From the Shimmering World *

 

交点の声を聴く

 

 待ち合わせ場所に指定したカフェに入ると、部下であるニールはすでに到着して席に着いていた。人影のまばらなテラス席で、カップを片手にくつろいでいる。
 テラスの入り口近くで、通りかかった店員に注文を済ませてから、手元の端末を見ている男の向かいに座った。
「どうだ? 調子は」
「悪くないよ。アイヴスたちもね」
 そう答えたニールは、手にしていた端末をポケットにしまい、もう一度カップを傾ける。店員によって、タイミングよく運ばれてきたもう一つのカップを手に取り、俺もコーヒーを口に含んだ。それを飲み込むのは待たず、ニールは言葉を続ける。
「プリヤも彼らを気に入ってるみたいだし、このままいけば本番でも使ってくれるはずだ」
「セイターは?」
「そっちは相変わらず。装置を使って有利に事を動かしてる」
「だろうな」
 決して相容れない男の顔を思い出して苦笑すると、ニールも同じように苦笑いを浮かべた。その姿を懐かしい思いで窺い見る。
 路地で拾った頃の幼さは消え、どこか達観したような笑みを浮かべる姿は、少し先の未来で初めて会った頃を思い起こさせる。当然と言えば当然だ。作戦まで残り一年半。ニールはムンバイで出会ったときの年齢に限りなく近付いている。
 だが、記憶の中のニールと重なるのと同時に、まったく違う感情を抱き、時々、奇妙な感覚に陥る。目の前にいるニールは五年間見守り、育てた相手だ。大切には思うが、種類が違う。
 俺の視線に気付いたニールが、小さな戸惑いと共にそっと頬を緩める。その反応を見ていると、つい笑みを浮かべてしまう。それを誤魔化すように小さく咳払いし、話を切り替えた。
「君自身はどうなんだ?」
「僕? 僕も変わらないよ。アイヴスにもホイーラーにも怒られる」
「君が片付けないからだろう」
「だって、その方が使いやすいだろ?」
「それは君だけだ」
 そう言うと、ニールの唇がへの字に曲がり、俺はそれを見て笑った。ニールもおどけて肩を竦めて笑い出し、穏やかな風がテラスを通り過ぎていく。
 そんなささやかな時間はあっという間に過ぎていき、ニールは腕時計を確認してカップの中身を飲み干した。
「そろそろターゲットが移動する時間だ」
「目的地に変更はないか?」
「ああ、いつものルートを通るはずだ」
 現在、立案している計画が可能かどうか確認するために、空になったコップをテーブルに置いて立ち上がる。すぐに席を離れようと思ったが、その前にこちらを見ているニールの視線が一か所で止まり、肩に手が伸びてきた。
「ボス、ごみが……」
 そう言いかけて、肩に触れたニールの指がぴたりと止まり、一瞬にして表情がなくなる。無表情のまま動きを止めてしまったことを不思議に思って「ニール?」と声をかけると、ニールは少し焦った様子で視線を上げた。そして、ぎこちなさが残る笑みを浮かべる。
「ごめん、髪の毛がついてただけだ」
「……そうか、ありがとう」
「ほら、行こう」
 そう言って、ニールは俺の肩を叩き、店を出るように促した。そのとき、ごみを床に落としたニールが、もう背景に溶け込んでしまったそれを睨み付けているように見えた。その姿に違和感を覚える。
 だが、違和感の正体を問うことははばかられ、お互いに何もなかったふりをして目的地に向かった。

