Next to you *

狩りで一時的に手足が不自由になったサムとお世話する兄貴の話。もうデキてるディンサム。シーズン未設定。薬について詳しいことはスルーしてください…。途中までしか観れてない人が書いてるので、おかしなところがあったらすみません。

校内に鳴り響いた鐘の音を合図に子供たちが一斉に動き出した。ガタガタと音を立てる机と椅子には目もくれず、ディーンはノートと鉛筆を乱雑に鞄の中に放り込む。立ち去る子供たちに紛れて教室を出たところで後ろから声をかけられた。
「ディーン、今日も広場に集合な」
「今日は行かない」
昨日少しだけ一緒に遊んだ少年は、当然今日も同じだと思っていたらしく、子供らしいかん高い声で不満をあらわにした。理由を尋ねてきた少年に、ディーンは「弟が寝込んでるから」と返事をした。
すると、少年はうっすらと口元に笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「なんだよ、それくらい。ディーンじゃなくてもいいだろ」
少年に悪意などなかった。ただ純粋にそう思ったに過ぎなかったが、ディーンは少年に見えないようにぎゅっと拳を握り締めた。何かが口から飛び出してしまいそうになるのをぐっと堪えて、ディーンは薄ら笑いを浮かべて見せる。
「悪いな」
「つまんねーの」
謝罪に対して吐き出された言葉を背中で聞きながら、ディーンは走り出した。
玄関に向かって行く途中で擦れ違った教師に注意されたが、適当に返事をして足は止めなかった。校舎を出て、生徒たちの間をすり抜けながらもディーンは走り続ける。やがて人通りが少なくなってきても走るのを止めなかった。
ひんやりとした秋の空気が頬を刺すのも、苦しくなってきた呼吸にも構わず走りながら、ディーンは頭の中で呟いた。
(お前らに何がわかる)
朗らかに笑い、遊び回るのが当然の同級生。帰る家があり、誰かが待っているのが普通の子供たち。
それを目の当たりにしたとき、ディーンは自分が異質であると感じざるを得なかった。
下校時間の街中では至る所から明るい声が聞こえてきてディーンの心臓を蝕む。それらを全て振り切るように、もう一度声に出さずに呟いた。
(お前らに何がわかる)
眉間に皺を寄せて地面に散らばった枯葉を踏み潰しているうちに、現在の仮住まいであるモーテルに辿り着いた。
立ち止まり、呼吸を整えて、昨夜から熱を出している弟に気を使って静かにドアを開けた。
ディーンがそっと顔を覗かせると、弟は上半身を起こしてベッドの上でスープを啜っているところだった。食べにくいのか、もそもそと具材を口に運ぶ表情はしかめっ面になっている。ベッドの真横に座りながら看護をする父の背中越しにぎゅっと寄った眉間が見えて、ディーンが小さく笑うと、それに気付いたサムが顔を上げた。
「ディーン」
幼い舌たらずな声がディーンの名前を呼ぶ。ディーンの顔を見た途端にサムの額にきつく寄せられていた皺が消えて、ふにゃりと口元に笑みが浮かんだ。熱で赤く染まった肉厚な頬が、より丸みを帯びて見える。
無条件に向けられるその笑顔を見ただけで、ディーンの中で荒れ狂っていた声が消え去った。自然と力が抜けて、体の中心からあたたかいものが広がっていく。
「サミー、大丈夫か?」
「ん……あつい」
へにゃりと下がってしまった眉を見て、つい苦笑を浮かべてしまう。普段は小悪魔のような弟も、こんなときは素直で愛らしい。ふらりと近付こうとしたディーンに向かって父親が声をかけた。
「ディーン、荷物を置いて手を洗ってきなさい」
「はい、父さん」
父に言われた通りに鞄を自分のベッドの上に放り、手を洗ってからサムの元に戻る。ディーンが来たことを確認した父が椅子から立ち上がり、持っていたスプーンをディーンに手渡した。
「残りを頼む」
「はい」
父と入れ替わりで椅子に座り、握ったスプーンでサムにスープを与えながら、ちらりと父の様子を盗み見た。
机の上に文字がびっしりと並んだ紙を何枚も重ねてノートを睨み付ける様子を見て、ディーンはもうすぐ父がいなくなることを悟った。いや、こうして長期間滞在していることがイレギュラーなのだ。本当はもう狩りに向かっているはずだったところを、サムが体調を崩したから急遽留まったに過ぎない。
じくり、と再びディーンの中に黒いものが滲み出す。それの名前をディーンはまだ知らなかった。それが広がっていくのが不快で、ディーンは父から視線を外して再び弟に向き直る。
少し目を離した隙に、弟の口元には半透明の汁と小さな欠片が散っていた。
「サム、おとなしくしてろよ」
そう告げてからベッドサイドに置いてあったティッシュを手に取り、力任せにぐいぐいと拭いてやると、不快そうに眉が寄せられる。それなのに、それが終わった途端にサムは口をぱかりと開けた。
「でぃー」
そう言ってスープの続きをねだる様は、ディーンの中の黒いものを消してくれた。そうしているだけで無条件に与えられると信じている。それは、自分たち家族にとって、数少ないごく”当たり前”のことのように思えた。
いつまで経っても与えられないことを不思議に思ったサムが、ディーンを見上げながら首を傾げる。半端に開いたままの唇は、平穏の象徴だった。その無防備な口にスプーンを差し出して、ディーンは堪えきれずに笑い出した。
「餌付けされてる鳥みたいだな、サミー」
からかわれていることに気付いたサムが頬を膨らませてディーンを睨む。そうしながらも口は咀嚼するために動いており、それを見てディーンは更に笑った。怒った顔をしているのに、スープを差し出すとおとなしく口に含むサムは、間違いなく貴重な日常の欠片だった。

