Please call my name

石を巡る戦いを全部終えて、地球で暮らすソーロキの転生AU。半分こおじさんもきっと倒した。IWのネタバレを含みます。恋愛感薄め。
ロキは記憶がない状態で生まれ変わって、ソーと暮らしているという設定です。無印くらいの外見をイメージしています。暗めだけど希望はあるはず…。

「ロキ!どこに行くつもりだ!!」
「うるさい!!その名前で呼ぶな!!」

低い怒声に対し、そう叫んで玄関を飛び出した。
追いつかれないようにわざと人ごみの中に紛れ込む。行き交う人々の合間を縫って、出来るだけ遠くへ向かうために足を動かした。
目的地はない。行くべき場所もない。帰れるのは、たった今飛び出してきた家だけだ。だがそこにも戻るつもりはない。
じわりと瞳に涙が浮かんだ。道端でそんな姿を見られたくなくて、服の袖で乱暴に目元を拭う。
ニューヨークの街角で行く当てもなく歩いている。
生まれてからずっと住んできた街。17年間、ソーと一緒に暮らしてきた街。
いつも見慣れているはずの風景が、ひどく遠く感じた。

  *

僕には身寄りがない。正確に言うと血縁上の、だ。
両親も兄弟もいない僕が赤ん坊の頃に施設に預けられていたところをソーが見つけて引き取った、らしい。当然ながら僕には記憶がないから、全部ソーから聞いた話だ。
どうして僕だったのかと尋ねると、ソーは必ず「運命だと思った」と答えた。そう言われてしまうとそれ以上は聞けなかったし、試しにヴァルキリーや、時々訪れるスタークさんなんかにも聞いてみたけれど、特に新しい話は出てこなかったから、どこかで納得している部分もあった。
なにしろソーはスーパーヒーローで、王様で、神様だ。子供の頃から姿も変わらないし、僕なんかにはわからない何かがあるのかもしれないと、どこかで信じていた。
その瞳の意味に気付くまでは。

ソーは僕の育ての親で、兄弟のようでもあり、時にはよき友人だった。
僕の名前をつけたのもソーだ。大切な人の名前を貰ったのだと初めて聞いたときは誇らしかった。その想いに相応しい人になりたいと思った。
それが彼の弟の名前だということは知っていた。ニューヨークが襲われた事件は忘れられるものではく、もちろん僕は生まれていなかったけれど、事件のこと自体は勉強したからだ。
その話をした時、ソーはひどく困ったような顔で言葉を濁していたから、聞かない方がいいんだと思ってその話題を口にすることはやめた。
それ以外は特にソーに対して不満はない。
食事や服で困ったこともなかったし、勉強だって思う存分やらせてくれた。それに何より血の繋がった親にも引けを取らないほどの愛情をくれた。と、思う。
一緒に料理をして焦げた食材が並ぶ夕飯になったり、自転車に乗れるようになるまで練習に付き合ってくれたり。晴れた日の夜に家を出て、ソーに星々の話をしてもらうのは僕のお気に入り。数えきれないほどの知識が詰め込まれているソーの話は、いくら聞いても飽きることなんてなかった。
ソーと一緒にいるのは楽しい。けれど、成長するにつれて僕は気付いてしまった。
僕の名前を呼び、僕の顔を見ながら、ソーはその先に誰かを重ねている。ソーの美しい碧い瞳が少しだけ曇る瞬間、きっと彼は失った弟のことを考えているのだ。
そういう時、ソーは決まって僕の首に触れた。その癖が何を意味しているのかは知らない。
ただその瞬間、僕を「ロキ」と呼ぶ大好きなはずのその声から耳を塞ぎたくなるのだ。
それでも僕はこの家を離れようとは思わなかった。
僕にとってソーは全てで、ソーも弟のことを抜きにしても、僕自身のことを大切にしてくれていることも知っていたから。
そう信じていたから――今日までは。