* * *

 偵察は無事に終えることができた。一部の変更点と、そのための人材を打ち合わせて、部隊に合流するというニールと別れて帰宅した。
 すっかり日が落ち、一般的な夕飯の時刻を過ぎた頃、リビングのソファに座って下見の結果をまとめ直していると、玄関ドアが開く音が聞こえた。
 同居人であるニールが、がさがさと袋の音を立てながら室内に入ってくる。
「おかえり、ニール」
「ただいま。今日はお土産があるんだ。ほら、去年君が気に入ってたやつ」
 そう言って、ニールは笑顔で小さなカップアイスをテーブルに並べた。それは、期間限定のフレーバーで、去年は何度も買い足していたものだ。
 着ていたジャケットを乱雑にラックに引っかけて、キッチンからふたつのスプーンを持ってきたニールは、ソファが軋む勢いで隣に腰かけた。カップアイスとスプーンを差し出され、仕事を一旦放棄して受け取る。蓋を開けて、カップの中身をすくう。スプーンを口に運ぶと、甘く冷たい塊が口内で溶けて、喉を通り過ぎるのが心地いい。
 ニールは、隣で自分のアイスに舌鼓を打っている。昼間に見た彼の若い頃の姿とはまったく重ならない。というより、最近になって時々見るようになった、この時間のニールの表情は、ムンバイで初めて会ったときから此の方、見た覚えのないものだった。
 隣でアイスを頬張っている男は答えを知っているはず。そう思うと、つい、その表情を盗み見てしまった。
 ニールは半分近く減ったアイスの表面を掘りながら、顔をこちらに向けて視線を受け止める。
「何かあった?」
 ニールの問いはそれだけだった。本当に、勘が鋭くて時々恐ろしくなる。
 アイスの欠片を口に運び、言うべきかどうか迷った。本人のことを相談するのはどうも気が引ける。だが、自分ひとりで解決できる気がしないのも事実で、俺は迷いながらも口を開いた。
「あった、といえばあった。この時間のお前のことだ」
「何かしたっけ?」
「いや、仕事は完璧だ。それ以外のところで、時々、妙に引っ掛かる」
「引っ掛かる?」
「ふとした瞬間に何か考えてたり、何か言いたげだと思えば、なんでもないと言ったり……。だが、原因がわからない」
 今日もそうだった。ただ服にごみが付いていただけで、あんな表情をするものだろうか。
 数時間前に見たものを伝えると、ニールは「ああ」と呟いて苦笑した。俺から視線を外し、手の中にあるアイスをスプーンで何度も突き刺している。
「なんていうか、自分で言うのもなんだけど、僕は勘がいいんだ」
「もしかして、お前の存在に気付いてるのか?」
「いいや、僕だとは思ってないけど、君に組織関係者以外の誰かの陰は感じてる」
 そこまで言うと、ニールはアイスをつついていた手を止めた。カップの中で溶け始めた液体を見つめながら、小さな声で呟く。
「……潮時かな」
 ぽつりとこぼれ落ちたニールの声は小さく、聞き慣れたものより低かった。
 彼が何を言っているのか理解できていないのに、頭の奥で警告音が鳴り響く。その先を問うのはためらわれて、スプーンを握り締める手に力が入った。
 再び動き出したニールの手の中から、こつこつとカップの底を叩く音が聞こえる。そして、顔を上げないまま、もう一度呟いた。
「僕はここを出る」
「……なんだって?」
「ずっと覚悟はしてたんだ。なにしろ、僕は君ばっかり見てたからね。怪しむ日がくると思ってた」
 俺が何も言えずにいると、ニールは手を止めて顔を上げた。今度はしっかりと視線が交わる。その瞳に迷いはなかった。
「これは人生をかけた任務だ。僕らが世界を救う。失敗は許されない。リスクは少しでも排除しなければならない。僕が――そのリスクだ」
「……っ、それは、」
「だから、君の傍を離れる。……許してくれる?」
 俺の言葉を遮って最後まで言い切ったニールは、どこか不安そうに問う。それでも、その瞳に宿る光に揺らぎはない。俺は、その不安ごと受け止めることしかできないのだと悟った。
 スプーンを離して手を伸ばし、無防備な頬に触れた。指先に当たる無精ひげを撫でる。
「許すも何も、もう決めたんだろう? お前を止められないことは、俺の方がよく知ってる」
 そう言うと、ニールはそれ以上何も言わずに微笑んだ。ゆっくりと目蓋が伏せられていき、唇が重なる。まだ少し冷たい唇が合わさると、ミントの香りが口内に広がった。ちゅ、と音を立てて唇が離れていく。名残惜しくて、もう一度口付けようとしたが、唇に触れたのは冷えた手のひらだった。
「待って、シャワー浴びてくる」
「いつも気にしないだろう」
「うん。でも、今日は立てなくなるまでしたいから」
 だから待って。そう言われて強引に押し進める男などいないだろう。頷いた俺の口の端にキスをして、ニールはバスルームに消えていった。それを見送り、胸のつかえを息と共に吐き出す。
 手の中に残されたアイスは溶け切って、カップの底に淡い色の液体が溜まっていた。