  *

「ああ、くそっ、気に入ってたのに」
服に空いた大穴を広げながら、ディーンは独りごちた。顔に飛び散った返り血を袖で乱暴に拭い、進路を阻む砂利を蹴飛ばす。その後ろをサムが同じように血を払いながら着いてきていた。
狩りの舞台となった血なまぐさい廃墟を背に愛車へと向かう。手馴れた兄弟が、さして苦労することなく仕事を終えたところだった。静かに歩きながらサムが自分の体を確認して微かに首を傾げたが、前を向いたままのディーンは気付かず、早く帰るぞと背後に向かって声をかけたその時、突然鈍い音がした。
「う、わっ」
ディーンが身構えるのと同時にサムの上擦った声と、随分と低い位置から地面を擦る音が聞こえる。
慌ててディーンが振り返ると、サムがうつ伏せの状態で地面に大の字で転がっていた。
「サム!」
一瞬にして血の気を失ったディーンがサムに駆け寄る。簡単なグール狩りだと思っていたが、何かしくじっただろうか。嫌な予感に心臓が激しく脈打っていた。
「サム、サミー!」
「ディーン……」
呼び掛けに応えたことに胸を撫で下ろしていると、サムはうつ伏せのまま顔をわずかに上げてなんとか目線でディーンを捉えた。そして、その体勢のままこう告げた。
「動けない……」
無理に上げられた首が締まっているのか、サムの声は細く掠れている。その言葉が何を指しているのか、ディーンは必死になって考えた。原因を探ろうとサムの体を無理矢理ひっくり返して脈や呼吸を確認したが、そこに異常は見られなかった。
動揺しているディーンを見上げるサムの顔に苦痛は浮かんでおらず、サム自身も困惑して目線をうろうろとさ迷わせている。
「痛みは?」
「ないよ。呼吸も問題ない。ただ手足が上手く動かない……麻痺してるみたいだ」
「そうか」
「首は動くんだけど……」
そう言って起き上がろうとしているらしいが、サムの首にくっきりと筋が浮かぶばかりだ。一瞬なら腕で上半身は支えられたが、すぐに崩れ落ちてしまう。足に至ってはビクともしていない。その様子を見て、一先ず弟が突然死ぬという状況ではないらしいと理解したディーンは、ほっと胸を撫で下ろした。
そして次に、安全が確認できたなら原因と解決方法を調べなければ、と考え、首から上だけで踏ん張っている弟を見て、さっきとは違う意味で血の気が引いていくのを感じていた。
「おい、マジかよ……」
「兄貴?」
踏ん張るのをやめて地面に転がっているサムが、ディーンの顔を覗き込むような形で見上げている。独り言を言い始めた兄を不思議そうに見上げる姿を見て、ディーンは深くため息を吐いた。そして、睨むように弟を見下ろしてこう宣言した。
「ちょっとくらい痛くても、文句言うんじゃねぇぞ」
「はぁ?」
不審に思っているのを隠そうともせず、不躾な返答を寄越した弟をじっとりと睨んで、愛車までの距離を思い出して再びため息を吐く。サムの上半身を持ち上げて脇の下に自分の腕を刺し込み、両足に力を込めて、後ろ向きにサムを引きずって歩き出した。
ディーンが何をしようとしているのか理解したサムは、申し訳なさそうに眉を下げている。少しでも軽くならないかと体に力を入れてみたが、大して効果はなかった。
「くそ!無駄にでかくなりやがって……!」
「……しょうがないだろ」
引け目を感じているせいか、悪態をつくディーンに対する反論はどこか弱々しい。
ディーンは残っている体力の全てを注ぎ込んで、少しずつ前に進んでいた。生きていると言っても、力が入らない人間など死体を運んでいるのとそう変わらない。サムの靴もジーンズもダメにしてしまうかもしれないが、それどころではないのだ。少しの距離を進んだだけで、玉のような汗が滲んでくる。自分よりも大きく育った弟をこんなにも恨めしく思ったことはないだろう。
サムも踵や脇に痛みを感じていたが、ディーンの苦労を思うと何か言おうなどとは思えなかった。頭上に兄の荒い呼吸を感じ、時折肩に落ちてきた汗が服にシミを作る。ふらつく瞬間もあったが、それでも決して手を離そうとはしないディーンに、サムの胸の中はじわりと熱くなった。
そうやって、途中で立ち止まったりしながらも、気合で前に進んでいく。
廃墟が車が近付けない場所にあったことを苦々しく思いながら、車道まで近付いてきたことに二人は安堵した。こんなところを人に見つかったら通報されてたな、とディーンは呟き、夜の闇に紛れていることに少しだけ感謝し、再び気を引き締める。
暗がりの中に黒い車体が見えたところで、車の影から立ち上がった人物が近付いてきた。
「あんたたち、大丈夫か?」
弱々しく声をかけられて咄嗟に身構えたが、近寄ってきたのがさっき助けた人間だったことを確認して、ディーンは警戒を解いた。そういえば車まで走るように言っておいたな、と思い出し、男に向かって顎で近くまで来るように指し示す。
「おい、あんた、手伝ってくれ」
「え?」
「いいから。こいつ動けねぇんだよ」
サムの状態を見た男はすぐに納得して頷いた。ディーンがコツを教え、謝るサムを二人がかりで運ぶ。ディーン一人のときよりもずっとスムーズに車まで辿り着き、不格好ながらも助手席に乗せてようやく一息つくことができた。
