熱情 *

ヘムトム独身AUです。アベ無印撮影中くらいの二人。
トムに男性経験があると知ってしまったヘムが、トムをいかがわしい目で見てしまって悶々とする話。
※ヘテロだけど後ろの経験があるトムが出てきます。

閉じた目蓋の向こう側から感じる眩しさと、微かな頭痛で目が覚めた。決して良いとは言えない目覚めに小さく唸り声を上げる。手で顔を覆い、ゆっくりと目を開けると、見慣れない天井が視界に入った。
どうやら昨夜はカーテンを閉めずに寝てしまったらしい。煌々と射し込む光に顔をしかめながら体を起こす。 アルコールが残った体は多少の重さを感じるが、体調は悪くない。きちんと水を飲んでおけば頭痛も治まるだろう。
ゆっくりと首を回して、生あくびを一つ。それからベッドを抜け出てシャワーを浴びれば、いつものクリス・ヘムズワースの完成だ。
Tシャツに着替えながら朝のニュースをテレビで確認していると、テーブルの上に置いておいた端末が音を立てた。
『起きてる?』
手に取って確認すると、表示される簡素な文字列。
朝から連絡が来るなんて珍しいなと思いながら『起きてるよ』と返事を入力すると、すぐにまた音が鳴る。
『よかった。じゃあお店の前で』
それが何を指しているのかわからなかったが聞き直すのも躊躇われて、画面を見つめたまま頭をひねる。一度目を閉じて昨日の会話を思い出していくうちに、そういえば近くに有名なカフェがあるから行ってみようと話したことを思い出した。
とりあえず場所がわかって安心したところで時計を確認する。待ち合わせの時間まで余裕があったが、散歩がてらのんびり向かうのもいいだろうと、グラスに入っている水を一気に飲み干してホテルを後にした。

朝日の下で街を歩いていると、昨夜の出来事が夢だったような気がしてくる。
主演映画のプレミア。それも自分が生まれ育った国で、レッドカーペットを歩いた。
共演者との再会も感慨深く、いくつものカメラに囲まれて思い出話に花が咲いた。間違いなく素晴らしい日だったと言える。それからほんの数時間でこうして普通に歩いているのだから、不思議に思っても仕方がないだろう。
まばらな人通りの中を歩きながらそうやって記憶を反芻しているうちに、目的の店が見えてきた。
看板を確認するよりも先に、店先に立っている男の姿が視界に入る。ただ端末をいじっているだけなのに、すらりと伸びた手足と長身はやけに目立っていた。
だが、本人はそれを気にしていないらしい。最後の数メートルだけ勢いをつけて駆け寄り、手元に夢中になっている男に声をかけた。
「トム」
「ああ、クリス」
「早いな。俺も余裕を持って出たと思ったんだけど」
「うん、時間にはまだだよ。なんか部屋にいても落ち着かなくて」
腕時計を確認しながらそう言って、約束の相手であるトムは手の中の端末をポケットに突っ込んだ。
立ち話をしていても仕方ないと、そのまま喋り続けてしまいそうなところを店内に入る。
シンプルだが木材で統一されたデザインの店内は、のんびりと過ごすのにちょうどよさそうだ。席の半分は埋まっているようで、絶え間なく話し声や食器の音が聞こえてくる。
混み合ったテーブルの間を抜けて、俺たちは奥まった場所にある席に向かい合って座った。入り口からは離れているが暗くはなく、周囲に人がいなかったから上背がある男二人でもゆったりと座ることができる。