自室で調べ物をしていて偶然見つけた古いデータ。
そこには一人の男の姿が写っていた。それ自体が古いものだったから多少見づらくはあったが、そこにいる黒髪の背の高い男。その人物は僕とよく似ていた。
見慣れない装束を着ているその人に関する記事に目を通して、飛び込んできた『Loki』の文字に時間が止まった。
心臓が早鐘を打ち、手が震え出す。
自分と同じ名前を持つその人の顔から目が離せなくなって、上手く息が出来なかった。
余りにも似た容姿、同じ名前。
僕は彼の代わりに過ぎないのだ。
そう理解した瞬間、身体中を絶望感が支配した。急に底のない穴の中に放り出されたような感覚になって、どう立てばいいのかわからない。
胃の中のものがせり上がってくるような気がして、内臓が不快感に襲われる。
目の前に写し出されたその顔が気持ち悪くて、タブレットを叩きつけて破壊した。画面にひびが入り、僕と同じ顔が視界から消える。運動もしていないのに呼吸が上がっていた。
そのまま茫然と立ち尽くしていると物音を聞きつけたソーが階下からやってきて、破壊されたタブレットに驚いて何があったのかと問い詰められたが、今その顔を見る気にはなれなかった。
「ロキ、ちゃんと答えろ」
ソーの静かな声がその名前を口にしたと頭が理解する前に、血が一気に登って声を張り上げていた。
「うるさい!僕はロキじゃない!僕は身代わりになんかならない!」
「何?お前はロキだ」
「ちがう!僕は最初からロキなんかじゃなかった!!」
言い切らないうちに困惑するソーの脇をすり抜けて全力で駆け出す。
止められるのを無視して玄関へと向かい、そのまま家を飛び出した。
自分で吐き出した言葉が、自分を切り裂く。

この名前が僕のものじゃないというなら、一体僕は誰なんだろう。

  *

涙目でふらふらと街中を歩く姿は情けないに違いない。走り続けた心臓は痛み、呼吸はまだ整いそうにない。
風が冷たく感じて、ぶるりと震えた。
様子がおかしいと思われているのか、擦れ違う人々にちらちらと視線を送られているのがわかる。普段だったら無視したかもしれないが、今はこの顔を見られたくなかった。
大きな通りを抜けて裏路地に滑り込む。
一歩小道に踏み込むと、そこはタバコの吸い殻や空き缶が転がっていて、日陰になっているせいで一層薄汚れて見えた。
大通りに背を向けてとぼとぼと歩く。進むごとに靴が汚れていく。
このままどうしたらいいのかわからず途方に暮れていたところで、背後から羽交い絞めにされた。男の腕に掴まれて身動きが取れない。なんとか逃れようともがいていたところで何かの薬品を嗅がされて世界が暗転した。

  *

頭が痛い。視界がぼやける。
ゆっくりと意識が覚醒していくと、自分がコンクリートの地面に転がされているのだとわかった。
地面に触れた頬が冷える。両手両足が縛られていて身動きが取れない。
どこかの倉庫だろうか。端の方にコンテナが並んでいる。
倉庫の中には何人もの男の姿が確認できた。どの男も武装しているようだ。
どうせどこかの犯罪グループだろう。治安維持に一役買っているソーはこういう輩にとっては邪魔者でしかないが、いかんせんソー本人には手出しが出来ないから、こうして僕をどうにかしようとするのだ。
一番近くには見張り役らしい男が箱に座っている。
様子を窺っていると、こちらの視線に気付いた男が軽薄な笑みを浮かべた。
「起きたのか。もうすぐヒーロー様が来てくれるだろうよ。まあ、あいつが死んで終わりだけどな」
ニヤニヤと喋り続ける男に、思わず鼻で笑ってしまった。
時々こういう馬鹿が現れるから困る。ソーの強さも回復力も全く理解していない。どんなに人の形をしていても、あれは間違いなく神なのに。
僕の声に気付いた男の言葉が止まる、じろりと睨み付けられた。
「勝つつもりでいるなんて、馬鹿らしい」
「……あぁ?」
「ソーはああ見えても神様なんだ。お前らが束になったって敵うわけないよ」
馬鹿にされた男が目の前に膝をつき、思い切り胸倉を掴まれる。ぐん、と上半身が引き上げられて首が痛んだ。
「馬鹿にしてんのか」
「実際、馬鹿だろ。ソー相手にこんなことしても無駄なのに」
「お前は自分の立場かわかってないな」
開いた手が首に伸びて、無防備な頸動脈を締め上げた。ぐっと顔に圧がかかる。
「ソーが神様でも、お前はただの人間なんだよ」
男の指先に力が入る。ぐぅ、と反射的に喉の奥が鳴った。反論しようにも声が出ない。
酸素を求めて口を開く情けない顔を見て、男がいやらしく笑った。
悔しいが縛られた手ではまともに抵抗することも出来ない。
血流が止まる。なんとか酸素を取り込もうと、喉の奥がひゅーひゅーと音を立てる。
次第に目の前がチカチカと光り、男の顔が認識出来なくなった。
男の声が遠い。白と黒に支配された視界の奥に、違うものが見える。

