熱情 *

何にでも終わりの瞬間はやってくる。俺たちにとっては今日だ。
全員の撮影が終わってあとは完成を待つばかりとなり、打ち上げパーティーが行われた。
誰もが疲れていながらも達成感に満ち溢れていた。広い店内で味わうアルコールと料理、大勢の賑やかな声と笑顔。自分もその中に紛れて話している最中、時々トムと視線がぶつかる。
笑みを浮かべて見せると、トムも同じように返した。誰にも気付かれなくても、お互いだけがその意味を知っている。
撮影が終わる。俺たちの今まで築いてきた関係も終わる。身体を重ねたら、どんなに取り繕ってもこれまでと完全に同じとはいかないだろう。
それでも、そこに踏み出そうとしている。それが愚かな振る舞いだとわかっていても。
後のことを考えていると、アルコールに強い方ではないはずなのに、いつものようには酔えなかった。
ただ、視界の端に捉えたトムのほんのりと赤くなった肌が、やけに脳裏に焼き付いていた。

楽しい時間はあっという間に過ぎて、別れの時間がやってくる。
それぞれがゆっくりと挨拶を交わしていく中で、俺とトムも表向きの別れを惜しんでいた。
お互いを讃えてから「それじゃあ、またな」と声をかけても誰も怪しんだりしない。俺たちにとっての〝また〟はほんの一時間後を意味しているのだが、それは二人だけの秘密だ。
時折からかわれ、別れを惜しみながら一人、また一人と姿を消していく。

そして訪れた約束の時間。俺は自分の部屋の天井を眺めていた。
シャワーを済ませて一人で椅子に座り、セックスをするために片思いの相手を待っている。それは、なんとも形容しがたい妙な気分だった。
緊張を紛らわせるために調べておいた男同士の行為について思い出して、ああ、でもトムの方が詳しいのかと考えてしまい、どす黒いものに内蔵を掴まれる。それなのに、トムの白い首筋を思い出して期待せずにはいられない。そんなことの繰り返しだった。
そうして何度目になるかわからない熱い息を吐き出したその時、ドアから小さく音が聞こえた。
ノックが二回。それきり止まってしまった音に反応して心臓が跳ねる。
慌てて立ち上がり、大きく深呼吸して歩き出した。
ドアノブに手をかけて力を込める。丁寧に開けたドアの向こうには、約束の人が立っていた。
「いらっしゃい。入って」
「お邪魔します」
第一声は、間違いなく友人同士のそれだった。お互いにそうなるよう意識していたんだと思う。
俺は余裕がないなんて見抜かれないように注意しながら声をかけた。
「何か飲む?って言っても大したものはないけど」
「いや、大丈夫。ありがとう」
「じゃあ……シャワーでも浴びる?」
そう尋ねると、部屋の中を見回していたトムの動きが止まった。
一度俺の顔を見てから、僅かに視線が落ちる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「それも、大丈夫。その……準備、してきたから」
気恥ずかしさを隠しきれずに、途切れ途切れの言葉がこぼれ落ちる。その意味を理解した瞬間、口の中に唾液が溢れて、思わず音を立てて飲み込んだ。
トムの伏せられた目蓋が小さく震え、頬はほんのりと染まって見える。
考えるよりも先に、吸い込まれるように手が伸びていた。
近付いて、指の背でそっと頬骨の上をなぞると、俺の手を辿るようにトムの瞳が開く。見上げてくる瞳は少しだけ揺れていた。
「久しぶりにトムの瞳を見た気がする」
「え?」
「ロキの瞳はグリーンだっただろ?」
囁きながら目尻をそっと撫でると、トムはくすぐったそうに目を細めた。そして小さく笑って手を上げ、指先で俺の目の端に触れる。その手を静かにこめかみへと動かしながら、声を潜めて返事をした。
「そうだったね。……僕は、ずっとクリスの瞳を見ていられてラッキーだったな」
「それはラッキーなのか?」
「そうだよ。君のブルーは海を思い出す」
くすくすという笑い声が空気に溶けて消えていく。
自分たちしかいないとわかっている部屋で囁き、瞳の奥を覗き合ったままキスをした。一度唇に触れてから、目を閉じてもう一度。それが離れると今度は手が首に触れて、より強く触れ合う。
そうやって段々と激しいものへと変わっていき、自然と吐息が熱を帯びていくのを感じながら、服の上へと手を移動させた。
布一枚を隔てた先にある肌を探るように表面をなぞる。トムが小さく震えたことに鼓動が高鳴り、それを隠せないままベッドへと向かった。

