蜘蛛と羽音/糸と羽虫 *

太陽の輝きを持つ男を愛している。

腰を高く上げた体勢で背後から揺さぶられながら、シーツをきつく握り締める。
腰を掴む手は力強く、異物を挿入されることに慣れた僕の身体は簡単に快感を拾い上げ、口からは甘ったるい声が止めどなくこぼれ続けている。
顔をシーツに擦り付けながら薄目を開けて喘いでいると、ぼやけた視界の先でベッドサイドが微かに光っているのが見えた。なんだろう、とぼんやり考えて、その光が点滅し始めたところでスマートフォンの光だと気が付いた。
ベッドサイドに置いてあるのは僕のものではない。僕を後ろから貫いている男のものだ。
持ち主が全く気付いていないその光はきっと家族からの連絡だろうな、と真っ先に思った。本当は違うかもしれない。仕事先からかもしれないし、友人からかも。可能性はいくらでもある。
でも僕は、自分の勘が外れていない気がしていた。
すぐに彼に知らせることもできたが、今与えられている熱を手放すのが惜しくて気付かなかったことにした。そうやって電話の先にいる誰かの夫を、父を独り占めしていることにちくりと胸が痛んで、でもそれもなかったことにしようとゆっくりと目を閉じる。
ちょうどそのとき、僕が違うことを考えていたことに気付いたクリスに強く突き上げられて、反射的に目を開けてしまった。ぐ、と体内をかき混ぜられる。
「よそ見なんて余裕だ、なっ」
「あっ……!クリス、そんな、急に……っ」
「トムが集中してないからだろ?」
「あっ、ぁ、ん、ッ……ひぁっ……!」
激しく揺さぶられて全身が震えた。筋肉が痙攣するのと一緒に腸壁が何度もうねってクリス自身を締め付ける。
押し付けるように奥まで突かれても、もう痛みよりも快楽の方が強く感じるようになってしまった。
そうやって僕を作り替えた男は、おもむろに僕の脚を抱えたかと思うと、性器を挿入したまま身体を反転させた。
仰向けになってベッドに沈み込むのと同時にごりゅ、と音が聞こえそうなくらい体内のしこりを押し潰されて、瞳の奥がチカチカと光る。腹から頭まで一気に快感が駆け抜けて勝手に涙がこぼれ落ち、僕の意思とは関係なく射精していた。
思いきり反った背中がゆっくりとシーツに沈んでいく。開きっぱなしになった口からは浅い呼吸音が漏れ聞こえていて、獣みたいだ、と頭の片隅で思った。
脱力した身体をクリスの熱い手が撫でる。
その手の感触に意識を集中することで霞んでいきそうな思考を呼び戻した。そっと視線を天井からクリスへ向ける。
僕を見下ろす男は額から汗を流しながら、頬を上気させている。吐き出される荒い息と、その瞳の奥に見え隠れする色に胸が熱くなった。
隠しきれない情欲が奔流となって僕らを押し流す。
初めは戸惑いながら。今は流されるままに。どちらにしろ、その衝動に抗えたことがない。腹の奥でぐちゃぐちゃになっている感情を悟られないように、出来る限りの余裕をかき集めて笑みを浮かべて見せた。
「ひどいな……いきなり体勢を変えるなんて……」
「でも、ようやくこっちを見た」
「ふふ、後ろからじゃ見れないよ」
「それでも」
彼の顔が降りてきて、僕の唇を食む。
優しく歯を立てられ、たまらずクリスの顔を掴まえてキスをした。それに応えるように口内に舌が入り込み、それを吸い上げてこれ以上近付けないというところで唇を合わせる。僅かにできる隙間から酸素を取り込みながらする口付けは、まさに喰らい合うという表現がぴったりだった。
うっすらと目を開けると、ばちりと目が合う。
そこに滲む快楽と、その奥深くから垣間見える衝動と独占欲にどうしようもなく胸が締め付けられて、僕はもう一度目を閉じて彼の唇に集中した。

