クリスマスを主さんと過ごそうとがんばるニルくんの話。平和な主ニル。謎時空。
〝ホリデイは家族で過ごすもの〟
大抵の人はそう答えるだろうし、僕もその通りだと思う。だが、こんな仕事をしているのは家族なんてものとは縁遠い人間がほとんどだ。世間がお祭りだろうが仕事は待ってはくれないし、運よく時間が空いて、たまたま同じエリアにいる同僚と過ごせるならいい方だ。一人寂しく過ごす、なんていうことも珍しくない。
でも、今年は違う。今年は一番一緒にいたい相手と過ごせるのだ。そのために仕事を無理矢理終わらせた。コーヒーとエナジードリンクまみれになって、目の下にくっきりと浮かんだ隈も無視して、なんとしてもクリスマス当日は空けてやる、と躍起になって、深夜にようやく終わりが見えた。
血眼になってまとめたデータと計画書を実働部隊に渡してしまえば、少なくとも一日は自由な時間ができる。そうしたら、プライベートをゆっくり過ごす時間も取れないひとと、とびきりの休日を過ごせるはずだ。
とっくに日付は変わっていたが、構わずデータを送りつけて電話をかける。電話の向こうのアイヴスに「今かよ!」と悪態をつかれたが、そんなことは気にしていられない。僕にだってクリスマスは必要なんだ。
半ば強引に説明を終わらせて電話を切り、ふらふらになりながら、明日のためにシャワーだけは浴びてベッドに潜り込む。数時間の仮眠をとって、この家――僕と彼の二人しか出入りできない彼個人のセーフハウスだ――にやってくる男を迎える準備をしなければ。
特別な日にするためにやるべきことを考えながら、子供のように胸を躍らせて眠りについた。
目が覚めると、時計の針は午前十時を示していた。朝早く、とは言えない時間だが、睡眠不足だった割には上出来だろう。一日の始まりとしては悪くない。自分を褒めて、簡単に朝食をとり、暖かいセーターに着替えてコートを羽織る。そして、軽い足取りで家を出た。
セーフハウスから少し離れた通りには、飲食店から雑貨屋まで、様々な店が並んでいる。そのどれもがクリスマスムード一色となり、装飾がなされていて賑やかだ。買い物袋を抱えて楽しそうに歩く家族連れを見て、僕もそっと笑みを浮かべる。
まずは、彼へのプレゼントを探すつもりだ。ふらふらと歩きながら、並んでいる店を物色する。服、アクセサリー、マフラーに手袋――ぐるぐると何件もの店を回ったが、最終的に渡したいものは一目見てすぐに決まった。時計だ。スーツに合わせるものではなく、彼の私服に合う時計。カジュアルな服にも合うし、何より彼の肌の美しさを際立たせてくれる色合いのものだ。きれいな箱に包んでラッピングまでしてもらい、手に入れた品に満足して店を後にする。
続けて、ディナーの買い出し。
まず、ターキーは欠かせない。それに、彼はきっとサラダも欲しいと言い出すだろう。彼の好きなコークも必要だし、ジンジャーマンクッキーだって。幸いなことに、クッキーはかわいらしい飾りつけのものを見つけた。描かれた顔がどことなく自分に似ている気がして小さく笑う。クッキーが割れてしまわないように慎重にしまい、最後に彼のお気に入りのソルベも買う。すると、あっという間に買い物袋はパンパンになってしまった。
片手では少し不安定で、両手でしっかりと抱える。歩くには少し不自由だが、これも幸せの重みだと言えるだろう。晴れ渡った空の下、嫌なものは何一つない。そう思うと気分がよくなって、数時間歩いたとは思えない足取りで帰路につく。その先で、更なる幸せが僕を待っていた。
「おかえり」
リビングに入ると、待ち焦がれていた男がソファでくつろぎながら、僕に笑いかける。
「ただいま!もう来てたのか」
「予定より早く着いたんだ」
急いで荷物をキッチンに運び、セーターとコートでもこもこに膨れ上がったままハグをした。いつまでも抱きついていたかったけど、早く着替えてこいと促されて、そそくさとコートを脱ぎに行く。
その間に男はキッチンに移動していて、僕の買ってきた料理を冷蔵庫にしまってくれていた。簡単に片づけ終えて、時間的にはまだ早いけど、ディナーの準備をすることにした。本当は彼が来る前に終わらせたかったんだけど、彼が一緒にやりたいと言ってくれたので、二人で料理をすることにした。これもなかなか経験できない珍しい出来事だ。