シャツを脱いでベッドに転がったトムに伸し掛かり、見えるところ全てにキスをしていく。
最初は「くすぐったい」と言って笑っていた声が段々と小さくなっていき、時折甘い声をこぼすようになっていた。
鎖骨を甘噛みして、そのまま舌で肌をなぞり、小さな尖りを口に含んた。軽く吸ってやると、トムの指先に力が入る。
「ぁ、ッ……」
「平気?」
「へい、き……君は?」
「全然問題ない」
乳首を口に含んだままそう答えたが、問題ないどころか、トムに触れていると思うだけで興奮して下半身が痛いくらいだ。だが、そんなことは悟らせないように行為を続ける。
硬くなり始めた乳首を舌で押し潰すと、トムの身体が大きく跳ねた。それに気をよくして繰り返しながら、空いた手を臍の下に向かって伸ばしていくと、硬くなった陰茎に手が触れた。布の上から軽くなぞると、ゆらりと腰が揺れる。たまらなくなって、チャックを下ろして下着の中に手を突っ込んだ。
「っあ、クリス……」
下着の中でトムの陰茎はしっかり反応して熱を持っていた。手を滑らせると脚が震えているのが視界に入り、トムも興奮しているのかと思うと、更に体温が上がっていく。
「トム、見ていい?」
「う、ん」
トムが頷いたのを確認し、デニムと下着を奪い取ってベッドの下に投げ捨てる。
姿を現した陰茎は勃ち上がり、先端が微かに濡れていた。それを指に絡めながら、尿道の周りをくるくると撫でてやると、トムは膝を震わせながら声を抑えているようだった。
「これ、気持ちいいの?」
「ふ……っ、ぅん……!」
手を上下に動かして尋ねると、トムの腰が僅かに浮いた。手の動きに合わせて下腹部が小さく痙攣する。
白かった肌が赤く染まり、じんわりと汗をかき始めていく様は、正に夢に見た通りだった。
いや、投げ出された脚は夢に見ていたよりもずっと艶めかしく、潤んだ瞳を向けられて、ぞくぞくと背筋を欲望が駆け抜ける。
待ち望んでいた姿を目の前にして、ぐらりと脳が揺れたような気がした。衝動に逆らわず手の中にある陰茎に口付ける。
舌先で先端を舐めて、そのまま口内に迎え入れた。相手が男だということを実感してどんな感情を抱くのかと不安もあったが、なんてことはない。口の中で反応するそれを愛しく思っただけだった。
じゅぷ、と音を立てて唾液を絡ませていると、慌ててトムが上半身を起こす。動揺していたのは経験があるはずのトムの方だった。
「クリス、何して……ッあ、……っ!」
「何って、フェラ」
「そうじゃ、なくて、ぇっ……」
一瞬口を離して返事をしてから再び陰茎を咥えて吸ってやると、トムは上半身を再びベッドに沈めて、必死になってシーツにしがみ付いた。それでも本能は抑えきれないのか、奥深くまで突き入れようと腰が揺れる。
「クリスっ、はぁ……ッ待って」
「ん?」
「そんなの、しなくていいっから、っ……」
乱れた呼吸の合間に紡がれた言葉に違和感を覚えて動きを止めた。目線だけ動かして表情を窺うと、呼吸を整えながらトムが言葉を続ける。
「そんなこと、君がする必要、ないから」
「俺にされるのは嫌?」
「そうじゃ、ないけど……」
「けど?」
「今回はお試し、だし……そこまでする必要ないよ」
言いながら目を逸らされて、高まっていた熱の形が変わっていく。
わかっていたはずだ。一度きりのチャンスだと熱を上げているのは俺だけで、トムにとっては実験の延長線上にある行為でしかない。
それでも、他の男はよくて俺はダメなのかと考えると、腸が煮えくり返りそうだった。
横たわるトムの真上まで移動して、逃げ道を無くすように覆い被さり、戸惑うトムを見下ろす。
「そこまで、ってなんだよ」
「だから、フェラとか、そういうのは僕じゃなくて」
「俺が誰にでもすると思ってんの?」
「そうじゃなくて……っ大事に、したいって思えるひとに」
「トムじゃなかったら、こんなことしようなんて思わねぇよ!」
頭に血が上っていることは気が付いていたが止められず、思わず荒げてしまった声がビリビリと室内に響いた気がした。
腕の中で茫然と見上げているトムに気付いていたたまれなくなり、身体をよけてベッドの上に座り直す。
「……悪い」
小さく告げた謝罪の言葉にトムは反応しなかった。当然だ。セックスの最中に相手を怒鳴るなんて、こんな最低なことはない。
ああ、嫌われたなと、そう思った。たった一度のチャンスも失ったのだと。
こんな気まずい状況で一緒にいたくないだろうと、乱れていた服を正して声をかける。