炎、転がる死体、破壊された室内、自分を掴み上げる巨体、誰かの叫び声――。

「ロキ!!」
遠のく意識の中で誰かの名前を呼ぼうとした時、首を絞めていた男の体が吹っ飛んだ。
頭の中を映像が駆け巡り、脳かぐらぐらと揺れている。
急に与えられた酸素に咳き込みながら血の巡りを感じていると、飛ばされた男が帯電しているソーに殴られているのが視界に入る。それと同時に銃撃戦が始まった。
攻撃してくる男たちを殴り飛ばして無力化しながらも、ソーは掴んだ男の体を放そうとしない。一人、二人と、床に転がる人数が増えていき、静かになったときにはソーに掴み上げられたままの男の呻き声だけが響いていた。
震えている男にソーが拳を振り上げる。
その硬く握られた拳に背筋が寒くなり、掠れた声で必死に叫ぶ。
「ソー、ソー、やめろ……っ」
だが声は届かず、殴られた男の顔から血が流れて床を汚した。もう一度その拳が握られたところで、精一杯息を吸い込んで痛む喉を無視して声を張り上げた。
「兄上!!」
倉庫内に反響した叫び声に、ソーの拳がぴたりと止まった。
「やめろ!それはただの人間だ!死んでしまう!」
必死の訴えが届いたのか、ソーの腕が降ろされて男は床に放り出された。
ソーがこちらを振り向き、青い顔で慌てて駆け寄ってくる。
「ロキ……!!」
転がされた私を抱えて手足の縄を引きちぎる。その顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。
震える手で鬱血した痕が残る首筋に手を伸ばすが、指先が触れるギリギリのところで止まり、その先に進もうとはしない。
ちゃんと触れてほしくて、その大きな手のひらを掴んで首筋に誘導する。
首に触れた手は温かい。その手のひらにしっかりと脈打つ鼓動は伝わっているだろうか。
「大丈夫だよ、兄上。私は生きてる」
掠れた声でそう告げると、ソーは震える息を吐き出し、私の身体を力強く抱き締めた。苦しいくらい、ぎゅうぎゅうと。
「生きててよかった……」
「ああ」
「また、間に合わないかと……!」
「兄上が助けてくれた」
身体に回されていた腕がゆるんで、顔を覗き込まれた。その瞳は驚愕に見開かれている。
「お前まさか、記憶が……?」
「ああ、残念なことに、ロキ・オーディンソンに逆戻りだ」
ソーの瞳が一層大きく見開かれたあと、何かを堪えるように歪んだ。そして何も言わずに、再びその腕の中に閉じ込められる。
きつく抱き締められているせいでソーの顔は見えないが、その身体は小さく震え続けていた。肩が冷たく濡れていく。
自分が兄をこうしているのだと思うと、嬉しいのか悲しいのかわからなかった。あるいはその両方なのか。
厚みのある背中に腕を回し、抱き締めてさすってやる。その身体の温もりを感じると、じわりと瞳を水分が覆って流れ落ちた。止まらなくなってしまったそれはソーの肩を湿らせていく。
そのまましばらくの間、言葉もなく抱き合っていた。

  *

私は前世の記憶とやらと取り戻してしまったらしいが、今までと変わらない生活を送っている。
ソーと同じ家に暮らして、家事もするし、学校にだって行く。
なにしろこの身体はごく普通の人間なのだ。将来のことを考えて生活しなければならない。
それに記憶が甦ったといっても、今までの記憶を失ったわけではない。この身体で生まれてからのこともちゃんと覚えている。

今の私の夢は学者になることだった。
悪くない。研究が好きな私には持って来いの仕事だ。そのための勉強はしておかなければ。
それに、私にはもう一つ夢が出来たのだ。
何事もなければこの身体であと50年は生きられるだろう。運が良ければもう少し長く。
その頃になってもソーには大した変化はないはずだ。アスガーディアンにとって50年など、まばたきほどの時間でしかない。
だから、私はきっと看取られる。今度はきちんと別れの言葉を交わして最期の瞬間を迎えた後、私はまた生まれ変わる。
今度はどれくらい覚えているのか予想もつかないし、輪廻を繰り返すうちに魂に刻まれた記憶は薄れていってしまうかもしれない。けれど、それでもソーは私を見つけ出し、もう一度私の名前を呼ぶのだ。
長い時間の中、飽きるほど繰り返される人生の中で、何度も。
その声で呼ばれる度にロキ・オーディンソンは甦る。
私はずるい人間だからね、簡単に開放してなんかやらないよ。私の名前を呼ぶその声を愛してるなんて、絶対に伝えたりしてあげない。

「ロキ!食事ができたぞ。下りてこい!」
「ああ、今行くよ」

一階から響いたソーの声に返事をして、書きかけのノートと教科書を閉じる。
自室のドアを開けると、焼けた肉のいい匂いがした。

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