Days~プロタゴさんとニールくん、ときどきニール~ *

ひょんなことから一緒に暮らすことになった主さんと子ニルくんの2ヵ月弱のお話。
ツイッターからの再録6話を加筆修正+書き下ろし1話のまとめ本です。書き下ろしは大人の主ニルの話。書き下ろしのみR18。一応ニール逆行説・本編後生存ルートで書いてますが、平和な世界なのでゆるっと気にせずお楽しみください。
※ネグレクトに該当する描写があります
※R-18描写は大人同士のみ
2021/9/18発行


ニールくんとプロタゴさん

 それは、特に冷え込む日のことだった。
 褐色の肌を持つ男は首周りを覆うマフラーに顔をうずめ、広場の一角で立ち続けている。
 周囲を見回し、コートの袖をまくって腕時計を確認する。正午を少し過ぎたところだ。時間を間違えていないことを確認した男は、再び周囲を見回した。しかし、見知らぬ人々が行き交うばかりで目的の人物の姿は見えない。
 待ち合わせ相手である男の相棒兼友人兼恋人は、朝に弱くルーズな点はあるが、男との約束を破ったことはない。ただの寝坊なら構わないが、職業柄何かあっただろうかと心配になり、男はコートのポケットから端末を取り出した。そして、約束の相手に連絡しようとしたそのとき、手にしている端末が着信を知らせて震えた。
 男は安堵の息と共に画面に触れて、端末を耳に当てる。
「もしもし」
『ごめん! 約束の時間を過ぎちゃってるよね』
「ああ、それはいいんだが……」
『それで、まだ待ち合わせ場所にいる?』
 男の心配をよそに、電話の相手――相棒であり、恋人でもあるニールは、いつもと変わらない声音で答えたかと思うと、男の言葉を遮って話し続けた。その話しぶりはどこか焦っているようにも感じられて、男は眉をひそめる。
「約束の場所からは動いてないぞ」
『ああ、よかった。その、待たせておいて申し訳ないんだけど、今日は僕、どうしてもそこに行けないんだ』
「そうか……。まあ、それは仕方がないな」
『うん……それで、さらに申し訳ないことに、君に頼みがあって……』
「頼み? なんだ?」
 そう訊ねると、しばらくの沈黙のあとで、ニールは先程よりもいくらか小さな声で言葉を続けた。
『……まだ、帰らないで。もう少しそこにいてほしい』
「もう少しって、どれくらいだ?」
『それは……ごめん、はっきり言えない。というか、僕もわかってなくて』
「〝記録〟絡みか?」
『まあ、そんな感じかな。とにかく、僕にも全部は説明できない。だから、あとは君が思うとおりに動いてほしい』
 随分とあいまいな頼みだな、と思ったが、それよりもニールが困惑しているらしいことの方が気にかかった。トラブルごと楽しむような男にしては珍しい。彼にとって余程の出来事なのだろうと察した男は、頼みを引き受けると伝えて通話を終わらせた。
 端末をポケットにしまい、今度は時間を気にせず周囲を見渡してみる。
 ここ数日の間でも特に寒い日であるのにも関わらず、広場は人々で賑わっていた。腕を組んで歩く恋人たち、家族連れ、子供たちのはしゃぐ声。それらの中に事件の気配はない。
 その場の判断で動く、という意味では普段の仕事と変わらない気もしたが、それにしては目的がわからない。
 男は、吐き出した息が白く空気に溶けて消えていくのをぼんやりと眺めていた。目的もなくただ待つ、というのは、訓練された身でも堪える。ましてや息が白むような気温だ。体の芯から冷えていくような気がして、男はぶるりと身震いした。
 それでも待ち続けていると、移り変わっていく人々の姿の中、男と同じように変わらぬ場所で立っている少年の姿に気が付いた。何組もの人々が通り過ぎても、その少年の姿だけは変わらない。厚手のコートに身を包み、電灯に寄りかかって、じっと足元を見つめている。
 少年の周辺の様子を窺ってみたが、保護者らしき人物も、友人も見当たらない。ひとり立ち尽くす少年に違和感を覚えたが、軽率に動くこともできず、男はしばらく様子を見ていた。