「本当にごめん。トムは悪くないよ。……ここまでにしよう」
そう言い切って、ろくに顔も見ずにベッドを降りようとした、その時、トムが勢いよく身体を起こした。
「ま、待って!」
「どうした?」
「君が、こんなことしようと思うのは、僕だけ……?」
背中越しに聞こえてくる声は微かに震えている。そんなに怯えさせてしまったのかと思うと、いっそ泣きたくなってくる。だがそれを堪えて、できる限り穏やかに応えた。
「ああ、そうだよ」
「っ、それは、セックス自体が、そうだってこと?」
「……言っただろ?好きな相手としかしないって」
「あ……」
そこで言葉が止まり、しばしの沈黙が訪れる。
引かれた、嫌われた、軽蔑された――そんな嫌な単語ばかりが頭の中を駆け巡る。もうただの友人でいることもできず、関係を持った相手にもなれなかった。トムが俺の気持ちに気付いてしまった今、俺にできるのはトムの反応を待つことだけだ。
死刑宣告を待っているような、息が詰まりそうになる時間。その中で黙って床を見つめていたとき、トムの声が小さく聞こえた。
「……僕も」
その声は頼りなく、うまく聞き取れずにトムの方を向くと、ちょうど顔を上げるところだった。不安そうに揺れる瞳と視線が交わる。
トムは深く息を吸い込んで、それをそのまま音にした。
「僕も、クリスだけだよ。クリスだからしたいと思ったんだ」
「……え?」
「他の誰かとなんて、こんなことしないよ」
言葉の意味がゆっくりと脳まで届き、驚いて目を見開く。
トムは真っ直ぐに俺を見つめていた。向き合った淡いブルーの瞳が濡れて煌めく。
それを見つめたまま、俺は混乱した頭で考えた言葉をなんとか口にした。
「だって、試すって」
「そうしないと、君に触れるチャンスは来ないと思ってたから」
「いや、だって、経験があるって」
「ヘテロだとも言ったよ」
そう言われて、沈んでいた記憶が浮かび上がってくる。確かに言われていたのに〝男に抱かれた〟という情報にばかり気を取られて、完全に失念していた。
突き付けられた事実にがっくりと項垂れる。悶々としていた日々を思い出し、長く息を吐き出しながら、両手で顔を覆った。
「あんなに悩んだのは何だったんだ……」
「あのとき話した甲斐があったかな」
そう言って、トムの手が俺の手を顔から引きはがした。開けた視界の中で、すぐ近くにトムの顔があって心臓が跳ねる。
トムは瞳を潤ませたまま、微かに笑みを浮かべていた。
「……トム、まさか」
「君が……君が、意識してくれてよかった」
優しく囁いて、トムは触れるだけのキスをした。その甘さに絆されてそっと目を閉じる。
この研究者のような男は、役に負けるとも劣らず策士だったらしい。俺はまんまと手のひらで転がされていた訳だ。それでも心まで手に入れるとは思っていなかっただろうことは、頬を伝った雫が証明している。
せめて身体だけでもと思っていたなんて、二人揃ってなんて間抜けな話だろう。
だがそれ以上に通じ合えたことが嬉しくて、凝り固まっていた心がほぐれていき、俺たちは何度も唇を重ね合わせた。
うっとりと唇の感触に集中していると、トムの手がするりと服の中に潜り込んできた。
腹筋を撫で、脇腹を辿って胸を揉まれる。温かい指先が胸の上を往復した時、堪えきれずに笑ってしまった。
「急に積極的だな」
「さっきは男に触られるのは嫌かなって思ってたから。僕だって、触りたかったよ」
そう言ったトムの表情は熱を帯びていて腰が重くなる。至近距離で言葉を交わし、唇を離してシャツを脱ぎ捨てた。
トムが顔中にキスをしていき、俺はトムの首筋に顔を埋めて舌を這わせる。お互いに触れた場所が熱くなっていくのを感じ、そのまま下肢へと手を伸ばした。
萎えかけていたはずの性器は頭をもたげ、この先を望んでいる。鎖骨を軽く吸ってから、見せつけるように唇を舐めた。
「トム、後ろも見せてよ」
「……うん」

四つん這いになったトムの後孔は〝準備してきた〟というだけあって、綺麗で柔らかい。
入り口に触れてみると、トムの背中がふるりと震えた。弾力のある肉を揉みながら同じ動作を繰り返すと、もじもじと腰を揺らす。その先を味わいたくて、潤滑油代わりのハンドクリームを手に取り出し、後孔に塗り付けた。
「っん、はぁ……」
ぬめりを帯びた指先がゆっくりと沈んでいく。そこは狭く、熱く、ねっとりと指に絡みついてくる。それを意識した途端に一気に下半身に熱が集まった。
早くこの中に入りたいと訴えてくる本能を押さえ込み、痛みがないように確認しながら時間をかけて出し入れしていく。
