本編終了後、回転ドアの前で目覚めたニールは主人公の元へ走り出す。 ――から始まるニール生存ifの主ニル本。4周年記念にweb再録しました。
前半はツイッターで公開した話を加筆修正したもの、後半は書下ろしです。 ※過去捏造してたり、若ニルくんも出たりします。2021/2/27発行
Dear friend,
「う……」
微かな呻き声が聞こえる。それが自分の声だと理解するのに数秒かかった。半分ほど開いた視界はぼやけていたが、目の前に広がっているのが地面だということはわかった。
ずきりと頭部が痛む。頬に触れる土の感触が不快だ。ぐらぐらと視界が歪みそうになる中で、必死になって目を凝らす。不安定に揺らぐ意識で、なんとか世界を認識しようと試みる。
彼はどうなった? 世界は? 僕は、自分の役目を果たせたんだろうか?
ゆっくりとクリアになっていく思考と共に、霞んでいた世界の輪郭がはっきりしてくる。目を凝らして、視界に映るものを順に追っていく。
地面と土埃。自分の手。そして、回転ドア――回転ドア?
視界の少し先にある機械を目にした途端に、脳が一気に覚醒した。少し世界が揺れたが、構わず勢いよく起き上がる。
揺さぶられた頭がガンガンと痛む。髪を掻き分けて頭皮を探ると、後頭部にこぶができていた。だが、他に目立った外傷はない。
生きている。
その事実に安堵するより先に血の気が引いた。心臓が激しく脈打ち、震える手で腕時計を確認する。そこに表示されている数字は、とうにカウントダウンを終えていた。時間は確実に未来へと進んでいる。
僕は、どうして逆行していない?
その答えを見つけるより先に立ち上がり、慌てて回転ドアに入ろうとした。そのとき、検証窓の向こうに自分の姿がないことに気付き、足を止めた。
早く彼を助けに行かなければならないのに、どうして逆行している自分が現れないんだ。
焦りばかりが募る頭でそう考えていると、今更ながら、うっすらとガラスに映る自分の体に違和感を覚えた。違和感の正体を確認するために、両手で背中をまさぐる。そこには、あるべきはずの感触がなかった。バックパックがない。
嫌な予感に、冷や汗が背中を伝う。何も理解などしていなかったが、黙っていることもできず、勢いよく駆け出した。
砂埃が舞う大地を蹴る。焦りと不安を伴っているせいで呼吸が苦しい。それでも必死に足を動かす。
鍵明けのツールは、バックパックに入っていた。あれがなければ、逆行するだけでは意味がない。混乱する頭の中で「どうして」「何が」と、そんな言葉ばかりがぐるぐると回り続ける。
考えるのが怖い。けれど、考えずにはいられない。
〝僕が行けないなら、君はどうなった?〟
走りながら、そればかりを考える。そして、必死になって記憶を辿った。
彼に別れを告げたあと、アイヴスと共にヘリに乗って移動した。そのヘリから、回転ドアのある施設の前に降り立ったとき、周囲に人の姿はなかった。それは施設の中も同様で、僕以外の人影はない。敵も味方もいなくなった回転ドアの前で、僕はヘルメットを被る前に深呼吸する。
迷いはなかった。ほんの少しの恐れはあった。直接、空気を吸うのも最後だろうと、誰もいないのをいいことに、そっと目を閉じた。そして――。
そこで記憶は途切れていた。そんなはずはないと、記憶の先を手繰り寄せるが、うまくいかない。
走っているせいで体温が上がる。全身に血が巡り、ずきりと後頭部が痛んだ。それによって、沈んでいた記憶が浮かび上がる。
ああ、そうだ。後ろから頭を殴られた。なんの防具も着けていない頭部はダメージを負い、僕から意識を奪った。倒れる瞬間、誰かの足が見えたのを思い出す。そのあとのことは、目が覚めるまで空白になっていたが、その人物がバックパックを奪ったのは明らかだ。
誰が、なぜ。疑問ばかりが募り、あらゆる可能性が脳内を駆け巡る。アイヴスは違うだろう。彼が乗っているヘリが飛び立つのを僕は見送った。
それなら、まさか、君が?
その考えに至り、心臓が嫌な音を立てた。あのあと、なんらかの方法で追いかけて来たんだろうか。
必死に酸素を取り込もうと開いた唇を噛み締める。嫌だ。そんなことのために、僕はここにいるんじゃない。
まだそこにいる保障もないのに、彼と別れた爆発地点に向かう。もうどこかへ去ってしまったかもしれない。けれど、そこ以外の行き場所を知らない。
肺が痛むのを無視して走り、人影を見つけてゆっくりと速度を落とした。
彼はそこにいた。ぽっかりと開いた穴の傍で、別れたときと同じように、アルゴリズムを抱えて遠くを見つめている。
その後ろ姿を確認して安心すると同時に、どっと汗が噴き出した。ぜえぜえと喉に引っ掛かったような呼吸を繰り返していると、男がゆっくりと振り返った。
「ニール……?」
美しい黒い瞳は大きく開かれ、穴が開くほど僕の顔を見つめてくる。僕の名前を呼ぶ声は、微かに震えていた。男は動揺を隠そうとはせず、ゆっくりと、一歩、また一歩と足を踏み出す。
「お前は、いつのニールなんだ……?」
「今……今、だよ。さっき話した、僕だ」
耳の奥でうるさく響く呼吸音の合間にそう答える。男はまだ信じられないらしく、茫然と僕を見上げている。当然だ。幽霊を見ているようなものだろう。
僕はまだ混乱したまま、目の前に立っている男の姿を確認していた。
記憶と変わった様子はない。アルゴリズムも分解されたままで、世界から生物が消えた気配もない。だが、本当に何もなかったのかはわからない。変わってしまった世界を、僕はきっと知ることはない。
それでも確かめずにはいられなかった。恐る恐る問いかける。
「鍵を……鍵を開けたのは……?」
「この部隊の誰かだ。赤い紐のタリスマンをバックパックにつけた――」
そこまで聞いて、僕は目の前の男の肩を抱き込んだ。驚いた男に有無を言わせず、ぎゅうっと抱き締める。
僕が逆行することを知っている人物。
僕のバックパックが必要なことを知っていて、誰かのために命をかけてしまえる人物。
そんな人間は限られている。
腕の中の男と同じ顔をした、年上の友人のことを思い出す。失っただろう男のことを考えると、じわりとまなじりが濡れて視界が揺れた。それを誤魔化すように、額を男の肩に押し付ける。男は嫌がりもしないで、黙って背中をさすってくれた。
瓦礫を掘り起こしたところで、遺体は見つからないだろう。僕の親友は、ほんとうに世界から消えてしまったのだ。でも、それでも、彼は生きている。ここには、確かに体温がある。
「何があったんだ?」
「僕にも、わからない」
声を詰まらせながらそう答えると、男は「生きててよかった」と、微かに声を震わせて笑った。
僕はうまく笑えずに、この腕の中にいる男のために何ができるだろうかと、それだけを必死に考えている。