しばらくメニューとにらめっこをしてから注文を済ませ、運ばれてきたコーヒーを飲んで一息ついたところでトムが口を開いた。
「昨日は大丈夫だった?」
「ああ、ちょっと頭痛がするけど平気。手間かけて悪い」
「それはいいんだ。大丈夫ならよかった」
そう言って、カップを片手にトムはにこりと笑った。
昨夜、イベントを終えてスタッフや共演者たちと別れの挨拶を済ませた俺たちは『すぐに眠れる気がしない』というところで意気投合し、祝杯も兼ねて二人だけで飲み直すことにした。
ホテルのトムの部屋で飲んだ訳だが、決して馬鹿みたいに飲み明かしたんじゃない。量はそう多くはなかった。だが興奮と、それまでの緊張から解放されたことで予想外にアルコールが回ってしまい、俺は酷く酔っぱらって、最後は心配したトムに自分の部屋まで送ってもらったのだ。
情けないところを見せてしまったとは思うが、トムとは慣れない現場で助け合ってきた仲だ。トムならまあいいか、と結論に至る。
そのままトムの体調を確認し、朝の様子をおどけて話し、笑っていたところで食事が運ばれてきた。
トムの目の前にはパンケーキが重なって乗っている皿と、卵や野菜が乗っている皿が並び、俺の目の前にはバーガーが一つ。店員に礼を言っていそいそとフォークとナイフを手に取る様子を見て、つい笑ってしまう。
「本当、案外よく食うよな」
「んー、朝ちゃんと食べないとしっくりこなくて」
パンケーキを切り分けながら、トムは答える。そして一口大に切った欠片を口の中へと運んだ。
頬を膨らませて咀嚼する様子を確認してから、自分の目の前にあるバーガーを手に取ってかぶりついた。ボリューミーに見えて野菜が多く、思っていたよりもあっさり食べられそうだ。
そんなことを考えながら口を動かしていると、トムの視線がこっちに向いていることに気が付いた。
切り分けられたトマトを口に運びながら、ちらりとこっちを見ては視線を皿に戻す。すぐに飲み込んでもう一口。そしてまた視線が上がる。
何かを気にしていることはわかったが、それが何かわからなかった。
「どうした?」
口に含んでいたバンズの最後の一かけらを飲み込んでそう尋ねると、トムの口が一度止まり、それからゆっくりと動いて口内の食材を嚥下するのが見えた。
じっとこちらを見て、フォークとナイフは持ったまま、トムはおずおずと口を開いた。
「ああ、いや、その……昨日は僕も酔ってたから、変なこと言ってなかったかなって」
「変なこと……?なんか言ってたっけ?」
「そうだよね。よかった」
俺の返答に安心したのか、トムは表情を緩めて微笑んだ。
確かにトムも酔っていたとは思うが、俺に比べればなんてことなかったと思う。言いたいことを言えてすっきりしたらしく、トムの食事のペースがさっきよりも早くなった。
そんなトムとは反対に、気にするようなことがあっただろうかと考えてしまった俺の方が、もやもやとした霧の中にいるような気分になってしまった。
バーガーにかぶりつきながら、ぼやけた記憶を辿る。トムと二人で話した内容を思い出しているうちに小さな引っ掛かりを覚えて、咀嚼するスピードが落ちた。
霞がかった記憶が段々と鮮明になっていく。