 

 ニールと入れ替わりにシャワーを浴びて、バスルームを出る。スウェットパンツを履き、タオルを肩にかけたままリビングに戻ったが、そこにニールの姿はなかった。
 リビングにいないのならベッドルームだろうと考えて、明かりを消して部屋を出る。ベッドルームのドアを開けると、ローブを着てベッドに寝転んでいるニールの姿が目に入った。
 俯せになっていたニールは、俺が入ってきたことに気付いて振り向くと、両手を大きく広げてベッドの中心に座った。導かれるままにベッドに乗り、その腕の中にすっぽりと身体を収め、ニールの背中に腕を回して抱きしめる。ニールは俺の首からタオルを奪い取り、代わりに両腕を俺の首に回した。そのまま後ろに重心を傾けて、ふたり揃ってベッドに倒れ込む。
 薄い身体に覆い被さり、何をするでもなくただ見つめ合っていると、ベッドサイドの明かりが、間近で揺らめくブルーグレイを鮮明に映し出した。その奥に見え隠れする欲の色に誘われるように、ゆっくりと顔を近付けていく。やがてお互いの唇が触れ合い、何度も啄み合った。
 最初は戯れるようなキス。それから甘噛みを繰り返し、じっくりと舌を絡ませる。口内の柔らかい部分や、上顎のくぼみを舌先でなぞるだけで、腕の中の身体がぶるりと震えた。微かな甘い声が混じる吐息ごと飲み込んで、腕を下半身に向けて伸ばしていく。
 ローブの柔らかい生地の上から腰を撫でて、手のひらで感じた違和感に小さく笑った。
「履いてないのか?」
「どうせ脱ぐだろ? 君だって、シャツは着てない」
 そう言って、ニールは俺の剝き出しの上半身を撫でた。少し冷たい指が胸元を滑っていく感触に肌が粟立つ。それに気付いたニールがうっそりと笑い、俺の肩を引き寄せて顔をうずめた。ぬるつく舌が首筋を這い、堪らず短く息を吐く。
 ニールが首や耳の裏にキスをしている間に、その身体を隠しているローブの紐を解いた。布の隙間から手を差し込み、うっすらと筋肉をまとった腹や腰を撫でる。腹部から胸元へと手を滑らせていき、硬くなり始めている胸の尖りを引っかくと、ニールの肩が小さく跳ねた。
「ん、ぅ」
 微かな喘ぎ声と共に首筋に噛み付かれる。やんわりと歯を立て、音を立てて吸い付いてから、ニールの頭は枕に沈んだ。
 ほんのりと水気を帯びている髪が枕の上に散らばり、石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。離れていった香りの後を追うように、今度は俺がニールの首筋に噛み付いた。痕が残らないように加減して噛み、そのあとを舌でねぶる。そうしていると、ニールの吐息が髪にかかり、少しずつ呼吸が乱れていることを直に感じられた。赤みを帯びていく肌に煽られ、下半身に熱が集まる。
 縋り付いてくるニールの手をそっと解き、鎖骨から胸へと移動していく。さっき引っかいた尖りを口に含むと、胸を押し出すようにニールの背がしなった。すっかり硬くなって主張しているそこを舌で押し潰し、吸い上げる。その度に髪を掴むニールの指先は震え、余計に胸を突き出すように悶えた。
「ぁっ、ん、下も……ッ」
 そう言ったニールの腰が微かに揺れる。請われるままに、胸から臍へのラインをゆっくりと舌で辿っていくと、頭上から、はぁ、と期待を含んだ声が漏れ聞こえた。
 唇と舌で腹部を愛撫しながら、投げ出されている脚に手を這わせる。手のひらが触れると、それだけで白い内腿が痙攣した。すらりと伸びた脚の間でペニスが緩く勃ち上がり、触られるのを待っている。だが、それを無視して、ニールの身体をひっくり返した。
 うつ伏せになったニールの下半身を覆い隠しているローブをまくり上げて、柔らかい肉にキスを落とす。薄い尻を掴んで割れ目を押し開くと、隠されていた後孔が姿を現した。
