撮影は順調だ。アメリカでのプレミアも問題なく終わった。だというのに、俺の心持ちは晴れやかとは言い難かった。
悩みと言ってしまうと重苦しすぎるが、要するに煩悩が俺の気分を暗くさせている。
主要キャラクターが増え、同年代もいる賑やかな現場だ。そんな場所で自分の視線が友人の下半身に向いてしまうのが心苦しい。相手にそのつもりがないから尚更だ。
撮影している間はいい。集中してしまえば余計なことを考えずに済む。
問題はそれ以外の時間だった。
例えば、今だってそうだ。一足先に今日の分の撮影を終えたトムが私服に着替えて立っている。その後ろ姿が視界に入ると、自然と視線が下がって臀部を見てしまう。
更にぼんやりしていると『あそこを男が……』なんて考えてしまい、その度に自己嫌悪に陥る。
トムは今までと変わらず普通に立っているだけで、おかしくなってしまったのは俺の方だ。だが、こんなことを誰かに言うわけにもいかず、ただ一人で悶々とする日々。
目を閉じ、視界を無理矢理遮断して大きくため息を吐いた。
「疲れた?」
ふいに聞こえた声に目を開けると、いつの間にかトムが目の前に立っていた。
心配半分、からかい半分の声色。俺の顔を見て小さく笑ったトムは、自分の眉間を指先でとんとんと叩いた。
「皺、寄ってるよ」
「ああ、ちょっと目が疲れたかも」
そう返事をすると、わかるよ、と言ってトムが首を回す。
そうすることで剥き出しになった首筋に目が行ってしまい、目を閉じた効果なんてなかったんだと実感した。
決して華奢ではないものの、白く長い首だ。演じる上では何度も触ってきたのに、気になってしまうのはこういう何気ない瞬間で、本人に悟られないように気を張っている。
「トムはもう終わりだろ?」
「うん。明日早いから今日は休むよ。君は?」
「俺は今日ラストまで。明日は午後からかな」
周囲の動きを確認しながら仕事の話をすると、友人から同僚の顔へと僅かながら変化する。
休憩明けの撮影に向けて場所が整えられていくのを遠巻きに見ながら、トムは楽しくてしょうがないという風に笑っていた。
仕事バカというのはこういう奴のことを言うのかもしれないと、この友人を見ていると思うことがある。まるで研究者のようだ、とも。
俺が知らないことを教えてくれるときのトムは、どこかの教授みたいだ。探求心の塊で、一つ質問をすると答えが倍になって返ってくる。そうやって話過ぎたと気付いたあとに気まずそうに謝るトムを見るのは面白い。
しかし、それも最近は雑念に侵されていた。
子供のように欲求に素直な姿は愉快だ。だがそれと同時に、そうやって探求心のままにセックスに至ったのかと考えてしまい、酷く複雑な気持ちになる。
トムは、愛していなくてもセックスはできる?
口を出す権利などないのに、そう考えると胃がムカムカするような気がしてくる。
俺はどんな短い期間でも、好意を抱いている相手じゃないとセックスはしてこなかった。でもトムは違う?知らないことを知るためなら関係ない?
こんなことを考えて、友人に対して不快感を覚えている。それ自体が嫌だった。
胃に残る違和感を隠すために腕を組んで、できるだけ遠くを眺める。
静かになった俺をじっと見て、トムは声を潜め、躊躇いがちに口を開いた。
「……余計なお世話かもしれないけど、何か気になることがあるなら、僕でよければ聞くから」
そう言わせるほど心配をかけていたことに驚いた。目を見開いた俺を見て、トムは慌てて言葉を続ける。
「あ、もちろん言わなくてもいいし、僕に言いづらければ他の人でも……。とにかく、溜め込まない方がいいと思うよ」
「……ああ、ありがとう」
「明日も頼むよ、兄上」
最後に明るく笑って見せたトムが、むき出しの俺の腕をぽん、と叩く。そのままスタッフに挨拶をしてスタジオを後にした。
振り返らず真っ直ぐ進むトムの姿が小さくなっていく。去っていく後ろ姿を見送りながら、自然と臀部を見てしまっている己に愕然とした。心配してくれている友人への申し訳なさでいたたまれなくなり、それを少しでも逃がしたくて拳を握る。
トムの手のひらが触れた腕が、じんわりと熱い気がした。
*
「はぁ、あっ……ッ」
聞き慣れた声と、やけに響く水音が耳にまとわりつく。
白い肌が湿って艶めいて見える。
薄い胸が赤く染まって痛々しいくらいなのに、表情からは快楽しか感じられない。四つん這いになって下半身を高く上げながら、トムは静かに涙を流した。
ゆらゆらと腰を揺らすと、それに合わせて張り詰めた性器も揺れる。口を開けっ放しにして必死に酸素を取り込んでいるトムの顎を、背後から犯している男の腕が捉えた。
そのまま与えられる口付けを甘い声を上げて受け止める。相手の首に手を伸ばし、舌を出して懸命に吸い付く。うっすらと目を開けたトムは、頬を赤く染めながら笑っているように見える――。
そこで、目が覚めた。
嫌な汗がじっとりと全身にまとわりついて、不快感と共に訪れた目覚めに小さく舌打ちをした。
まだ起床には早い時間らしく、カーテン越しに射し込む光は弱々しい。ぼんやりと天井を眺めながら夢の内容を思い出して、思わず両手で顔を覆い隠した。
「最低だ……」
ぼそりと吐き出した声は誰にも届かずに消える。
だが、いつまで経っても落ち着かない鼓動と、明確に反応してしまっている下半身は誤魔化しようがなかった。
「……最低だ」
目を閉じて強引に暗闇を作ってみても、瞼の裏にこびりついた映像が消えてくれない。
二度目の呟きに返事をしてくれる誰かもいない。
今見たものが現実でもただの妄想でもなく、無意識の産物だということが余計に罪悪感を感じさせた。なまじ本人の素肌を見たことがあるから尚更だ。
一人なのをいいことに思い切りため息を吐き、手をシーツの上に投げ出して目を開ける。
夢の中の人物は間違いなくトムだった。トレーニングや着替えの際に見た彼の肉体そのままで、濡れ場なんて見たことがないのにやけにリアルで。それなのに、相手だけは俺の知らない男だった。
見知らぬ誰かに抱かれるトムの姿が甦ると、それだけで胃の奥から何かがせり上がってくるような、嫌な興奮状態になるのが自分でわかる。
どれだけきつく目を閉じても消えてくれない映像と、反応してしまった下半身を持て余したまま、起床時間までベッドの上でもがき続けた。