 彼の友人や家族が迎えに来ることを願ったが、一向にそれらしき人物は現れない。そうこうしているうちに少年が大きなくしゃみをするのが見えて、男は諦めと共に息を吐き出した。
 行き交う人々の間をすり抜けて、ゆっくりと少年に近付いていく。そして、目の前に立った。だが、少年は顔を上げようとはしない。
 男は少年を驚かせないように、そっと声をかけた。
「君のお父さんやお母さん……ご家族は? 近くにいないのか?」
 少年は、まるで聞こえていないというふうに返事をせず、顔を上げようともしなかった。突然知らない男に声をかけられたのだから、それは仕方がない。男は、少年にもう一度話しかけるため、目線を合わせようと膝をついた。
 だが、次に口からこぼれ落ちたのは、話そうとしていたのとは全く違う言葉だった。
「ニール……?」
 その言葉を聞いた少年はゆっくりと顔を上げた。それによって視線がぶつかり、男は二の句が継げなくなった。
 ニット帽の隙間から覗く鮮やかなブロンド、まるいブルーグレイの瞳に長いまつげ、リンゴのように真っ赤に染まった白い頬。歳は七つか八つくらいだろうか。記憶の中の恋人よりも色素は薄いが、どこか面影を感じて思わずその名を呟いてしまっていた。嫌な予感がして男の心臓が激しく脈打つ。
 少年は男の顔をじっと見つめていたかと思うと、ぱちぱちと数回瞬きをして、頬と同じように赤い唇を動かした。
「……おかあさんを、知ってるひと?」
 その言葉を聞いて、男の背中をどっと嫌な汗が伝う。確定だ。名前に反応したということは、この少年はニールなのだろう。おそらく、この時間本来のニール。本人がここには来られないというのも納得だ。接触して対消滅しては困る。
 だが、それよりも男を悩ませているのは、この少年について何も知らないということだった。相棒であるニールが何年間、どうやって逆行したのかも知らないのだ。この少年がいつも共にいるニールに繋がっているのかと思うと、どんな対応が正解なのかわからず、男の頭はぐるぐるとあらゆる回答を探し始める。そして結局、下手な誤魔化しは悪手だろう、という結論に至った。
 男は笑顔を浮かべて慎重に話しかける。
「お母さん、というより、君を、知ってる」
「ぼく?」
「ああ。お母さんは今どこに?」
「……わかんない」
「いつからここにいるんだ?」
「わかんない」
「いつ帰ってくるかは言ってた?」
「……」
 少年はマフラーを握り締めて口を閉ざした。ああ、嫌な予感がする。この子の親は、本当に戻ってくるつもりでいるのだろうか。
 そんなことを考えてため息をつきたくなったが、ぐっと堪える。マフラーを握る少年の指先は赤くなり、寒さでかちかちと歯の根が合わなくなっている。とりあえずこのままではまずいだろうと、ここから移動するように促したが、少年は首を横に振るばかりだ。警察に行くべきだと思うのだが、少年は地面を睨み付けたまま動こうとしない。
「大丈夫。警察は怖くない」
「やだ」
「お母さんのことも探してくれるぞ」
「……やだ」
 小さく呟く少年の声が震えて、足元を睨むブルーグレイの瞳がじわじわと潤んでいく。続けて発した少年の声はわずかに掠れていた。
「おかあさん、ここにいてって、言ったもん」
 マフラーを握る小さな手にぎゅうっと力が入る。この少年にはそれしか縋るものがないのかと思うと、男の胸は締め付けられた。
 彼を母親から引き離すのは得策ではないのだろうということはわかったが、このままこの子供が凍えていくのは見過ごせない。男は周囲を見回し、道路を挟んで広場の向かいにあるカフェを指差した。少年はつられて男の指先を追う。
「なら、あそこでお母さんを待とう。あそこならこの場所が見えるし、このままじゃ寒いだろう」
 少年の視線はカフェと男の顔を往復する。そして、いくらか考えてからひとつ頷いた。男は「よし」と呟き、ぽん、と少年の肩を叩いて並んで歩き出す。
 