 長年に渡り、雄を受け入れてきたそこは、初めて見たときとは少し形を変えている。わずかに縦に割れている孔をなぞると、指先を食むようにきゅうっと締まった。自分でもその動きがわかるのか、ニールはシーツの上で、もぞもぞと腰を揺らした。
 本人が言っていたように、今日はどこまでも蕩けさせてやりたくて、尻のあわいに口付けた。音を立てて吸い、舌で舐める。すると、ニールの足先がシーツを掻くように震えた。
「はっ、ぁ……」
 わずかに生まれた隙間に舌を差し込み、唾液を送る。熱を持った入り口を舌先で擦ると、シーツを握り締めるニールの手に力が入る。震える腰を撫でながら小さな孔への愛撫を続けると、その先をねだるように粘膜がひくひくと収縮した。柔らかくなってきたところを見計らって強く吸い上げる。じゅる、と下品な音がした。
「ひぅっ、ア、……っ」
 震えと共に、喘ぎ声が段々はっきりと聞こえ始める。それに構わず舌を這わせ続けて、腰の揺れが止まらなくなる頃にようやく解放した。
 顔を上げて、口の周りを汚す唾液を舌で舐め取る。再び覆い被さり、ベッドサイドの引き出しに手を伸ばそうとしたところで、振り向いたニールの腕が肩に触れた。そのまま首へと回り、引き寄せられる。
 ニールは唇を柔く食みながら、首に回していた手で、伸ばしかけていた俺の手を絡め取った。そのまま口元まで引き寄せて、俺の指を口に含む。唾液を絡めた舌が指にまとわりつくように蠢き、口淫を思わせる動きに身体が熱くなる。
 吸われている指で舌先をくすぐり、挟み込んで扱いてやると、ニールの瞳がとろりと溶けた。
「舌、好きだな」
「はぁ……うん、っきもちいい」
 うっとりと目を細めて囁く姿に笑みがこぼれる。
「こっちは?」
「ん、ほしい……」
 自分の舌を見せながら訊ねると、ニールは快楽に震える舌を突き出した。健気に続きを待っている舌に吸いつき、唇と歯を使って扱いてやると、腕を掴んでいる手の力が強くなり、ペニスを押し付けるようにゆらゆらと腰が揺れる。その姿だけでどうしようもなく欲情して、布の下で主張している性器を擦り付けた。それに応えるようにニールも腰を動かす。
 次第に下半身の熱に意識を奪われ、唇は触れ合っているものの、もはやキスとは言えない状態になっていた。下着ごとスウェットの前をずらし、お互いのペニスを直接擦り合わせると、先走りが絡んで腰が甘く痺れた。
 ローブの合間から覗く白い肌が一層赤く染まり、唇に当たる吐息が浅く、短くなっていく。
「はっ、ぁ……まって、だめだ、っ」
「ッ、どうした?」
「い、イっちゃう、から……! いくのは、っナカがいい」
 真っ赤な顔でそう言われて、思わず唾液を飲み込んだ。
 喉が鳴ったのを誤魔化すように、慌ただしい手つきで引き出しを探り、ローションを取り出す。粘度の高い液体を指に絡ませて、緩んだ入り口を探り、ゆっくりと指を潜り込ませる。すると、熱く蕩けた粘膜に迎え入れられた。体内を探る度に指に絡みつき、引き抜こうとすると縋り付くように締まる。
 ローションを足しながら指を増やして解していくと、ニールはすすり泣くような声を上げて、自身の性器の根元を握り締めた。無理に射精を抑えられているペニスの先端は、かわいそうなくらいに赤くなっている。
「出してもいいんだぞ?」
「っふ、ぅう……だめ、今日は、きみのでって、ぁ、決めてる……っ」
 ニールがそう言うのと同時に、きゅうっと指が締め付けられ、自身に熱が集まるのがわかった。衝動を理性で押さえつけ、体内の様子を確認しようと手を動かしたときに指先が前立腺を掠めてしまい、ニールの脚が大袈裟なくらいに跳ねる。何度も痙攣する身体が愛おしくて堪らなくなり、続けて指先でしこりを押し潰した。