しばらく呼吸を整えてからディーンが運転席に、男が後部座席に乗って車は出発した。サムが大きく動かないように体を固定してはいるが、それでも普段よりずっと丁寧にディーンは運転している。
「あの、あれはなんだったんだ?」
「ああいう化け物だよ。人を襲って食う」
インパラが走り出してしばらくした後、男が気まずそうにした質問に対し、ディーンはそれだけ答えて沈黙した。サムが深追いしないようにと忠告し、それが終わってしまうと車内に再び沈黙が訪れる。ディーンもサムも、この状況をどう打破するかをずっと考えていた。
男はそんな兄弟の後頭部を交互に眺め、少し考え込んだかと思うと、緊張でつっかえながら声をかけた。
「な、なあ……あの、助手席の、あんたもあいつにやられたのか?」
「多分ね」
「やっぱりか……俺も同じだったからさっき見てわかったよ。きついよな。あんた達が助けてくれなかったらきっと、次は俺が」
「おい、待った」
「え?」
「今なんて言った?」
「え?えっと」
「同じって言ったよな」
話を遮られたばかりか、突然ディーンに矢継ぎ早に問い詰められた男は、困惑しながら自分の言葉を思い返していた。そのわずかな時間にさえディーンの苛立ちが募っていく。それを感じ取ったサムがディーンの言葉を繋いだ。
「ほら、さっき、僕を見たときに”同じだからわかった”って言っただろ?」
「あ、ああ」
「君もこうなってたのか?」
「ああ、そうだよ」
ようやく質問の意図を理解した男は、二人に説明し始めた。
敵になんらかの薬を盛られ、動けない状態で掴まっていたこと。拘束されている間も食事や水分を与えられており、体が自由に動かないこと以外は正常な状態だったこと。後から連れてこられた男がいたが、自分より先に薬の効果が切れて動けるようになり、食われてしまったこと。
「あいつら、きっと動けるようになったやつから順番に食ってたんだ……」
最後に両手をきつく握り締めた男は、震える声でそう告げた。
自由に動けるまでに回復していた男が食われるまで猶予はなかっただろうことは容易に想像できた。俯いてしまった男の様子を鏡越しに確認して、先程より幾分柔らかな口調でディーンが続けて問う。
「……で、今はなんともないのか?」
「ああ。走ったり、彼を運んだりしたが、変な感じはしない」
その返答を聞いてそっと息を吐き出したのはサムだった。得体の知れない薬なら、入手しにくい薬草や道具を手に入れなければならないかもしれないと考えていたが、どうやらその必要はないらしい。男の話によると、効果が消えるまで三日から一週間ほどとムラがあるようだが、おとなしくしているだけで済むなら安いものだろう。
小まめに話しかけて男を落ち着かせることに尽力した後、街の中心まで送り届けて二人は帰路についた。夜が明ける頃にバンカーに辿り着き、再びサムの重量と格闘することになったディーンは、ここが人に見付からない場所であることに感謝した。
数時間ぶりに引きずられながら、サムはただただディーンに頭が下がる思いだった。一番大変だったのが階段だ。普段の何倍も時間がかかり、降り切ったときには二人ともぐったりと疲れ果てて、しばらく床に転がっていた。
今日はこのままここで寝てしまおうかとサムは思ったが、起き上がったディーンがふらつきながらもサムの部屋まで連れていき、最後は放り投げるようにベッドに寝かせられた。
「悪いが、今日はシャワーは諦めろ。明日なんとかしてやる」
そう告げて、救急箱を持ってきて傷の手当てをしていたディーンが、小さな声で「これだな」と呟いた。
なんのことかわからずサムは首を傾げる。自分で確かめることが出来ないサムに対し、足にある傷口をなぞりながらディーンが応えた。
「ここ、他と違う傷がついてる。ここに毒を仕込まれたんだろ」
「ああ、だからか……」
「何がだ?」
「……力もそうだけど、感覚も足の方が腕より鈍い、気がする」
いささか気まずそうに吐き出されたサムの言葉に、ディーンのこめかみがピクリと動いた。眉間にきつく皺が寄せられる。じとりと睨み付けられたサムは、困ったようにそっと目線を逸らした。
「お前なぁ、そういうことは早く言えよ」
「……ごめん」
ただでさえ低い声が余計に低くなり、ディーンの機嫌が急降下するのがサムにはわかった。目線を兄に戻し、その厳しい視線を受け止めることしか出来ずにいると、睨んでいても仕方ないと諦めたディーンがため息を吐く。そして治療を粗方終えて立ち上がった。
「いいか?おとなしくしてろよ」
動けないだろうけどな、としっかり釘を刺すこともことも忘れず、サムが頷いたのに頷き返してディーンは部屋を後にした。

暗くなった部屋でサムは兄のことを考えた。自分が動けないということは、道具の手入れや後片付けも全て兄に任せることになってしまう。それに加えて平均よりも大きな弟の世話だ。元に戻るまでは狩りも休まなければならないだろう。
兄の行動を随分制限してしまうな、と思うと、サムの心はぐっと沈んでいこうとする。だが今はそれを考えたくなくて、疲労感に誘われるように目を閉じた。