 
 二人が入ったカフェはしっかりと暖房が利いていて、男はようやく体の力が抜けるのを感じた。男はホットコーヒーを、少年はホットチョコレートを飲みながら向かい合って座り、通りの向こうにある広場を眺める。
 だが、いくら待っていても迎えが現れる気配はなかった。時間の経過と共に少年の表情が曇っていく。あたたかい飲み物で満ちていたカップはとうに空になり、辺りは薄暗くなり始めている。
 少年は多くを語りたがらなかった。わかったのは、少年と母親は二人で暮らしていたということ。そして、その母親に連れられてバスでここまでやってきたということだった。住まいは近くはないらしい。
 おそらく、母親は迎えに来ないだろう。少なくとも、今日は。しかるべきところに保護してもらうべきなのだろうが、少年がそれを望むだろうかと、男は考えあぐねている。
 そうして二人揃って窓の外を眺めていると、ポケットの中で男の端末が震えた。画面には数時間前と同じ名前が表示されている。男は逡巡し、その場で電話を取った。
「もしもし」
『やあ、今どこ?』
 昼間の焦りはどこへやら。平然とそう言ってのけた電話の相手に聞こえるようにため息をつく。
「カフェだ。ニールと一緒にいる」
『ああ……そうだっけ』
「知ってたんだろう?」
『いや、うん、そうなんだけど、僕も全部は覚えてないんだ。だから、基本的には君に任せるしかなくて……怒ってる?』
「少し。あんなふうに騙し討ちせずに、相談してくれたらよかっただろう」
『騙すつもりはなかったんだ。僕を見つけたのが君だってことは、僕も今日まで知らなかった。だから、今朝もそこに行くつもりでいたんだけど、急にもしかしてって思い出して、いろいろ確認しようとしてる間にあんな時間に……ごめん』
「いいさ。お前のやることが突拍子もないのはとっくに知ってる」
『……ありがとう。それで、お詫びといったらなんだけど、家を見つけておいた。その広場が見えるアパートだ。そこなら、その子も納得すると思う』
「ちょっと待て。この子と誰が暮らすんだ?」
『君だよ。君と、その子。これは僕が知ってる〝記録〟とも言える』
「おい、ニー……」
『おっと、気をつけて。その子は何も知らないから、怪しまれないように』
 外に向けていた目線を室内に移した男は、目の前の少年がずっとこちらを見ていることに気が付いた。意味はないとわかりつつ、そっと声量を落とす。
「……それで、何日間なんだ」
『それが、覚えてない』
「え?」
『覚えてないんだ。申し訳ないけど、なるようになる、と思ってもらうしかない』
 端末の向こうでニールが苦笑したのがわかり、男は頭を抱えた。
『とにかく、僕はその子と会うわけにはいかない。だから、その子を――僕を、よろしく頼むよ』
 耳元で聞こえる声は柔らかく、真摯で、案外とニールも戸惑っているのかもしれないと男は思った。滅多にない恋人の頼みだ。しかも、今後に影響するかもしれないとなれば、断れはしないだろう。
「どうなるかわからないぞ」
『大丈夫。僕の知ってる限りはね。それじゃ、アパートの場所はこれから送るよ」
「ああ、頼む」
 通話を終わらせて端末をポケットにしまう。少年は、じっと男のことを見ていた。不安そうに見上げてくる少年を安心させようと、男は笑みを浮かべてみせる。
 少年は緊張した面持ちでカップを握り締めた。
「今の、おかあさん……?」
「……いや」
「そう」
 男の返事を聞いた少年は残念そうに肩を落とした。かわいそうだが、男にはどうしてやることもできない。少年の未来の姿であるはずのニールが言った『大丈夫』の言葉を信じるしかなかった。
 男は先程の少年のように緊張しながら、しかし、それは見せず、ゆっくりと静かに少年に語りかける。
「君のお母さんはいつ戻ってくるかわからない。だから……というのも変だが、俺と一緒に待たないか? いつまでもここにはいられないだろう」
「おじさんと?」
「ああ……いや、君が選んでいい。警察に助けてもらうか、俺と待ってみるか。ただ、どちらにしろ、少しでも変だと思ったら大声を出せ。周りの大人に助けを求めるんだ。いいな?」
 少年は、その言葉を聞きながらじっと男の顔を見ていた。まるい瞳でまっすぐに、じいっと見つめて、それからゆっくりと頷く。
「おじさんといる」
「警察じゃなくていいのか?」
「うん。おかあさんと似てる、気がするから」
 彼の母親もよく言ったのだと、そう少年は言う。
 
『知らないひとについていかないで』
『危ないと思ったら叫んで』
『大人に助けてって言って』
 
 きっと、未だ見ぬ母親も少年のことを愛していたのだろう。それがどうしてこうなったのかはわからないが。
 ともかく、まずはしばらく滞在することになる家を確認するべきだろうと、男は立ち上がった。コートを身に着けると、少年も同じように支度をする。 準備が整ったことを確認した男は、少年と一緒に店を出て、ニールが確保したというアパートを探し始めた。
 外は相変わらず冷たい風が吹いている。小さく身震いしていると、隣で少年が自分の真っ白い息を物珍しそうに見ていた。初めの頃ほどは緊張していないようだ。
 おそらく、今は男の方が抱えている不安は大きいだろう。自身が誘拐犯として逮捕されないことを願いながら、男は少年を連れて歩き出した。

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