「あっあ、ぁ……ッいじ、わる……ァ、っ」
 抗議しながら、ペニスを握るニールの手の力が強くなる。
 本当なら、もう少し解した方がよかったんだろうが、限界まで張り詰めているニールのペニスの先端に透明の液体が滲み、根元まで流れていくのを見て、我慢できなくなった。
 半端に下げていたスウェットと下着を脱ぎ捨てて、開いたままになっていた引き出しからスキンを取り出す。パッケージを破こうとしたところで、ニールがそれを止めた。俺の手からスキンを奪い、床に投げ捨てる。
「こら、ニール」
「いらない」
「だが」
「きみを、ぜんぶ感じたい、ぜんぶ……っ、今日くらい、いいだろ?」
 本人は隠しているつもりだろうが、言葉尻が微かに震えていた。その言葉の意味がわからないほど馬鹿じゃない。明確なタイムリミットが見えてしまった今、少しでも深く繋がりたいという想いは一緒だった。
 スキンを取ることを諦めて、自身を軽く扱く。ニールは、どこか安心した様子でペニスの拘束を解き、自らの膝を抱え上げた。眼前に晒され、ひくひくと収縮しているアナルに性器の先端を押し付けると、小さな窪みがぴったりと吸い付いてくる。その動きに逆らわず、ぐ、と腰を押し進めた。
 隔てるものがない状態で繋がった後孔は、どろどろに蕩けて、少しの隙間もなく絡みつく。熱い粘膜に包み込まれるだけで一気に快感が走り抜け、衝動に抗えず、前立腺を押しながら奥まで貫いた。
「ん、ッあ、ァ――……!」
「……っ、く」
 触れていないニールのペニスの先からどろりと精液が溢れ出して、白い腹を汚した。それに合わせて腸壁がぎゅうぎゅうと締め付けてくる。
 ニールは自分の太ももをきつく握りしめて、絶頂の衝撃に耐えていた。ぎゅっと丸まった爪先にキスを落として、ニールが落ち着くのを待つ。やがてゆっくりと脱力したニールは、両手をシーツに投げ出し、両脚を俺の腰に絡めて引き寄せた。
「っはぁ、もっと……」
「ああ、ッ」
 ほとんど腕に絡まるだけになっていたローブを脱がせて、スキンと同様にベッドの下に放り、ゆるゆると腰を動かした。達したばかりの粘膜が敏感に反応し、奥まで誘うように蠢く。絡みついてくる熱に夢中になって目を閉じると、ニールの脚が腰を撫でた。そのしぐさに一層興奮し、ニールの両脚を抱えて、折りたたむように覆い被さる。
 体内を抉る角度が変わったことで、ニールの口から上ずった声があがる。その声が空気に溶けてしまうのが惜しくなって、押し付けるようにして唇を重ねた。ベッドに投げ出されていたニールの手が、俺の汗ばんだ腕を撫でる。合わさった唇の間から掠れた声が絶えずこぼれ落ちて、快楽に溶けていきそうな脳を揺さぶる。
 そうやって互いの熱を、肌を確かめるように抱き合っているうちに、ニールがその甘やかな声を堪えていることに気が付いた。
 そっと唇を離して顔を覗き込み、瞳が潤んで揺れていることに息を飲んだ。
 涙がこぼれるギリギリのところで、ニールは堪えている。抱えていた脚を下ろし、律動を止めて額を撫でる。すると、俺の顔を映している瞳が一際大きく揺れた。
「……バカみたいだ」
「何がだ?」
「僕だよ。自分だって気付かないで嫉妬してたなんて」
「普通は気付かない」
「でも、そのせいで君の隣にいられなくなる……!」
 そう呟いた瞬間、ニールの瞳から一筋の涙が流れた。
 それまで堪えていたものが決壊してしまったように、溢れ出した雫がこめかみを伝って髪を濡らす。その姿に胸が痛んだ。少しでも痛みを和らげたくて、涙の痕を指で拭い、額にキスを落とした。汗で湿った髪を撫でて、何度も唇を啄む。そして、小さく鼻をすする恋人に微笑みかけた。