入り口付近を擦ると、トムの腰が跳ねる。同じ動きを繰り返し、スムーズに動かせるようになったところで指を増やして、かき混ぜるように動かしていると、熱で柔らかくなったクリームがトムの陰嚢を伝っていく。余りにも卑猥な光景にめまいがしそうだった。
少し奥まった場所にある膨らみを押すと、内腿が震えてシーツに皺が寄る。そうやって音を立てながら解している間に、堪えられなくなったトムは顔をシーツに埋めていた。
腰だけを上げた状態で、シーツ越しにくぐもった声が聞こえてくる。
「っ、ぁ……!くりす、もういい……ッ」
「よくないって」
「いい、ってば、ッぁあ……!」
「痛かったら嫌だろ」
「だって……っ、これ、つらい……ッぁ、ねぇ、はやくっ……」
上擦った声でのおねだりに堪えきれず、小さくうなって指を引き抜く。トムを仰向けに寝かせ、下着を脱ぎ、スキンで覆われた自身をトムの後孔に押し当てた。抱えた脚はすっかり弛緩し、汗でしっとりと湿っている。
「挿れるぞ」
「うん……っ」
膝にキスをしてからゆっくりと腰を押し進めていく。難なく飲み込んでいく粘膜が、熱を持って陰茎を締め付けてくる。腰から快感が駆け抜け、堪らず大きく息を吐いた。
「……ッ、はぁ、すごいな」
そう呟いて、全て納めるために更に腰を進めたところで、トムが俺の手を掴もうと腕を伸ばした。
「……っ、ッ、ぁ……!や、だ……っダメ」
「トム?」
伸ばされた手が何も掴めず空を切る。助けを求めるかのように震える手を握ると、ぎゅうっと強く握り返された。その間もトムの身体は痙攣し続けている。
「や、っあ……こんなの、しらな……っ」
「っ、大丈夫か?」
「あ!クリス動かないで……!おなか、っ、へん、なんだ……っぁ」
「痛い?」
「ちが、きもちいいっ……」
「トム、落ち着いて」
抱えた脚をさすり、握り締めた手にキスをする。それを繰り返していると、トムはようやく落ち着きを取り戻し、短い呼吸を繰り返した。
ふくらはぎにもキスを落としながら、腰を動かしたいのを我慢して問いかける。
「平気?」
「わから、ない」
「痛みはないんだろ?」
「うん……でも、こんな……」
「ん?」
「こんな、気持ちいいの、はじめて……ッ、んんっ、なんで、ぇ……っ」
話しているうちに意識してしまったのか、トムはまたぶるぶると震えて挿入したままの陰茎を締め付けてくる。半端に挿入した状態での快感は痛いくらいだったが、それ以上に俺の頭は目の前で涙ぐむトムのことでいっぱいだった。
年上の男がこんなところで幼さを見せてくるなんて、反則だろう。
今すぐに滅茶苦茶にしてやりたい衝動に逆らって、じわじわと時間をかけて奥へと進める。
「あっ、クリス、まっ……ッ」
「トムは頭がいいのにバカだよな」
「な、に……?」
「好きだからだろ」
「っひ、んん……ッぅ」
「実験じゃなくて、気持ちがあるから、こんなに感じてるんだよ」
そう言い終わったところで全て挿入し、ぐっと奥を押してやると、閉じていた目蓋が開いた。はくはくと口を動かし、なんとか声を絞り出す。
「クリスは……?クリスも、気持ちいい?」
「はぁ……っ最高」
「ッ、よかった……」
静かな安堵の声に胸が強く締め付けられ、へにゃりと笑ったトムを抱き締めて、深く口付けた。背中にトムの腕が回り、密着しながら口内を貪る。
トムがキスに夢中になっている隙を狙って腰を動かすと、微かに背中に痛みを感じた。だが、気にせず腰を振る。一定のリズムで粘膜を押し上げていると、抱き締めている身体が弓なりに反った。
「アッ……、くりす、ッ、すぐイきそ……っ」
「いいよ、っ……時間はたっぷりあるんだ」
「は、っ……ぅん、んっ、きみも、ばかだ……」
そう言って笑うと、次の瞬間に身体を大きく震わせてトムは達した。
二人の腹の間が白く汚れて滑りがよくなる。きつい締め付けに堪えてから口付けを交わし、動きを再開した。
「もっと感じたらどうなるんだろうな」
「ん、ぁ……っ、優しくして……ッあ、あ!」
大きく突き上げると、平静を取り戻しかけていた瞳が蕩けていき、すぐにトムは喘ぐことしかできなくなってしまった。
強くしがみ付いてくる感触にすら心地よさを覚え、情けない独占欲が満たされていくのを感じる。
もう擦れ違わないように強く抱き合い、掴まえた熱を確かめ合った。

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