僕も彼も凝った料理には慣れてない。だから、念のためにスマートフォンでレシピを調べて、苦戦しながら巨大な肉をオーブンに放り込んだ。肉を焼いている間にサラダの準備をして、待ち時間にはジンジャーマンクッキーをつまむ。クッキーの顔を見た男が「ニールに似てるな」と言い出して、同じことを考えたことがおかしくて、げらげらと笑う。
彼と一緒にオーブンを覗き込むのがこんなに楽しいなんて、思いもしなかった。
待っていると、どうしても会話は仕事の話が交じる。資料を仕上げたことと、前線に出るだろう部隊のことを話しているとついのめり込んでしまい、肉を少し焦がしてしまった。予定よりも黒くなってしまったが、まあ、食べられないことはないだろう。
順調に準備を終えて、結局、ディナーは少し早い時間に始まった。彼が肉を切り分けて、焦げた部分ごと味わう。初めてのレシピにしては上出来だ。端の方の炭の塊が口の中で砕けたのはご愛敬。鈍い音に二人揃って笑った。
満足いくまで平らげて、食後は一緒にソルベを食べる。好物を口にしている彼の頬が無意識に緩むのは、僕だけの秘密だ。そんな彼の顔を見ていると、僕の顔も緩んでしまう。だから、僕もソルベは好きだ。
デザートまで食べ終えて、ソファに並んで座る。僕は、少しだけ緊張しながらプレゼントを差し出した。彼の手が包装を丁寧に解いていき、最後の箱が開かれるのを見守る。彼は、箱の中身を目にして僕に笑いかけた。
「ありがとう、ニール」
「気に入ってくれた?」
「ああ、嬉しいよ」
男は心底嬉しそうに目を細めて時計を手に取ってくれている。それが嬉しくて、ぎゅっと彼を抱きしめた。そのとき、ふわりといい匂いがした。香水だ。任務の設定上必要な時に、彼がつける香水。プライベートでは珍しいな、と思いながら、その香りごと彼を堪能する。
腕の中のぬくもりに頬を寄せると、頬に触れる髪の毛がいつもより柔らかい気がして、わずかに首を傾げた。手入れ方法を変えたくらいで感触まで変わるものだろうか。もう一度頬を寄せる。なぜかさっきよりもふわふわと柔らかくなっていて、不思議に思いながら彼の後頭部に手で触れると、もふ、と指が沈んだ。
「……っ⁉」
驚いて息が止まる。視界は黒くて柔らかいもので埋められていて、数秒後に自分がそれを抱きしめているんだと気が付いた。心臓はばくばくと鳴り続けているが、少しずつ脳が覚醒していく。外からの明かりを頼りに目を凝らす。
薄ぼんやりとした明かりに照らされた部屋で、僕の腕の中にあったのは、黒い熊のぬいぐるみだった。俗にいうテディベアという奴で、僕の持ち物ではない。ベアの存在に混乱したまま、がばりと勢いよく起き上がる。
僕はベッドの上にいた。暗くて周囲は見えないが、自室であることは間違いない。更に数秒経過してから、今さっきまで見ていたものすべてが夢だったんだと理解した。プレゼントも、料理も、すべて。
それを理解した途端にさっと血の気が失せた。慌てて時計を確認すると時刻は午後九時を示している。
――夜。夜だ。午前中に起きて準備するはずだったのに。ていうか、クリスマスはもう三時間しか残ってないじゃないか。いや、それよりも、彼は夕方に着くと言っていた。
そこに思考が辿り着いて、慌ててベッドを飛び降りる。サイドテーブルに膝をぶつけながら適当な服に着替えて、ドタバタと音を立てて明かりのついているリビングに飛び込んだ。
「おはよう、ニール」
ソファに座り、なんでもないことのように挨拶をしてくる男を見て、がっくりと項垂れる。よたよたと近付いていき、彼の隣に座った。
「ごめん……本当にごめん。起こしてくれたらよかったのに……」
「よく眠ってたからな。それに、寝顔を見るのも悪くないぞ?」
「でも、せっかく一緒に過ごせるクリスマスだったのに……」
「まだ三時間ある」
「三時間しかないじゃないか」
楽しみにしていた分、落胆も大きく、彼を困らせたくないのに今にも泣きそうだ。彼は優しく、根気よく僕の頭を撫でている。そして、僕の頬に軽くキスをして、耳元でささやいた。
「プレゼントは受け取ったか?」