  *

目を覚ましたサムが最初に感じたのは微かな痛みだった。関節や背面が鈍く痛む。そんなに痛めただろうかと疑問に思いながら起き上がろうとして、そこでようやく昨夜のことを思い出した。
体が痛むのは、寝ている間に一切動けなかったからだ。これが長引くと床ずれになるんだな、などと冷静に考えてから、そういえば兄はどうしただろうかと思い至った。
「ディーン?」
昨日、兄が開けっ放しにしていったドアの隙間に向かって叫んでみたが、返事は返ってこない。静かな部屋にやけに自分の声が響いた気がして、サムは急に不安になった。
物音がしないということは、インパラの整備をしに行っているか、シャワーでも浴びているか、とにかく何か用を済ませているのだと頭ではわかっている。わかっているのに、体が動かないというだけで、一人取り残されたような不安感がどうしても拭えなかった。
「……っディーン!」
勝手に速くなる鼓動を抑え付けるように大きく息を吸い込んで、さっきよりも大きな声で姿の見えない兄を呼んだ。きっとすぐに声は聞こえないと思いながら、耳を澄ませて返事を待つ。
すると、さっきは聞こえなかったゴツゴツという足音が徐々に近付いてくるのがわかった。その音が段々と大きくなり、部屋の真横まで来たところでドアが開いてディーンが顔を覗かせた。サムが寝ている間にシャワーは済ませたのだろう。泥や血の痕跡が無くなり、小ざっぱりしている。
「サム、起きたのか」
「ついさっきね」
「体調は?」
「昨日と変わらないよ」
本来なら身振りも交えているところだが、まともに肩をすくめることもできず鈍く頭を揺らしただけになり、サムは苦笑を浮かべるしかなかった。
その顔を見てディーンはニヤリと口角を上げる。
「そんなサミーちゃんにお土産だ」
「土産?」
「ほら、これだよ」
一度部屋の外に引っ込んだディーンが今度は先程よりゆっくりと室内に入ってくる。その手は車椅子を押していた。車輪がキィ、と微かに音を立てる。目を丸くして運ばれてきたものを見ていたサムに向かって、ディーンは車椅子の背をぽん、と叩いてみせた。
「しばらくは必要だろ?」
「ああ、そうだけど……驚いたよ。こんなに早く持ってくると思わなかった」
「お前が寝てる間に調達してきたんだよ。俺の身体が持たん」
わざとらしく笑ってみせたディーンに、サムが曖昧な笑顔で応える。冗談にしてはいるが、紛れもない真実だろう。
「ほら、移動するぞ」
「頼むよ」
車椅子をベッドの脇に準備して、ディーンは寝転がっているサムを少しずつ動かした。足をずらし、上半身を起こして、なんとか車椅子に座らせる。慣れない動作に時間はかかったが、乗ってしまえばサムもディーンも随分と快適に感じて自然と笑みを浮かべていた。
サムの体が安定したことを確認して、ディーンが車椅子を押してゆっくりと歩き出す。
「まずはトイレと風呂だな。ああ、水分補給もか」
「……」
乗っている車椅子がバスルームに向かっていることに気付いて、サムは湧き上がってくる羞恥心をやり過ごそうと視線を下にずらして黙り込んだ。
ディーンが言っていることは何も間違っていない。昨日の狩りで流した汗や返り血を落とせていないし、喉だって乾いている。尿意だって、口にはしていないが我慢していた。しかし、それとこれとは話が別だ。サムは大きくため息を吐いた。
「なんだよ。でっかいため息吐いて」
「ため息も吐きたくなるよ……。仕方ないってわかってるけど、抵抗を感じるなって方が無理だ」
「諦めろ。ガキの頃にお前のトイレトレーニングに付き合ってたのは俺だ。今更だろ」
「何年前の話をしてるんだよ」
「それに、もっとすごい場所も散々見てる」
「……それとこれとは関係ない」
睨み付けようとした結果、ただ見上げるだけになってしまい、サムは二度目のため息を吐いた。兄が自分ほど嫌がっていない様子なのが、更にサムを困惑させている。
当のディーンはというと、今後の苦労や体力的な心配はあったが、普段見られない弟の姿を少しだけ楽しんでもいた。
幼いサムが漏らしてしまったときも、体調を崩して嘔吐したときも、対処してきたのはディーンなのだから、本当に今更だ。それでも、嫌がるサムに配慮してトイレはできるだけ見えないようにしたし、シャワーも手早く済ませてやった。
清潔な服を着せて髪を乾かし、ようやく落ち着いたと思えたところで食事を取らせる。買ってきておいた軽食を手に取ってサムの口に運び、コップに入れた水を飲ませる。ストローを銜えて水を吸い上げているサムを見ていたディーンは、堪えきれずに小さく笑い出してしまった。
サムはまたからかわれているのかと眉を寄せてストローから口を離した。
「兄貴、笑いすぎだ」
「いや悪い。お前が離乳食を食ってた頃を思い出してさ」
ほら、と行き場をなくして揺れるストローを再び差し出し、サムが怪訝そうに銜えるのを見ていたディーンは、記憶を掘り起こして静かに目を細めた。
「あれが嫌だ、これが嫌だってテーブルの上をぐっちゃぐちゃにして、結局ジュースばっかり飲んでた」
「よく覚えてるな、そんなこと」
「あの頃からお前は親父泣かせだったよ」
声を押し殺して笑うディーンを見て、サムはバツが悪そうに口を噤んだ。大人になってから兄に対して子供のような仕草をするのは、どうにも気恥ずかしい。それに、自分が持ち合わせていない記憶に関して、これ以上どうこう言うことができなかった。