「それでも、それがなかったら、俺たちは今こうなってなかったかもしれない」
 マグネ・ヴァイキング号での出来事の真意は、ニールしか知り得ない。だが、もしも、あのときニールが行動しようと思わなければ、もしも、この時間のニールと俺の関係が少しでも違っていたら、違う現在が待っていたのかもしれない。
 だから、そんなに否定してやるなと伝えると、ニールは一度だけ瞬きをした。それから、くしゃりと歪に笑う。
「ままならないなぁ」
「ああ、本当にな」
 俺にとっての現在は、ニールにとっては過去なのだと、今更ながら理解した。
 本人がどんなに悔やんだとしても、俺には、それごと大切なんだと伝えたいのに、うまく言葉にできずに抱きしめる。
 しばらくそうして密着していると、泣き止んだニールの唇が頬に触れて、やわやわと耳を噛まれた。性感を刺激するように音を立てて吸われて、再び下半身に熱がともる。それを感じ取ったニールは、息だけで小さく笑った。
「もう大丈夫だから、ぼくを君でいっぱいにして」
 内緒話をするみたいに耳元で囁かれ、ぞくりと背筋を快感が駆け抜ける。
 上体を起こしてゆっくりとペニスを引き抜くと、腸壁が引き留めようと絡みついてくる。それが、ニール自身の意思を表しているようで可愛らしく、限界まで広がっているアナルの縁を指先でくすぐった。すると、ニールの太ももが腰を挟み込んだ。
「はやく、いっぱいにしてって、言ってるだろ……っ」
「いっぱい、か。ここまで?」
 じわじわと体内を押し広げるように腰を進めると、ニールはもどかしそうに身体をよじる。中途半端に挿入されている性器を引き込もうと、自ら腰を前後に揺らしてねだった。
「ふっぁ、まだ、おく……」
「まだか?」
「あっ、ん、ン……もっと、ちゃんと、っあ、アッ」
 途切れ途切れの言葉に従って、徐々に奥深くまで押し込んでいく。うねる粘膜の一番奥、行き止まりになっている場所にペニスの先端が触れると、びくりとニールの身体が大きく跳ねた。目が大きく開かれ、はくはくと浅い呼吸を繰り返す。何度もそこを突いてやると、白い首があっという間に真っ赤に染まった。
「はぁ、っあ、ぅん、っいい、おく……ッ」
「ッああ、すごいな」
 あられもない声をあげながら悶えるニールの性器は、柔らかさを保ったまま動きに合わせて揺れている。後ろだけで快感を拾っている姿に脳の中心が痺れて、一際強く奥を穿つ。すると、ニールはぎゅうっと目をつぶって、びくびくと身体を震わせた。
「っう、くぅ、ぁ――……!」
 射精もしていないのに、ニールの体内は激しく痙攣して、ペニスを締め付ける。なんとか呼吸を整え、急激な収縮に持っていかれないように堪えて、抽挿を再開した。
 ニールは勢いよく目を開き、涙でまつ毛を濡らしながら宙に腕を伸ばした。その手を掴み、指を絡める。
「あぁっ、ア、い、いった……っいま、イっ……ぁっ」
「っは、こうしていたら、これだけに集中できる」
「ぁ、はは……っきみも、バカだね、ッ」
「上等だ。っそれごと、愛してるだろ?」
 答えを乞うように絡めた指にキスをすると、ニールの瞳が揺れた。ベッドサイドの明かりに照らされて、ブルーグレイがやけに澄んで見える。
 ニールは鼻も目元も赤く染めて、それでも口角を上げてみせた。微かに震える声はやわらかく、どこまでも俺を包み込む。
「っ、そうだよ。どんなきみも、愛してる……!」
「俺も、ッ、全部あいしてる。ニール」
 繋いだ手に力が入る。手の甲にニールの指先が食い込んだが、その小さな痛みさえ愛おしい。
 何度も名前を呼び、痕を残し、胸の内を告げる。隙間なく触れ合い、敏感な粘膜を擦り上げて、込み上げてくる熱をニールの一番深いところに注ぎ込んだ。