最初に手を伸ばしたのはクリスの方で、僕はそれを避けなかった。
でも彼にはもう既に決まった大切なものがあって、僕は家族を愛している彼が好きだった。それは今も変わらない。
彼には目には見えない引力のようなものが備わっていて、僕はそれに逆らえずふらふらと引き寄せられてしまう。だから、随分と昔、クリスは蜘蛛で僕は羽虫のようだと思ったことがある。
彼が張り巡らせた蜘蛛の糸にまんまと引っ掛かって、喰われるのを待つだけの小さな羽虫。
もちろんただ待っていた訳じゃない。全身に巻き付いてしまった糸をほどこうと、何度ももがいた。僕を見つめるその瞳から、僕の頬に触れるその手の熱から離れなければと、何度も手放そうとしてその度に失敗した。
実際に彼と向き合ってしまうと僕の理性は簡単に溶けて、吸い寄せられるように彼に向かっていってしまう。
そうやって僕がもがいていることなんて知りもしないで肩を抱くクリスを恨めしく思う日もあった。ひどい男だと。
でもそれは間違いだったと、後になって気が付いた。
初めて身体を重ねてから何年も経って、僕がこの衝動に抗うことを諦め始めた頃、クリスはまだ必死に足掻いていたからだ。
僕がもう逆らえないものだと受け入れてしまったその感情を、クリスは処理しきれないでいた。
蜘蛛なんかじゃなく、彼もまた糸に捕らわれてしまった羽虫なのだと、僕を抱きながら時折困惑に歪む顔を見てようやく理解した。
蜘蛛なんかいなかったのだ。僕らは二人とも蜘蛛の糸でがんじがらめになって、飛べなくなってしまった羽虫だ。衝動という名の蜘蛛に食い尽くされるだけの、愚かな生き物。
今日も身体中を駆け巡る波に振り回されながら、その腕にしがみつく。奥底から這い上がってくるような快感に身体を震わせながら、体内に吐き出された熱を必死に受け止めていた。

「……悪い」
「大丈夫だよ。子供たち、元気そうだね」
端末から聞こえてきた賑やかな声によってクリスは顔を曇らせる。彼が家族と仲が良いことは世界中が知っているんだから、そんな顔をしなくてもいいのに。そう思いながら、僕の胸もちくりと針で刺されたように痛んだ。
クリスは気まずそうに苦笑を浮かべている。
僕がベッドを出ればいいとはわかっていたが、激しく抱き合った後の身体は言うことを聞いてくれなかった。
虚空を見つめながら沈黙に耐えるクリスを見ていると、息が苦しい。愛するものに囲まれて強い輝きを放つ彼が好きなのに、それを曇らせているのは他でもない僕自身だ。
目を閉じる代わりに、ゆっくりと、小さく息を吐く。
「僕が女だったらよかったのに」
吐息と共にこぼれ落ちた言葉がやけに大きく室内に響いた。
クリスは驚いて目を瞬かせ、観察するように僕を見ている。僕を見下ろしているその表情がどこか幼く見えて、彼が年下だということを思い出させた。
静かに続きを待つクリスを見つめて、不意に浮かんでしまった笑みを張り付ける。
「そうしたら……」
そこまで言いかけて、見上げたクリスの顔がベッドサイドの明かりに照らされていて、眩しさに目を伏せた。
そうしたら?その先を言ってしまったらどうなるのか、僕自身もわからなかった。わからなくて、僕はもう一度彼を見上げる。
変わらずそこにある僕を気遣う瞳に心臓を掴まれて、言葉は自然と流れ出ていた。
「そうしたら、こうやって会うこともできなかったのに」
こうやって僕と会うことがなければ、君は変わらずに愛に満ち溢れた男として輝き続けることができるのに。
このどうしようもない衝動を振り払うことを諦めてしまった僕に残されたのは、小さく降り積もり続ける罪悪感。
彼の輝きを自分が奪っているという事実に苦笑を浮かべた僕を見て、クリスの顔から表情が消えた。その次の瞬間には眉を寄せて、痛みを堪えるような表情に変わる。
ああ、失敗した。
そんな顔をさせたかったんじゃない。君に苦しんで欲しいのでもない。
何か誤魔化さなければと思いながら、僕は目が離せなかった。うまい言葉が思い浮かばず、時間だけが過ぎていく。
沈黙をもて余している間に、先に動いたのはクリスの方だった。
まだ熱い彼の手がそっと頬に触れる。さっきまで僕の腰を掴んでいたものと同じ手だとは思えない優しさで頬を撫でた。その壊れ物を触るような手つきとぬくもりを感じた瞬間、急に涙が流れてクリスの手を濡らしていた。
彼は驚いて動けなくなり、僕もコントロールできなくなった涙腺に驚いて目を見開く。こんな痛みはとうに消えたと思っていたのに。
僕たちは見つめ合ったまま、またしても溢れ出してしまった感情をもて余している。他の方法がわからずに、どちらからともなく顔が近付いて唇を合わせた。
お互いの頬を、首を支えながら、体温が上がりきるまで何度も繰り返しキスをする。何も考えられなくなるまで、何度も。

余計にがんじがらめになるだけだとわかっていながら、僕たちはこれ以外の方法を、知らない。

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