一方ディーンには、幼い弟に苦労した記憶がしっかりと焼き付いている。
食材で遊び、周囲を汚し尽くしたサムに頭を抱えながら片付けるのはいつも父で、むくれた弟にジュースを与えるのはディーンの役目だった。小さな口から食材の欠片を飛ばす弟にコップを差し出すと、おとなしくそれを飲み出すのだ。さっきまで暴れていたのが嘘のように。
サム自身はどう思っていたか知らないが、その行動は無防備に甘えられているようで、幼いディーンに充足をもたらした。弟が自分を選んだかのような、小さな優越感。弟の安寧には自分が必要なのだという使命感。
当時は自分の中を満たしていくものがなんなのかわからなかったが、今になって自覚するとむず痒いような気持ちになり、ディーンは思い返すのをやめて静かに苦笑を浮かべた。
「どうかした?」
「なんでもねぇよ。いいから食っちまえ」
兄の変化に首を傾げたサムには答えず、ディーンは食事の続きを差し出す。
ここで粘ってもいいことはないだろうと判断しておとなしく食事を続ける弟を、今度は黙ったままディーンは眺めていた。

看護生活が始まって三日が過ぎた。
兄弟の生活は順調と言っていいだろう。大きな事件に巻き込まれることもなく、車椅子の扱いにも慣れ始めたディーンが甲斐甲斐しく世話をしている。
サムは兄に全ての世話されるという状況に慣れることはなかったが、それでも最初よりは苦痛に感じることは減った。それに加えて、立ったり、物を掴んだりすることはできなくても、少しずつ手足を動かせる範囲が広がってきているのを実感している。
不自由な日が続けばお互いに苛立ちが募るのではないかと危惧していたが、ディーンは機嫌がいいくらいだった。何かにつけて子供の頃の話でサムをからかったが、この生活におけるディーンの苦労を考えると「それくらいはいいか」と思い、サムは兄の好きにさせている。時々ディーンの子供の頃の話で応戦してしまい、小さな喧嘩に発展することもあったが、一人で行動できない弟をディーンが放っておく訳もなく、すぐに何もなかったように元に戻れた。
つまり、少し奇妙な日常生活を送っていたのだ。

しかしこの日、サムは朝から困っていた。
少しずつ動けるようになってきているとはいえ、まだ自分の体を支えたり、寝返りを打ったりはできないという状況で、下半身が反応していた。生理現象とはいえ、兄にこの寝起きの姿を見られるのは抵抗がある。
サムとディーンが性的な関係を持つようになってしばらく経つが、行為の最中に見られるのと、今この状況で見られるのとではどうにも勝手が違う。しかし身動きが取れない今、サム自身の力ではどうにもならず、兄が来ないことを願いながらただ黙って目を閉じた。
兄弟でベッドを共にするようになってから欲求不満を感じることはそうないが、狩りの間は別だ。調査期間も含め、危険だと判断した期間はセックスはしないようにしている。今回の事件もそうだった。
ようやく狩りが終わったと思ったら続けざまにサムの看護だ。セックスどころではない。しかし、動けないというだけでその他の生体機能には問題ないのだから、溜まるものは溜まる。
最後にそういうことをしたのはいつだったかと思い出して、サムはため息を吐いた。せめて自分で処理できれば気が楽なのにと考えて、どうにもならないのだから仕方ないと諦める。
このまま早く薬の効果が消えるように願って、迎えに来るディーンを待った。