 

 お互いに動けないんじゃないかというくらいに抱き合った次の日には、ニールはあっけらかんとした様子で仕事をこなしていた。
 表立って動いてはいなかったが、俺の手が回らない情報部を隠れて統率していたのはニールだ。
 偽名を使い、誰にも姿を見せず、それでも信頼を勝ち取り、サポートしてくれていた。その業務をもっとも信頼できるという部下に引き継いだかと思うと、あっという間に自分の荷物をまとめてしまった。
 ふたりで決めたこの家を出て行くとニールが言い出してから、まだ一週間しか経っていないというのに、容赦なく別れの日はやってくる。
 ニールのキャリーバッグの中には、気に入っている服と、何度も読み返している本が二冊、そして、俺が贈った腕時計が詰め込まれている。たったそれだけを持って、ニールは玄関口に立った。
「行くのか」
「ああ。後始末ばっかり任せて悪いね」
「なに、慣れてる」
 そんな他愛もないことを言い終えてしまうと、沈黙が降りてくる。しばらく黙って見つめ合っていたが、何を言うでもなく、同時に身体が動いていた。
 手を伸ばし、お互いの背中を抱き寄せ、唇を合わせる。この一週間は、時間を見つけては触れ合っていたというのに、身体が、本能が、この男を手放すなと叫んでいる。
 息継ぎを繰り返しながら唇を貪る。だが、この手を離さなければと自分に言い聞かせて、衝動を押し殺して解放した。乱れた呼吸が周囲に満ちる中で、こつ、と額が触れ合う。
「どうか、気を付けて」
「それはお互い様だ」
 そう囁き合い、今度こそ距離を取る。キャリーバッグの持ち手を掴んで、笑みを浮かべたニールは、もう振り返らなかった。ドアが閉まる音が玄関に響く。
 たった今、ニールが出て行ったばかりのドアに背を向けてリビングに戻り、そこかしこに感じる気配に苦笑した。
 ニールは、必要最低限の荷物だけを持って出て行った。そのため、この家にはニールの持ち物が残されている。服にマグカップ、それから、俺にはなんだかわからない調理器具――。
 共に過ごした男の痕跡はあるのに、存在を確認できるものはどこにもなかった。写真も動画も残っていない。俺もそうだ。お互いに、足跡が残りそうなものは避けてきた。ただ、隣にあるぬくもりがすべてだった。
 ソファに腰掛けて、テーブルに置いてある端末を手に取る。画面を操作して履歴を開くと、何度も見てきた名前が表示された。その、短いアルファベットの羅列を指先でなぞる。
 ニールが身を隠すことを決めてから、ふたりの間でいくつかの決まり事を作った。

