ」
「今後の楽しみが増えたな」
 そう言って、僕と同じものを眺めて男は微笑む。
 今度は僕のことを考えているんだろう。彼の些細な表情の違いから、そんなことまで察しが付くようになってしまった。
 その事実に苦笑しつつ、彼の中に住みついた子供の存在の大きさを実感する。それと同時に、自分にとっての今の男の存在も。
 僕にとっても、どの年代の男も大事な存在であることは間違いない。この先も、ジョンへの家族愛とも呼べる気持ちも、ボスへの友情も、決して揺らぐことはないだろう。
 でも、君が知らないこともある。僕が恋をしたのは君だけなんだ。

 三度きみに出会って、初めてきみに恋をした。

 逆行なんかに関わらずにいたら得られなかった奇跡。君は僕を戦場に送り出すことを悔いるのかもしれないけど、僕にとって、こうして君と同じ時間を生きているのは紛れもない奇跡だ。
 そんな特別な相手を一番近くで見ていられるという僕だけの特権を行使していると、不意に男が顔を上げた。
 男は、僕がずっと見ていたことに気付いて首を傾げる。
「どうかしたか?」
「いや、なんでもないよ」
「怪しいな」
「んー、どうだろう」
 僕のあいまいな答えを聞いて、男はますます訝しげに眉を寄せた。僕はそれを笑顔で誤魔化す。
 いつか話してみようか。もう少し先の未来で、君が僕との三度目の出会いを終えたあとで。
 このことを知ったら、君はどんな顔をするんだろう。驚くんだろうか、それとも喜ぶ? 照れた顔を見せたりしてくれるだろうか。それが、僕だけに見せてくれる顔だったら嬉しい。
 目をまるくしている歳を経た男の姿を想像して、僕は一人ほくそ笑む。そして、子供の頃の自分に挨拶するように、手の中の人形の頭をそっと撫でた。
 自分の家に帰っても、彼はこれを大事に飾るんだろう。隣に並べる手作りの品は何がいいだろうかと夢想しながら、僕は人形をキャビネットの上に戻した。

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