目が覚めてしばらく経ってからディーンが部屋にやって来た頃には生理現象も落ち着いていたため、サムはいつもと変わらない顔で兄を迎えることができた。
ここ数日の決まり事のようにサムの体調を確認したディーンは、車椅子にサムを乗せてバンカーを移動する。
バスルームに向かい、身なりを整えて、食事を摂らせた。
毎日世話をしていることで弟の回復度合いを実感できているディーンは、車椅子から浮いたサムの腕を見て頷いた。腕を動かそうとしていたサムの体から力が抜けて、ぷるぷると震えていた腕がサムの膝の上に落ちる。その腕を元の位置に戻し、お手製のスープを食べさせて食事を終えると、自身の休憩も兼ねて一緒にテレビを眺める。
番組を一つ見終わり、サムの腹も落ち着いた頃を見計らって、日課をこなす為に車椅子を押してサムの部屋に向かった。
呼吸を合わせて車椅子からベッドへと移動させて、横になった弟の腕に手を伸ばす。
サムが動けなくなってから、ディーンは毎日決まった時間にサムの体を動かしていた。少し使わないだけで筋肉はどんどん衰えていく。薬の効果が消えたときに早く元通りに動けるようにというディーンの配慮だ。
指先や肘、肩を動かし、時間をかけてストレッチをしていく。
何か話していることもあれば無言で手を動かしていることもあったが、どちらにしろディーンの表情は真剣だった。
筋を傷めないように時間をかけて体を動かすディーンを見上げながら、早ければもう回復してもいい頃なのに、と考えてしまい、サムは小さく息を漏らした。
そもそも薬の効果が表れるのも遅かったのだから、使われた薬とサムの相性が悪かったのだろう。二人ともそれはわかっていたから、あえて口には出さなかった。
いつ完全に元に戻れるかわからない状態に沈みそうになる意識を無理矢理振り切ろうと、サムは黙って作業を続けている兄の顔を窺った。
筋肉がついた重たい体を動かしているディーンの額にはじんわりと汗が滲んでいる。流れる程ではないが、うっすらと浮かんだ水滴が明かりの中で煌めいた気がした。
熱心に足先を動かすその光景に既視感を覚えたサムは、考えるまでもなくそれが何か思い至り、慌てて小さく唇を噛んだ。
ぞくりと背筋を微かな電流が駆け上がり、途端に速くなる鼓動にディーンが気付かないようにと願う。
サムの顔を見ていないディーンは、変わらない表情でサムの足首を動かし、ふくらはぎと太腿を支えてゆっくりと脚を折り曲げて、そこでピタリと動きを止めた。
「……ディーン?」
流れるような作業が止まったことを不思議に思ったサムが声をかけると、ディーンは伏せていた視線を上げてサムの顔へと向けた。にやりと口角が上がり、無表情だったはずのディーンの顔にいやらしい笑みが浮かぶ。
「なんだよ。溜まってたんなら言えよ、サミーちゃん」
その言葉が何を示しているか理解したサムが慌てて下腹部に目を向けると、確かにそこはわずかに膨らみ始めていた。兄のからかいに顔をしかめたサムは視線だけでディーンを睨み上げる。
「生理現象だ。仕方ないだろ」
「別に悪いなんて言ってねぇよ」
正論にぐ、と言葉を詰まらせて口を噤む。これ以上何を言っても墓穴を掘るだけだと判断し、サムは顔を背けて黙り込んだ。
サムがだんまりを決め込んでいる間もディーンはマッサージを続けていく。サムはできるだけ意識しないように天井に顔を向けていたが、熱を持った手のひらが自分の身体を支えているのを感じてしまい、試みは上手くいっていなかった。
数週間前に直接触れ合っていた手が太腿を、ふくらはぎを這っていく。ゆっくりと脚を下ろして今度は逆の脚を持ち上げた。肩で支えながら持ち上げて筋を伸ばし、露わになった臀部をディーンの指先が掠めたとき、サムの足先がぴくりと跳ねた。
いつものマッサージではない触れ方にサムは動揺した。わざとやっただろう、と追及できないくらいのギリギリの加減で、ディーンの手が布の上を滑る。セックスを思い起こさせるその触れ方に、ゆっくりと体温が上がっていくのが自分でもわかってしまい、サムは小さく唇を噛んだ。
脚を下ろして指先で筋肉を解しながら、ディーンは脚の付け根をそっと押した。
「痛くないか?」
「……平気だよ」
サムはなんとか平然を装って答えながら、動けたらさっさと押し退けてしまえるのに、と考えて、そもそも動けていたらこんな状況にはなっていないのだと改めて気が付き、こぼれてしまいそうな息を飲み込んだ。
そうこうしている間にもディーンの手はより際どい位置に進んでいた。股関節の少し内側を押される度に、サムの指先に僅かに力が入る。兄はサムが堪えていることをわかっていてやっているのだと理解していたが、そこに言及することができなかった。
しばらくはそうやってお互いに口を開かずにいたが、先に堪えられなくなったのはディーンだった。太腿を撫でていた手が止まり、押し殺しきれなった笑いが唇の隙間から漏れる。それに気付いたサムはむっとして、きつく眉を寄せた。
「……ディーン」
睨むように厳しい視線を送ってくるサムを見下ろしながら、ディーンはもう笑いを隠そうとしなかった。堪えきれなかった笑みを浮かべたまま、その声に込められた意味を汲み取って目を細める。
「わかってるくせに。素直じゃねぇなぁ」
そう言ってディーンは、それまで触れるのを避けていた場所に手を伸ばした。突然中心を触られて、サムは慌てて首を持ち上げる。
「……っ、おい、兄貴」
「なんだよ。マッサージだろ?マッサージ」
そう言いながらディーンは手を止めようとしなかった。やわやわと布の上から性器を揉まれ続けて、段々とサムの息は浅く短くなり、肌が赤く染まっていく。せめて声を上げないようにと顔に力を入れている姿を見て、ディーンはゆっくりと唾液を飲み込んだ。
そのまま下着ごとスウェットを引き下げ、しっかりと布を押し上げていた陰茎を直接触ると、サムの体が小さく跳ねる。
「ディーン、待っ……!」
「なんでだよ?このままじゃリトルサミーがかわいそうだろ?」
「その言い方やめろ……ッぁ」
やめろという言葉とは裏腹に、待ち望んでいた刺激にサムの身体は素直に反応した。手のひらで包み込んで擦り上げているだけで先端から透明な液が溢れ始める。それを指に絡めて、ぬちぬちと音を立てて手を動かし続けると、まともに動かないサムの足先に力が入りぷるぷると震え出す。
ディーンは自分の体温が上がっていくのを感じながら、サムのTシャツを捲り上げて僅かに突き出された胸に手を伸ばした。腹筋を撫で、辿り着いた突起を緩く押し潰す。
予想していなかった刺激に驚いたサムの目がしっかりと開かれる。瞳にはうっすらと涙の膜が張っていた。
どこか不安そうに揺れる瞳に気付いたディーンが震える腹筋に口付ける。