  *

酒の力が身体を強く支配していた。
心拍数が上がり、全身が熱い。誰が見ても赤くなっているだろうことがすぐに想像できる。普段とは比にならないくらい愉快で仕方がなく、脳がふわふわと揺れていた。
プレミアのことも映画のことも大抵の話題は語り尽くし、それでも楽しくて、この時間を終わらせたくなくて、何を思ったか、下世話な話題を投げかけた。
過去に経験したセックスでの特殊なプレイの話――だったと思う。あまり他人に話したことがないような話題で秘密を共有したいと、そんなようなことを言った気がする。
どうしてそんな発想に至ったのかはわからない。所詮は酔っ払いが考えることだ。男二人で他の誰に聞かれる心配もない。ただの思い付きと、興味本位だったんだろう。トムからとんでもない経験談が出てきたら面白いな、くらいは思っていたかもしれない。
まずは俺が話し、それからトムの番。とはいっても、俺が話した内容は大したことはない。少し特殊な道具を使ったとか、その程度。それを聞いたトムは少し考えてから、人差し指を自らの唇に当てて囁いた。
「絶対に内緒だよ?」
「もちろん」
俺が頷いたのを確認して手を下ろすと、トムは小声のままこう言った。
「男と寝たことがあるんだ」
特に恥ずかしがる様子もなくトムはさらりと言ってのけ、うだった俺の脳にその言葉が届くまで時間がかかった。トムの声が言葉として頭に到達するまでの間、沈黙が訪れる。たっぷりと時間をかけてから俺が発したのは「は?」という間抜けな声だった。
言葉が理解できても意味がうまく掴めない。
同じ言葉が頭の中をぐるぐると回っているのに、俺は馬鹿みたいに首を傾げた。
「あー……、悪い、えっと……?」
「男とセックスしたんだ。あ、昔の話だよ?学生の頃だし」
続けざまに投げられた言葉に殴られているようだった。
アルコールでぐずぐずになっていた脳が冷え初め、急に冷静に話を聞けるようになってくる。そんな俺の動揺なんて気付いていない様子で、トムは瓶の中身を体内に流し込んだ。
予想していたよりもずっと巨大な〝秘密〟が飛び出してきたことに心臓がバクバクと激しく鳴った。それを誤魔化しながら、呼吸を整えて口を開く。
「あー……質問しても平気?」
「ダメだったら言わないよ」
俺が居住まいを直したことをおかしそうに笑って、トムは持っていた瓶をテーブルに戻した。
「その、どっちだったんだ?」
「僕がボトムだったよ。相手が絶対トップじゃなきゃ嫌だって言ってさ。僕も興味があったし、まぁいいかなって」
「へぇ、トムが男もいけるのは知らなかったな」
「え?ああ、違うよ。僕はヘテロ」
「……んん?」
唐突に話についていけなくなり、眉を寄せて頭をひねる俺を見て、トムは言葉を探して自らの額を撫でた。椅子の背に肘を置き、こめかみを指先でくるくるとなぞりながら話を続ける。
「僕の恋愛対象は女性だよ。恋人も女性ばっかりだし。ただ、その……なんて言ったらいいのかな……。そう、実験みたいなものだよ」
「……実験」
「うん。男子校だったから、男同士も共学ほど珍しくなくて、若かったし……セックスに興味があった」
「それで、ボトム……」
「そう。ほら、後ろの快感はヤバいって言うでしょ?だから」
言うほどすごくもなかったけど、と続けて、トムは再び瓶を持ち上げてアルコールを飲み込んだ。
俺はというと、熱い身体とうるさい心臓と、それに逆らうように冷静になってしまった頭でぐちゃぐちゃだった。なんでもないフリをしながら、酔った頭では上手く処理しきれず、聞いた言葉を繰り返すことしかできない。
ゲイで経験があるのはわかる。それは別にいい。だが、トムの話はそうじゃなかった。
ヘテロで男性経験があって、それが実験だった?
何度考えても飲み込めない。トムがそれをなんでもないことのように言っているのもよくわからない。考えている間にショートしてしまいそうになり、瓶に残っていたアルコールを一気に飲み干した。
どうもそれが良くなかったらしく、すぐに体温が上がり、視界がさっきよりもぐるぐると揺れ始める。
トムが「大丈夫?」と繰り返す声を、どこか遠い世界のことのように聞いていた。

  *

「クリス、大丈夫?」
記憶の中の声と、目の前から聞こえてくる声が重なり、現実に引き戻された。
目の前では皿の中身を半分以上平らげたトムが心配そうに様子を窺っている。俺の手の中にあるバーガーは少し冷めてしまっていた。
「悪い、ぼーっとしてた」
「体調は?」
「問題ないよ」
「ならいいんだけど……」
思い切りバーガーをかじりながら笑顔で答えると、トムは苦笑を浮かべて食事に戻った。
これ以上心配させないように口を動かしながら考えてしまうのは、今思い出してしまった会話についてだ。
なぜ思い出してしまったのか。いや、なぜ忘れていられたのか。
トムが気にしていたのはきっとこのことだろう。思い出した今となってはどうしても気になってしまうし、変なことは言ってないとは思えないけれど、さっき同意してしまったからにはもう何も言えない。
ほおばりすぎたバンズと野菜をコーヒーで流し込みながら、ちらりとトムの様子を窺う。
大量の料理を一つ一つきれいに切り分けて口に運んでいく様は、優雅でさえあった。教養が見て取れる、そんな男が同じ口で「男と寝た」と言ったのだ。
とっくにアルコールは抜けたはずなのに、心臓が一つ跳ねた。
その感覚につい顔をしかめる。散々同じ時間を過ごし、並んで仮眠を取り、一緒に食事をしたのだって一度や二度じゃないのに、今更何を緊張することがあるというのか。
他人の性生活の話を聞いたくらいで馬鹿らしいと、その感覚を投げ捨てようとしてどうにも上手くいかず、バーガーに八つ当たりをしていたところで、パンケーキを食べ終えたトムが顔を上げて笑った。
「次に会えるのは撮影のときかな」
「ああ、そうかも」
笑顔で答えながら、俺は小さくため息を吐いてしまいそうだった。
せめてもう少し会わない期間があればよかったのに。新作の撮影に、アメリカでのプレミアと予定が詰まっている。
どうして今なんだ、と、前夜の自分を少し呪った。

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