「プレゼント?」
「ベッドに置いておいた」
「……テディベア?」
少しばかり意地悪く笑って頷いた男は、微妙な顔をしている僕に「いいから取ってこい」と言って、寝室に送り出した。渋々自室に向かい、明かりをつけてベッドの上に転がっている熊を回収する。黒くてふわふわとした毛並みのぬいぐるみは、首に小さな筒状のチャームを下げている。そこから彼の香水のかおりがした。
ああ、夢の中で香水のかおりがしたのはこれが原因だったのか、と納得して、ぬいぐるみを抱えてリビングに戻る。男はテディベアを脇に抱えた僕の姿を見て、いたずらっ子のように目を細めた。
「気に入ったか?」
「……僕はもうテディベアを抱きしめて寝る歳でもないんだけど」
「本当に?」
そう聞き返してくる男の顔は笑顔のままだ。聞いてしまうと不利になる予感もしたけれど、逃げ出すのも悔しくてなんでもない顔を作った。ぬいぐるみを両手で抱え直し、もう一度男の隣に座る。
「僕がぬいぐるみを抱いてるとこなんて、見たことないだろ」
「ぬいぐるみはな」
「え?」
「ブランケットとか枕は、ときどき寝ながら引っ張ってるぞ」
「えっ」
「あと、俺のことも」
自分では気付いていなかった癖を暴露されて、ぱかりと口が開いたままフリーズした。間抜けな表情で、男の顔を見つめる。まっすぐに見てくる瞳から嘘じゃないことがわかり、じわじわと頬が熱くなる。両手で頭を抱えようとしたけれど、ぬいぐるみを抱きしめているせいで手が塞がっていてそれはできない。仕方なく、顔をぬいぐるみにうずめて隠した。
「うわ、なにそれ、恥ずかしいやつだよ……」
「……かわいいぞ?」
「大の大人にそれ言う?」
ぬいぐるみに口元を押し付けているせいでくぐもった声で反論すると、男の笑い交じりの声が返ってくる。顔は見えないけど、きっと意地悪く笑っているに違いない。思い切り寝坊した僕にそんな資格はないかもしれないが、それでも横目で睨みつけた。そして、僕はそのまま動けなくなった。
視線を向けた先で、男は、僕が想像しているよりもずっと優しい瞳でこっちを見ていた。確かに口元はからかいの笑みを浮かべているけれど、それだけじゃない。それがわかって、そっと顔を上げる。
彼の意図を知ろうと、抱きしめているテディベアをまじまじと眺めた。
ふわふわと全身を覆っている黒い毛並みは彼の髪色とよく似ている。首から下げたチャームからは彼の香り。極めつけに、ベアの足の裏には、僕だけが教えてもらった彼の本当の名前のイニシャルが刺繍してあった。
それが何を意味しているかわからないほどバカじゃない。
〝他のものを抱きしめるくらいならこれにしておけ〟と、そう言われているようで顔が一気に熱くなる。男を正面から見ることができず、ベアと向かい合ったまま、ちらりと視線だけを隣に投げた。
「よくこんな恥ずかしいことできたね……」
「俺だって恥ずかしい。でも」
「でも?」
「なかなか会えないのも事実だからな」
こっちを見ずにそう言った男の頬も熱を帯びている。からかいも優しさも、どちらも本心だったんだと思うと、じんわりと胸が温かくなった。もしかしたら、プレゼントがこの方法だったのも照れ隠しだったのかもしれない。
散々不満そうな顔をしてしまった罪滅ぼしも兼ねて、彼の要望通り、テディベアをぎゅっと抱きしめる。それから、ベアを男に抱かせて、ぬいぐるみごと彼自身に抱き着いた。
「今は本物がいるからこっちかな」
「それもそうだ」
「明日の午前中は?」
「空いてる」
「じゃあ、一緒に出かけよう。君にプレゼントを買いたい」
「サプライズはなし?」
「……どうしてかは知ってるだろ」
声を殺して笑う男を睨みつけると、余計におかしそうに笑われた。僕としてはなかなかに屈辱なんだけど、彼が楽しいならいいか、と思うことにした。
キッチンには彼が用意してくれたらしい御馳走が並んでいる。それをいつ食べ始めるかはまだわからない。たぶん、腹の虫が鳴き始めたら。そのあとはどうしようか。そう考えるだけで楽しくなってきて、僕は彼に負けじと笑った。
なんのまとまりもない、ぐだぐだのホリデイ。でも、きっと悪くない。僕たちらしい、ということで。