「悪いがシャツはこのままな」
そう言いながらディーンの手は止まる気配がない。腹部に熱い吐息がかかり、それにつられるようにサムも熱の籠った息を吐き出した。全身を支えるほどの力はなくても、敏感な箇所を触られれば身体は勝手に動いてしまう。
ディーンに的確に性感帯を刺激されて、サムは大きく身体を震わせた。
「ぁ……、ディーン、でる……っ」
「ああ、イけよ」
久しぶりだったということもあり、性器を擦りながら敏感な場所を触られてサムはあっという間に達してしまった。白くねばついた液体が半端に引っ掛かっているシャツを汚す。
「動けなくても上手にイけたな、サミー」
そう言ってディーンは呼吸を整えているサムの口の端にキスを落とした。
ディーンの子供をあやすような仕草と、それに相反する状況にサムの顔が赤く染まる。目を逸らした先でジーンズを押し上げているディーン自身が視界に入り、サムは小さく喉を鳴らした。覆い被さっているディーンの身体は熱い。ディーンも興奮しているのだとわかると、再びじわじわと体温が上がり始める。
髪を撫でていたディーンの手が離れていくと、感じていた重みも温もりも離れてしまう気がしてサムは慌てて声をかけた。羞恥心も相俟って微かに声が上擦る。
「ディーンはそれ、どうするんだよ……」
サムが言った”それ”が何を指しているのか理解したディーンは、軽く肩を竦めてみせた。
「俺はどうとでもなる。襲い掛かったりしないから安心しろよ」
「そうじゃ、なくて」
「あ?」
何を言われているのか理解できずにディーンが顔をしかめる。サムは破裂しそうな心臓を抱えて息を吸い込み、意を決してそれを吐き出した。
「……っ、こんなの、本当に介護みたいじゃないか」
「俺は別にそんな……」
「わかってるけど、そうじゃなくて……こんな状態じゃ面倒かもしれないけど、僕だけなんて、嫌だ」
声を発しながらもサムの顔はどんどん赤みを帯びていく。先程の名残で潤んだ瞳を真っ直ぐに向けられて、ディーンは自分の顔も熱くなっていくのを感じていた。
離れかけていた手でサムの頬を包み、荒々しく唇を重ねる。
「お前からのお誘いが面倒なわけねぇだろ」
「ディーン、っ……んぅ」
舌を絡ませ口内を舐め上げると、サムの頬を唾液が伝った。それに構わず舌を吸い上げ、二人の身体に挟まれたサム自身が再び頭をもたげ始めたところでディーンはサムを解放した。
唾液で濡れた唇を舐めて、愉快そうに笑う。
「身体は動かなくてもリトルサミーは元気そうだな」
「だからっ、その言い方やめろって」
「はいはい。おっかねぇな、大きい方のサミーは」
ディーンは軽口を叩きながら、慣れた手つきでサムの脚や腰を支えてスウェットと下着を脱がせていく。されるがままになっているサムは仕方なく口を噤んだ。
鼻歌でも歌いそうな様子だったが、ディーンの手は間違いなく熱を帯びており、それに呼応するようにサムの身体も反応していく。
ベッドサイドからローションを取り出して自分の手のひらにぶちまけたディーンは、震えるサムの陰茎を優しく撫で上げ、サムの意識がそこに向いている隙に後孔をつついた。ぬるくなったローションを塗り込むと、指先に吸い付くように入り口がひくつく。その度に漏れる甘さを含んだ声を聞き、堪らずディーンはサムの太腿を支えながらゆっくりと指を挿入した。
「……っ、ぅあ、あっ」
「大丈夫だ。ゆっくりやるからな」
少しずつ奥へと指を進めて、サムが快感を拾えるように内部を刺激していく。
体内を探られながら、サムは与えられている奇妙な感覚に困惑していた。全身が正常な感覚ではない状況で柔らかな粘膜を刺激されて、普段よりも感覚が鈍っているのか、鋭敏になっているのか、サム自身もよくわからなかった。
自分の身体の中を蠢くディーンの指を粘膜が勝手に締め付ける。それなのに、ディーンの手が触れている太腿や、シーツに擦れる足先の感覚はどこか遠く感じられて、どこに照準を合わせればいいのかわからない。そして、それをどう説明すればいいのかもわからず、サムはただ悶えることしかできなかった。
そんなことは知らずにディーンは前立腺を狙って刺激を続けている。掴んでいる太腿がしっとりと汗ばんでいき、一本分の出し入れが容易になったところで指を増やした。窄まりの皺を伸ばし、ローションを馴染ませるように中を広げていく。
「っ、ディーン、もういい……」
サムが指で与えられる感覚に耐えきれず声を上げたのは、ディーンが指に絡みつく粘膜の感触に目を細めたときだった。
サムの訴えを聞いてディーンはもうすこし解した方がいいかもしれないと思ったが、それ以上に繋がりたいという欲求に勝てなかった。頷いて指を引き抜き、乱暴に服を脱ぎ捨てる。放ってあったスキンを硬く張り詰めた自身につけて、サムの脚を抱え直した。荒くなる呼吸を整えて、ディーンはゆっくりと自身をサムの中へと埋めていく。
「あっ、ぁ……、んんッ」
「はぁ……っ熱いな」
最後まで挿入し終わり、サムが落ち着くのを待ってディーンはゆるゆると腰を動かし始めた。
腰を押し付けるように体内を抉られて、サムの身体が微かに揺れる。少しずつ抽挿が速くなり、強い快感が全身を駆け抜けるようになってもサムは仰向けのまま喘ぐことしかできなかった。普段ならシーツを引っ掻き、枕を握り締めて、溢れてしまいそうになる快感を逃がすことができたが、今はそれも敵わない。理性を焼き切るような強い快楽が行き場を求めて渦巻いていた。
他が鈍くなってしまった分、触られている箇所の感覚が強烈で、サムは泣きそうになりながら声をあげた。
「ディー、っディーン……!」
腰を動かしながら抱えた脚に唇を這わせていたディーンは、思いもよらない声音で呼ばれ、不思議に思いながら顔を上げた。その視線の先に見つけた、きゅっと眉を寄せた泣きそうなその表情に幼い弟の姿を思い出し、不意に心臓が跳ねた。
凶暴さを孕んだ衝動で唇に噛み付き、食らい尽くすように舌を挿し込み、吸い上げる。その間もサムはディーンの名を呼んでいた。
強く抱き寄せることも、縋り付くこともできない代わりに、全ての熱を込めてサムは繰り返しディーンを呼ぶ。そして、呼ばれる度にディーンの瞳に宿る欲も色濃くなっていった。
「ぁ、あッ、ディー、っでぃー……」
「ああ、ここにいる」
「ん、ぁ……あっ、いい、でぃー……ッ」
「……っ、なあ、もっと呼べよ、サミー」
吐息がかかる距離のままそう囁かれて、サムはこくこくと頷き、ディーン、ディーとその名前を口にし続ける。
その度にどうしようもなく満たされて、ディーンは自分の腕の中には収まりきらなくなった弟の身体をきつく抱き締め、口付けを繰り返して目を閉じる。