 むやみに連絡を取らない。
 居場所は探らない。
 連絡が取れなくなったら、そのときは諦める。

 それが、俺たちの間の新しいルールだ。
 端末の画面を消し、液晶が黒く変わったのを見届けて、自分も目を閉じる。
 ニールがよくやっていたように、ソファの背に体重を預けて脱力してみる。すると、目蓋の裏の暗闇の中で、今さっき見たばかりの背中が浮かび上がった。思えば、俺はあの後ろ姿を見送ってばかりいる。
 端末を握り締める手に無意識に力が入る。見慣れた番号は、もう使うことがないような気がした。

* * *

「ボス、情報部から頼まれてたやつ――え?」
「ああ、持ってきてくれたのか。ありがとう」
 きっちりと封がしてある封筒を片手に部屋に入ってきたニールは、途中で言葉を止めて周囲を見回した。隅々まで確認しながら、ゆっくりと足を進める。そのまま速度を変えずに机の前までやってきて、そこで、ようやく俺のことを見た。
「ニール、それを」
 椅子に座ったまま手を出して促すと、持っている封筒を差し出す。しかし、俺が封筒を掴んでも、ニールの手は離れなかった。封筒の端を持ったまま、鋭い視線を向けられる。
「どういうこと?」
 まっすぐに、睨むように俺を見下ろしているニールの手に力が入り、封筒に小さな皺が刻まれる。
「ちゃんと話は聞く。だから放せ」
 そう言うと、ニールはおとなしく手を放した。だが、不信感は消えていない。
 封筒を机の上に置いて、不安の入り混じる顔を見上げると、ニールはゆっくりと口を開いた。
「どうして、荷物が減ってるんだ」
「ここを離れる準備をしている」
「そんな、どうして……!」
「作戦まで一年を切ったからな。昔の俺にも、プリヤにも、俺の存在を悟られたらまずい」
「でも、何もいなくならなくても」
「念には念を入れる。俺の記録が残りそうなものは全て消していく」
 有無を言わさず言い切ると、ニールは戸惑い、唇を引き結んだ。力みすぎた拳が小さく震えているのが目に見えてわかり、痛々しい。
 ニールは何かを言おうとして、それを飲み込み、小さな声で返事をした。
「イエス、ボス」
 普段なら選ばないだろうその言葉が、彼の胸の内のわだかまりを表している。
 部屋を出て行こうと、硬い表情のままニールが背を向ける。ドアノブに手をかけたところで呼び止めると、ニールは立ち止まった。だが、振り向きはしない。その頑なな背中に声をかける。
「もちろん必要な情報は伝えていく。それに、君は後を任せられるまでに成長してくれたからな。何も心配してない」
「……わかった」
「それから、今夜の君の予定は?」
「空いてる、けど」
「なら、食事でもどうだ? ちゃんと話をしよう。友人として」
 そこまで聞いて、ニールはようやく振り向いた。強張っていた肩から、少しだけ力が抜ける。ニールはじっと俺のことを見据えて、ため息と共に言葉を紡いだ。
「ああ、いいよ。ちゃんと、全部、説明してもらうからな」
「わかってる。食べたいものを考えておいてくれ」
 一語一語を念を押すように突き刺さしてくるニールに苦笑して答えると、ようやく納得したのか、頷いて部屋を出た。
 はあ、と大きく吐き出した息が空気に溶ける。どうやら、知らぬ間に俺も緊張していたらしい。あの瞳が戸惑い、揺れる様は、いつまで経っても慣れたりしない。
 大きく首を回して気分を切り替え、机の上に置いたままになっていた封筒に手を伸ばした。封を開けて中身を確認する。
 封筒から出てきたのは書類の束だ。一枚目には若い自分の写真が載っている。その次には、詳細な経歴が。それから、取得している技術や、過去に当たった任務の記録、使用した偽名の一覧――そういったものが、すべて事細かく記されている。確かに、これは自分が欲していた情報だ。
 書類に目を通し終えて封筒に戻す。これは、必要な情報を頭に叩き込んだら処分するべきものだ。そのために、引き出しにしまって鍵をかける。
 準備は整った。

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