いつだってディーンをこの世界に留めてくれたのはこの声だった。舌たらずな発音で「ディー」と呼ぶ甘えた声。
モーテルで二人きりの夜。他人の家に預けられた日。行き場のない小さな手に縋られ、無条件に信頼しきった声で名前を呼ばれると、ようやく自分の居場所を見つけた気がした。ここにいていいのだと。
年齢を重ねていくとそんな機会は減っていったが、困ったときに気まずそうに見上げてくる瞳を見れば、全て受け入れられる気がしていた。

記憶に後押しされるようにキスを繰り返していたディーンは、呼吸が苦しくなってきた頃にようやく唇を離した。涙で潤んで蕩けたサムの瞳を見下ろして小さく笑みを浮かべて、再びサムを抱き締める。サムが抱き着けない分を埋めるようにぎゅっと。
密着したことでディーン自身の先端で奥を突かれ、腹筋に挟まれて陰茎を擦られたサムは身体を震わせた。僅かに力の入る指先でシーツを引っ掻き、耐えきれず高い声をあげる。
「でぃー、っあ、ア……っも、いく……ッ」
「っ、は、俺もやばい」
ディーンは一旦身体を起こし、サムの腰を支え直して激しく中を穿つ。反応がいいところだけを狙って突き上げると、支えた身体が一際大きく跳ねてサムは吐精した。それに合わせてうねる粘膜に強く締め付けられ、ディーンもスキンの中に欲を吐き出す。
二人揃って汗だくになっている姿を見て、兄弟は小さく笑い合った。そのまま抜き去ろうとしたところで、引き止めるように粘膜に吸い付かれたディーンの陰茎は硬さを保っている。一先ず脚をきちんと下ろしてやってからスキンを外し、仰向けになっているサムの隣にディーンは寝転んだ。
呼吸を整えている最中だというのに、硬くなった性器を腰に押し当てられて、サムは目を丸くした。
「あー……体勢は変えるからさ」
そう言われたサムは小さくため息を吐く。へらりと笑って見せた兄を一度睨み、それから諦めたように小さく笑い、身体を精一杯動かしてキスをした。

  *

狩りの日から十日が経ち、サムは一人で動き回れるようになっていた。感覚もほとんど元通りになっており、狩りに復帰できる日も近いだろう。
ディーンはというと「こいつには世話になったな」などと言って、少しばかり寂しそうに車椅子を倉庫にしまい込んでいた。
少しでもふらつこうものなら、世話焼きの兄がいそいそと近付いてくるのだから、サムは気が抜けない。その度に追い払うのだって疲れるのだ。
ディーンから受け取ったビール瓶をテーブルに置いて、ラップトップで最近のニュースを確認していると、同じ銘柄のビールを煽りながらディーンが隣に並んだ。
「どうだ?」
「怪しい事件は何件か……でもどうかな。調べてみないことにはなんとも」
サムが狩りの前と同じようにラップトップを操作しているのを見て、ディーンは口角を上げた。そして、サムの肩に手をかけてこう言った。
「まあ、あれだな。たまにはああいうのも悪くなかった」
「何が?」
「お嬢さんのお世話係」
「僕はもうご免だよ。四六時中、兄貴の世話になるなんて」
そう言ってサムは事も無げにディーンの手を払いのけた。頬杖をついてラップトップに集中し始めたサムにぶちぶちと文句を言いながら、ディーンはキッチンの方へ消えていく。その背後でサムは、自らの手で隠すように小さく笑みを浮かべていた。

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